MAGAZINE
GALLERY
COSMIC WONDER
FREEーMIYAMA
ISSUE 8
INTERVIEW TEXT NAOKI KOTAKA
YUKINORI MAEDA アーティスト
今を主体的に生きるための創造力。
いつものようにファッション雑誌のページをめくっていると、ある写真に目が釘付けになった。美しいグレーのカーテンの脇に、同色のドレスを着た女性が立っている。いや、目を凝らしてみると、どうやらカーテンとドレスは一体となっているようだった。2000年代初頭、まだ高校生だった私はその作品の意味や意図を理解することは出来なかったが、ただ自分が知っている「ファッション」や「アート」と全く異なるものが、そこに写っているという確かな実感はあった。後にその作品がCOSMIC WONDERによる作品『A SHADOW NECESSARY FOR WINDOWS』(2002年)で、パリで作品を発表していること、そして主宰の前田征紀は現代美術作家であることなどを雑誌を通して知った。
千葉の公立校に通うごく普通の高校生だった私が、ファッションに本格的に興味を持ち始めたのは、卒業後の進路について考え始めた時期だった。親に進路を強制されていた訳でも、成績が良かった訳でもないが、日本の一流大学に進学して一流企業に就職するのは平凡だと一丁前に思っていた。ファッションやアートでの進学を考えて、日本の大学や専門学校を見学に訪れたが、雑誌で見たあのカーテンの作品を超える驚きには出会えなかった。容易に想像出来てしまう未来よりも、とにかく知らないことにもっと触れたいという強い思いが漠然とあった。親や学校、その他の誰かに自分の未来を任せるよりも、自分の側に自由に未来を選択する権利を持っていたかったのだ。当時は「オルタナティヴ」という言葉が盛んに使われていて、影響されやすい私は、より前衛的なファッションやアートを知っていることがクールなんだと考えるようになった。かつて愛読していた大衆向けファッション雑誌は、気が付くと『流行通信』『STUDIO VOICE』『ハイファッション』に取って代わった。それらの雑誌では、海外で作品を発表する日本人のファッションデザイナーやアーティスト、またセントラル・セント・マーチンズやアントワープ王立芸術アカデミーなどの海外アートスクールに通う日本人留学生が紹介されており、海外で活躍するそんな日本人の生き方が創造的に見えて羨ましかった。
それから10年以上が過ぎ、ファッション誌の編集に携わるようになった私は、COSMIC WONDERの新しい拠点である京都・美山を訪れて前田本人と話をする機会に恵まれた。2000年代初頭以来、密に活動を追い続けてきた、と書きたいところなのだが、高校卒業後にファッションを学ぶためにロンドンに移住し、セントラル・セント・マーチンズの入学準備コースに通った後で別の大学で建築に転向。そのまま建築にのめり込んでしまった私は、数年前に帰国するまでファッションから遠ざかってしまっていた。そうとは言えど、建築を学ぼうと思ったのも、当時のロンドンのエキセントリックなファッションに及び腰になり、初心貫徹出来ない自分を肯定するために、ふと前田が「建築を学んだ後でファッションとアートの道に進んだ……」という記事を思い出して、建築を学ぶこともファッションに通ずる道だと自分に言い聞かせたのがきっかけだった。兎に角、私という一人の人間の人生の選択において、COSMIC WONDERからの影響は少なからずあったということである。東京から京都に向かう車中、そんなCOSMIC WONDERとの出会いや自分が受けた影響、また今回の取材が決まってから見た、CENTER FOR COSMIC WONDERで販売されている服と工藝作品や、TAKA ISHII GALLERYで開催されていた彼の最新個展『溌墨智異竜宮山水図』に展示されていた美術作品など、彼の現在の創作についても思いを巡らせた。そして「都市と人々」という本号のテーマを考えるのに、彼が都市から自然へと生活の拠点を移した理由や、移住後の暮らしの様子について話を聞くことで、何か新しい視点が得られるのではないかという期待も高まった。そうこう考えているうちに新幹線は京都駅に着いた。
