EIKI MORI

寄り添って生きていくという希望。
ISSUE 6
PHOTOGRAPHY 
EIKI MORI
INTERVIEW TEXT 
NAOKI KOTAKA
長狭いワンルームの部屋に一つしかない窓。カーテンの隙間から朝日が差し込み、部屋が心地良い光で満たされている。脱ぎ捨てられた洋服は、ベッドの隅で今にも落っこちそうだ。時々寝返りを打ちながら、男の子が気持ち良さそうに眠っている。しばらくして、寝ぼけ眼で起き上がった男の子は、部屋着を上だけ羽織ってキッチンにコーヒーを淹れに行く。湯気の立つマグカップを持ってベッドの上に戻り、パソコンを開いてメールの受信ボックスを確認する。

こんな、どこにでもあるような、穏やかな日常のワンシーン。森栄喜の写真を見ていると、被写体の東京に暮らす若い男の子達の日常が、いつかの自分の日常のワンシーンと重なるような感覚を覚える。森が東京に住む若い男の子達を訪ねて、彼らの日常をとらえた『TOKYO BOY ALONE』(2011年/ナナロク社)や、森自身のパートナーとの1年間の共同生活をとらえた『INTIMACY』(2013年/ナナロク社)の作品中では、こぼれ落ちていってしまいそうな、愛おしい日常の一瞬一瞬が、丁寧に写真に収められている。微睡んだような男の子達の表情に、気が付くと吸い込まれていって、彼らのエモーションと一体化してしまう。そうさせるのは、誰かを愛おしく想うという人間の根源的なエモーションが、森の写真に焼き付けられているからだ。話をしたり、手を繋いだり、メールをしたり、抱き締めたり、どんなにささやかなことでも、人間は自分が愛する人との時間を大切に思う。生きるという孤独を、私達は寄り添う合うことで、乗り越えていけるのだ。

けれども今の日本では、同性同士というだけで、愛し合うことが社会において異常とされてしまう現実がある。「僕と彼との普通の生活や普通の親密さが社会にとってもまだ異質なものとして扱われるとするならば、その事実は僕を悶えさせ奮い立たせるのです」(『アサヒカメラ』2014年4月号より)。日本のLGBTQを取り巻く現実に奮起した森は、数年前から、同性婚についての認知を広める活動を作品を通して行っている。ウェディングドレスに見立てた白い服を着た森とパートナーを、通りすがりの人に記念撮影してもらうというパフォーマンスとその記録映像作品『WEDDING POLITICS』は、同性婚を視覚的に訴える政治的活動であり、身知らぬ人達との関係生を生み出し社会に関わっていこうとする挑戦だった。

最新作『FAMILY REGAINED』では、誰かを愛し、寄り添い、
そして生まれてくる絆について、森は他の家族に入り込むことによって擬似体験し、そこで起こった自らの気持ちの揺らぎを作品に反映させた。「もう一度生まれ、出会い、恋をし、寄り添いともに生きていく。恋人たちが夢想し思い描いたであろう幸せで愛おしさがあふれる光景へ。未来の家族に、彼らに成り代わり会いにいっているような感覚だ」(『FAMILY REGAINED』KEN NAKAHASHIプレスリリースより)。森は、様々な家族と関わっていく中で、結婚という社会的承認が、愛し合う二人の想いをより強固にし、そして一定の永続性を与え、その結果ポジティヴな人生の展望を描く助けになり得ると実感した。勿論、結婚をするかしないかで人生の良し悪しが決まる訳ではないし、結婚関係に遜色ない素晴らしい友人関係も存在するだろう。けれども、もし性的趣向を問わず、全ての人に結婚が法的に許されていたら? 
人生に結婚という選択肢があったなら?

ゲイの権利活動家であり、アメリカで初めてオープンリーゲイの公職者となった故ハーヴェイ・ミルクはかつてこのような言葉を残している。「今まさにカミングアウトしようとしているゲイの若者が、差別的な内容のテレビ番組を見たらどんな気持ちになるでしょう。彼らが必要としているのは前を向いて生きていくための希望です。彼らに希望を与えなければなりません。より良い世界への希望、より良い明日への希望を。皆さん。いいですか、あなたがたひとりひとりが、人々に希望を与えるのです!」。森の作品は、LGBTQの先人達が望んでも手に入れることが出来なかった夢を、そして今、隣にいる愛する人との未来を、確かに後押ししている。


『FAMILY REGAINED』の作品は、どのように制作されましたか?