京都駅から電車とバスを乗り継ぎ、ようやく前田が住む美山に辿り着いた。バスを降りると青々とした田んぼと茅葺き屋根の家々がまず目に飛び込んでくる。山へと向かう脇道に入り、緑の斜面を歩いて、彼のアトリエに向かった。程なくして、小さな小川を渡った高台の上に「竜宮」と呼ばれる彼の茅葺き屋根の自宅兼アトリエが見えた。玄関をくぐり、長い土間の先で靴を脱ぐ。板張りの囲炉裏のある空間を通って、彼の書斎に通された。和室の中央には、弥生時代の出土品を模して作られたという木工作家の川合優のテーブルが置かれ、それを挟んで彼と対面で腰掛けた。ボイスレコーダーの準備をしていると、野外の蝉の鳴き声や藁の野性的な香りが、じんわりと部屋を満たしていることに気付いた。真夏日で汗が滴るほど暑いのに日本家屋だからか風通しが良く、不思議と心地良く感じた。ふと藁の香りにつられて、東京の個展で見た、藁を漉き込んだ和紙に描かれた山水画が脳裏に浮かんだ。興味深いことに、見た目は全く異なっているのに、高校生の時に見たカーテンの作品が続けて連想された。両作品には懐かしさと新しさが共存しているような不思議な印象を受けたのである。 そんな、COSMIC WONDERの根底に流れる一貫性とは何か、そして彼が自由に生きていくために創造力をどのように働かせてきたのか、彼の現在の創作と生活の現場から、これまでの活動を振り返って、幾つか質問を投げ掛けてみた。 「大学生活の終わり頃、友達同士で集まってアートやファッションの作品を作り始めたのがCOSMIC WONDERの原点です。私達の誰一人として働いた経験が無かったので、どのように作品を社会に出せばよいのか分からないまま、手探りで活動を始めました」。活動が始まった経緯について質問すると彼はこう答えた。初期のCOSMIC WONDERの作品には、アートやファッションの業界、ひいては社会とどうやって関わっていくのか、そんな仕組みと関わりながらも自由を希求し続ける彼の姿があった。「私たちにもう心の壁は必要ない……」で始まるテキストが添えられた『THE DRESS ATTACHABLE A WALL』(1999年)は、壁に見立てたフェルトが服に付いた作品で、彼はその作品をニューヨークの女性ミュージシャン達に着てもらい、服を着た感想を聞いたり、彼女達の写真を撮ったりした。「悲しみの壁はドレスに貼付けて見せしめにするのがいい。そして、自由になるのだ」とテキストは続くが、この作品では人と人を隔てている心の壁をあえて目に見えるようにすることで、その存在を無効化しようと試みているようだった。また『A SHADOW NECESSAR FOR WINDOWS』(2002年)では、ベッドで眠る女性を目覚めから守るようにカーテンがそびえ立ち、脇にはカーテンと繋がった服を着たもう一人の女性が立っている。この作品では、現実という意識世界から自由になる解放の手段としての「眠り」がテーマになっているように思えた。
COSMIC WONDERにとって自由であることは、作品の精神的な部分以外でも重要な意味を持ってきたようだ。2000年にポンピドゥー・センターに招聘されて以来、COSMIC WONDERはパリのファッションウィークで年二回の作品発表を2009年まで継続してきた。こうしたファッションの仕組みが支配的な場においても、発表形式や表現方法を特定せずに作品を見せることで自由な価値観を生み出そうとしてきたのある。「空間に興味がありました。人が服を着て立っている姿、そこから風景が生まれて、宇宙的な広がりを感じさせる。そんな可能性を創造したかったのです」。COSMIC WONDERの発表において、所謂キャットウォークが行われることはまずない。服とそれを良く見せるための舞台装置があるのではなく、服、人、物、音、光、空気などが一つの風景となって現れてくるのだ。それらの実験的な作品はアートの文脈におけるインスタレーションやパフォーマンスを彷彿とさせた。
2004年以降、前田の自由への希求は、個人のものとしてだけでなく、より開かれたものとして作品に現れるようになった。「時代の様相が大きく変化していくのを見て、どんどん自分も開かれていったような気がします。アメリカの同時多発テロが起こってから、自由さについて改めて考え始めました」。『FOREST HEIGHTS LODGE COSMIC WONDER』(2004年)の作品では、青々と茂った芝の上で、褪せた花柄の寝袋に包まれた男性が気持ち良さそうに眠っている。また続く『MAGIC VILLAGE』(2004年)の作品では、薄紫一色に染められた美しい村で、テントやタープを立てたり、ラグに座って、若い男女が穏やかな時間を過ごしている。それは圧倒的な暴力を目の当たりにして、現実世界に拠り所を失った人々のための、理想郷のようだった。
2007年、COSMIC WONDERは新たな方針をアナウンスした。COSMIC WONDER、COSMIC WONDER LIGHT SOURCE、YUKINORI MAEDAという新たに編成された三つのプロジェクトのもと、以後数年かけて、ファッションサイクルに合わせた定期的な発表に区切りをつけ、タイミングや場所などに決まりを設けない作品発表を続けていった。COSMIC WONDER LIGHT SOURCEは、これまで行なってきたファッションとアートの横断的な表現は継続しながらも、前田の自由や精神世界への関心を、日常着を通して日々 の生活に実際に作用させていこうとする新たな試みであった。また、COSMIC WONDERの活動の一環として、2007年にはCENTER FOR COSMIC WONDERを南青山にオープンした。この場所はCOSMIC WONDERの作品としての空間であり、COSMIC WONDERによる展覧会やCOSMIC WONDER LIGHT SOURCEの服の販売、そして親交のあるアーティストを招いて、フィルムスクリーニングやコンサートなどのパブリックに開かれたイベントも多数行った。また自主出版の活動にもますます力を入れ、COSMIC WONDER FREE PRESSの発行を始めた。
2010年には、これまでの作品中にも度々現れてきた抽象的なイメージとしての自然の要素を、服作りにおける素材や製法に取り入れたTHE SOLAR GARDENのプロジェクトをCOSMIC WONDER LIGHT SOURCEから派生させた。天然素材や草木染めなどを用いることで、自然そのものを服に宿らせようとしたのである。また前田は日々の生活に必要不可欠な服を作るという行為を通して、自分自身の生活についても目を向けるようになっていった。それは彼が思い描く理想郷のイメージに、少しずつ具体性を持たせていくプロセスであった。2013年にニューヨークのJEFFERSON MARKET GARDENで発表された『COSMIC WONDER RESTAURANT』(2014年に水戸芸術館現代美術センターで開かれた『拡張するファッション』展においても発表された)の作品は、そんな彼の生活に関わる創造的なアイディアで満ちていた。芝生の上に敷かれた、幾何学模様にパッチワークされ刺し子が施された円形の布敷物に座って、人々は思い思いに提供されたランチを楽しんでいる。参加費は求められず、各々が持ち寄った贈り物に換えてランチやパフォーマンスが提供される。自然を連想させる美しい色彩の服を身に着けたミュージシャンとダンサーが繰り出す歌と舞が、人々の話し声や笑い声と混じり合いながら空間を穏やかさで満たす。その風景は、かつて生活することは“費やすこと”一辺倒ではなく、農作物や工芸品などの物と、歌や舞などの芸を通して価値を交換する、すなわち“創ること”と深く結び付いていたことを思い出させた。
「表現したい作品と自分の生活の環境を、合わせたいという思いがあって。そうすることで、イメージではなくて、日々の生活そのものから表現にアプローチ出来ると思うのです」。2014年、前田はかねてより思い描いてきた自然の中での生活を実践するために都市を離れ、奈良の山中のロッジで二年過ごした後、スタッフと共に美山に拠点を移した。時期を同じくして、服作りの活動をCOSMIC WONDERの活動として改めて内包し、より密接に自然と関わり合った素材や製法を探求するようになった。手紡ぎ手織りの苧麻布(ちょまぬの)と葛布(くずぬの)、有機栽培された綿や麻の布、天然の桑の葉だけで育てられた蚕の貴重な絹などの素材。ロッグウッド(黒・紺)、ラックダイ(淡紅)、ビンロウ(薄茶・濃茶)などの植物から抽出した天然染料を使った草木染め、伝統的な仕事が継承される琉球藍染めなどの技法。これらの素晴らしい素材や技法は、前田に作り手との出会いをもたらし、彼等との交流を通して前田は日本の伝統的な手仕事の現場に、創作と生活との誠実な結び付きを見出していった。