本作は「家族」をテーマにしていて、家族や夫婦、それに未婚のカップルなど約40組の家を訪れて、自分が他の家族の中に入り込みながら家族写真を撮影しました。家族や恋人という親密な共同体に飛び込み、自分もその一員としての役割を演じながら写真を撮影する。自分という他者が入り込むことで、「家族」という関係性にどんな揺らぎが起こるか、また、その揺らぎが作品にどのように現れるかを見てみたいと思いました。30代後半になって、姉夫婦に子供が生まれ、同級生達も大半が結婚をして、そうした周囲の変化を機に、結婚や家族について意識的に考えるようになり、作品で扱うテーマにも反映されていったのだと思います。


30代というのは、将来について再考する時期なのかもしれません。僕の場合は、10代の頃に考えていた将来図で未だに生きている感じがします。
志望していた大学に行って、就きたい仕事に就く。仕事も上手くいってて、そこまでは叶っているんです。でも、結婚をしないという選択をした時に、この先の30年、どうやって生きていこうかと漠然と不安になることもあります。

この先どのように生きていくのか、周囲から問われてるような感覚になることは僕もあります。家族を持たないことで、実際、居場所も少なくなっていきますしね。僕自身も、結婚ありきの人生をどこかで信じている部分があり、でも、その人生観から自分が外れているから、一種の疎外感を感じるのかもしれません。親が今の自分の年齢の時は、既に僕が生まれていて、今の僕とは大きく異なる生き方をしていた。それを思うと、世間一般が普通だと思う生き方と自分の生き方とのズレを修正しなければならないと、心のどこかで思っているのかもしれないです。


異性間の結婚は全世界的に認められていますが、同性間の結婚はまだまだ限られた国や地域でのみしか認められていませんよね。本作のタイトルに使われている「REGAIN=取り戻す」という言葉には、ゲイの人達が家族を手に入れることに伴う困難、そんな意味合いも込められているのでしょうか?

今でこそ限られた国や地域で同性婚が認められるようになりましたが、つい四半世紀前には、お互いに愛し合っていても、家族を築くことが出来ない人達がいました。彼らが手に入れることが出来なかった人生を、せめて写真の中だけでも実現させてあげたい、そんな思いから本作に取り組み始めました。それに、自分自身の思いも、彼らの思いに重ね合わせていたのだと思います。自分はもう結婚しないかもしれないし、親にもならないかもしれない。もちろん、出来たとして自分がするかしないかは分かりませんが、「出来るけどしない」と「したいけど出来ない」とでは結婚に対する意識も変わってくるなと。社会が承認してくれることで、きっとゲイの人達にとっても結婚が自然と人生の選択肢に入ってくる。僕は政治家でも法律家でもないけど、写真家として出来る方法で、同性婚についてもっと多くの人に知ってもらおうと思ったのです。


『FAMILY REGAINED』の作品は全て真っ赤ですね。

家族に服を借りたり、写真を撮る時の立ち位置をそれっぽくしてみたり、写真を赤一色にしたり、僕という他人を家族の一員と同等の存在に近付けてくれる要素を、写真の中に全て注ぎ込みました。写真の色は「血縁」の赤でもありますし、また、ゲイの人が受けてきた差別や迫害を表す「怒り」や「苦しみ」の赤でもあります。


森さんが他の家族に入り込むことによって、「これは同性婚のカップルなのかな?」「子供は養子の子かな?」「単純に親戚の人かな?」などなど、色々な家族の在り方が写真から連想出来るようになっていますね。

お父さんとお母さんと子供。そんな世間一般の家族の在り方とは違った家族を、僕自身が入り込むことで作品中に可視化出来るようになっています。一見、普通の家族写真なのですが、よく見ると違和感がある。それぞれが持っている家族像と、この作品の中に存在する家族との間で、価値観の摩擦が起こると良いですよね。