近年、前田が工藝デザイナーの石井すみ子と組んで「コズミックワンダーと工藝ぱんくす舎」として行なっている「水会」のパフォーマンスでは、創ることを通して、原始より自然と人の生活とがどのように調和してきたかを見つめている。水会とは茶会の形式を借り、原始の自然のありようを物質化した水と菓子そして道具を用いて、「自然」に扮した席主と半東が「人間」の客をもてなすというパフォーマンスである。2016年に島根県立石見美術館で開かれた『お水え いわみのかみとみず』展のために再考された水会では、石見の自然とそこに残る伝承とをすくいあげた豊かな創作が行われた。まず、草木を漉き込んだ和紙の紙衣「やまかみ」、海藻を漉き込んだ和紙の紙衣「うみかみ」、水草を漉き込んだ和紙の紙衣「かわかみ」を身に着けて「山」「海」「川」にそれぞれ扮した席主と半東が客を迎え入れる。次に「やまうみかわかみ」の詞が唱えられると、続けて、山・海・川の恵みを全て漉き込んだ「おとかみ/やまうみかわかみ」の和紙が席主によって広げられ、そのかすかな音の鳴りを聞く。
それから、当地の海水から採れた塩を使った水菓子が、最後に、当地の白土で作られた碗に注がれて高津川上流の湧き水が供される。このパフォーマンスでは、自然と人間との間を循環する水の存在を通して、両者の「調和」が表現された。「やまうみかわひとつとなり」……。冒頭の詞で語られるのは、山、海、川……、そして他のあらゆる自然の諸要素が、宇宙の始まりにおいては一体となって存在しており、ひいては有機体の人間さえもその「調和」の中にいたのではないかという視座である。時間と空間における認識の尺度を変えれば、現代と原始、一杯の水と大気中の水蒸気、そして人間と自然が、宇宙的に大きな一つの時の流れの中で一体となって存在しているのが見えてくる。
辞書で「COSMIC」と引くと「宇宙の」、また「WONDER」と引くと「驚き」とある。COSMIC WONDERとは、その名前が示す通り、宇宙的な広がりを持って創造力を働かせながら、今を生きることの驚きについて探求し続ける活動なのかもしれない。「自由や精神世界への関心が必ず根底にあって、一方で表層はどんどん変わっていくんですが、変化することも受け入れて楽しんでいます」と前田は微笑む。高校生の私は、COSMIC WONDERの作品からそんな創造的な生き方を探究する楽しさを感じ取ったのだろう。自分が着るもの、食べるもの、住むところ、見るもの、感じること……。自分の身の回りを一握りの創造力を持って見つめ直せば、主体的に生きるという自由を得て、きっと毎日の生活により一層の喜びを見出せるはずだから。
THE DRESS ATTACHABLE A WALL・1999 / PHOTOGRAPHY BY TAKASHI HOMMA ©島根県立石見美術館 ©︎TAKASHI HOMMA
A SHADOW NECESSARY FOR WINDOWS・2002 / PHOTOGRAPHY BY TAKASHI HOMMA ©島根県立石見美術館 ©︎TAKASHI HOMMA
MAGIC VILLAGE・2004 / PHOTOGRAPHY BY TAKASHI HOMMA ©島根県立石見美術館 ©︎TAKASHI HOMMA
FOREST HEIGHT LODGE COSMIC WONDER・2004 / PHOTOGRAPHY BY TAKASHI HOMMA ©島根県立石見美術館 ©︎TAKASHI HOMMA
COSMIC WONDER RESTAURANT・2013 / PHOTOGRAPHY BY TAKASHI HOMMA ©︎COSMIC WONDER ©︎TAKASHI HOMMA
COSMIC WONDER RESTAURANT・2013 / PHOTOGRAPHY BY TAKASHI HOMMA ©︎COSMIC WONDER ©︎TAKASHI HOMMA
お水え・2016 / PHOTOGRAPHY BY YURIE NAGASHIMA ©︎島根県立石見美術館 ©︎YURIE NAGASHIMA
活動設立20周年を記念した展覧会『充溢する光』を島根県立石見美術館で2017年11月11から2018年1月8日まで開催した。
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