『FAMILY REGAINED』の作品は、社会的・政治的な意味合いを持った写真である一方、森さんがそれぞれの家族と共に過ごした時間を記憶にとどめておくための、純粋な記念写真のようにも感じれらます。

そう感じられるのは、この作品の根底に「誰かと一緒にいたい」と思う、僕個人の純粋な願望があるからだと思います。本作では、約40組の家族に撮影に協力してもらったのですが、彼らの親密さを目の当たりにして、改めて自分が家族の絆に嫉妬しているのだと気付きました。毎回撮影が終わった後は、彼らの強い絆を思い出して、自分はやはり他人なんだと落ち込みました。撮影自体は自分も楽しめたし、彼らも楽しんでくれた。でも彼らの生活が自分抜きでも続いていくことを思うと、切ない気持ちになりました。でも実際は、撮影のことを特別な思い出として覚えていてくれたり、プレゼントした写真を大切に飾ったりしてくれていて、それを聞くと、今でも共に生きているように感じられて嬉しくなりました。中には赤ちゃんが生まれたのを機に、また写真を撮りに来てと誘ってくれる人もいたり、本作が参加してくれた人達の中でも育っていること、そして作品制作を超えた交流に発展したことで、最終的には僕にとっても楽しい作品になりました。


作品に登場する家族は、どのような基準で選ばれたのですか?

なるべく自分と同世代であるということを意識して、身近な友人達を中心に協力してくれる人を探しました。『TOKYO BOY ALONE』を撮っていた頃は、自分も若者で、被写体も若者達でした。だから同じ目線に立って写真が撮れた。今は、自分世代が家族を持つ年齢になったので、若者よりも結婚して子供のいる親達の方が、被写体として自然に撮れるようになったのだと思います。


『TOKYO BOY ALONE』にしても『INTIMACY』にしても、森さんの作品は、そこに住む人達の孤独や哀愁を繊細に写真にとらえることで、間接的に、東京という都市のポートレイトをも描き出していたと思うのです。『FAMILY REGAINED』でも別の観点から、東京という都市のリアリティが見えてくるような気がしています。

本作では、約40組の家族に協力してもらったのですが、その中で養子がいる家族は一組もなく、国際婚をしている家族も、アジア人同士の一組だけでした。勿論、そうした家族が存在しているとは思いますが、多様な家族像というのは、まだまだ少数派なんだということを実感しました。もし他の国や都市で同じプロジェクトを行っていたら、全く違う家族像が立ち上がってきたはずですから。仰る通り、本作に現れてくる家族像というのは、東京という都市のリアリティなのかもしれませんね。


僕は、森さんがこの作品を東京で制作しているということに大きな可能性を感じています。というのも、人間とは身近で起こっていることに影響を受けるからです。数年前に、僕のアメリカ人のゲイの友人が、代理出産で双子を授かったのですが、その時初めて、それまでは単なる知識として知っていたことが、より真実味のあるリアリティとして感じられるようになりました。

確かに、インターネットなどで得る情報より、親しい人が実際に起こした行動の方が説得力がありますよね。今の30代が変えていけば、日本でも数年、数十年後には同性のカップルが結婚することや子供を持つことが普通になっていくと、僕はどこかで信じている部分があります。そんな理想の世界はまだ来ていないけど、自分自身、そして自分の周囲からでも変えていければと思うのです 。ー



















© 2017 EIKI MORI COURTESY OF KEN NAKAHASHI




パフォーマンス作品上映
『FAMILY REGAINED: THE SPLASH-WE BRUSH OUR TEETH, TAKE
 A SHOWER, PUT ON PAJAMAS AND GO OUT INTO THE STREET-』

会期:10月1日(日)~ 29日(日)

会場:NADIFF GALLERY

東京都渋谷区恵比寿1-1w8-4 NADIFF A/P/A/R/T 地下



パフォーマンス作品上映『FAMILY REGAINED: THE PICNIC』

会期:11月4日(土)~ 12日(日)

会場:池袋西口公園 東京都豊島区西池袋1-8-26