NAMACHEKO


ISSUE 8
INTERVIEW TEXT YASUYUKI ASANO
突如現れたメンズウェアが持つ絶対的求心力。

今業界から熱い視線を受けるNAMACHEKOというブランドは、一体何処からやって来たのか。

クルド人としてイラクに生まれ、9歳の時にスウェーデンに移住したディラン・ルーは、妹のレザン・ルーと共に2016年、NAMACHEKOを設立。初期のRAF SIMONSやKRIS VAN ASSCHEを手掛けたことで知られるGYSEMANS CLOTHING GROUPのプロダクション・サポートを受け、ファーストコレクションがパリのセレクトショップTHE BROKEN ARMのウィンドウを飾り、セカンドコレクションではパリのメンズファッションウィークでランウェイデビュー。

瞬く間に階段を駆け上ったNAMACHEKO。しかし、デザイナーのディランは高名なファッションスクールの出身ではないどころか、学校では全くデザインを学んでいない。メンズウェアマーケットを圧巻しているストリートウェアやセレブ・カルチャーの文脈にも関係なく、この時代に一切Tシャツやフーディといったコマーシャルピースを作らない。そんなディランのコレクションに、どうして僕達は魅了されるのか。

自分自身の場合を思い起こしてみる。初めてNAMACHEKOという名前を目にした去年の春、不思議とそのキャッチーなブランド名が頭から離れなかった。一年前、2018年春夏シーズンのショーを見たときは、そのミニマルで凛とした、若手デザイナーらしからぬ何処か神聖なコレクションの佇まいに魅了された。そしてその数日後、ショールームでディランに初めて会った時、どういう訳か彼が今後のファッションを牽引する天才なのだと悟った。

独自のフューチャリズムとミニマリズムに基づき、妥協無きファブリックとディテールで展開されるコレクションは、気品に溢れ、完成度も十分。ただ、それ以上の不思議な魅力が、このブランドには宿っているような気がしてならない。

パリ・メンズファッションウィーク直後の7月中旬、DOVER STREET MARKET GINZA内にオープンするパーマネントスペースの準備の為に来日したディラン 。ワールドカップ決勝当日ということもあって、少々サッカーの話題で盛り上がった後、その謎を紐解くべくインタビューはスタートした。


大学では何を勉強していたのですか?

土木工学を専攻していたんだ。ビルの設計のために、コンクリートのレシピを計算したりね。


ファッションでもなく、建築デザインでもなく、エンジニアリングだったのですね。子供の頃は、どんな少年でしたか?

9歳の時にイラクからスウェーデンに移住したんだけど、サッカー選手を夢見るごく普通の子供だったね。時を経て、銀行ででも働こうかと思って少し経済学を勉強して、そのあと土木工学も勉強して。でもいつも、ファッションには興味があったんだ。


それでもファッションを勉強しなかったのはどうしてですか?

当時、ファッションって凄く遠くにあるもののような気がして。人口が8,000人しかいないスウェーデンの田舎町で育って、ファッションを勉強出来るということは知っていても、どこか手が届かない存在で自然と選択肢には無かったね 。


そんな中、ファッションの道を歩み始めたのは何がきっかけだったのでしょうか?

昔から写真にも興味があって、数年前に写真集を作る準備をしていたんだ。その時、写真の中でモデルが着るものが必要だと思って。コスチュームを制作しているうちに、いつの間にかファーストコレクションになったんだ。それが今に繋がっているのは本当に不思議に思うよ。ファーストコレクションが売れるなんて思ってもいなかったからね。


ファーストコレクションというと、パリのTHE BROKEN ARMでのみ展開された2017-18年秋冬コレクションですよね?

そう。コレクションが完成した後、100以上のショップにショールームの詳細をメールして、手書きの手紙も送ったんだ。でも、誰も来てくれなくて(笑)。パリのメンズファッションウィーク中、 土曜から水曜までショールームを開いていたんだけど、火曜まで本当に誰も来なくて。でも最終日の水曜に、THE BROKEN ARMのチームがやってきたんだ。


その時はどんな気分でしたか?

勿論嬉しかったんだけど、特に何もコメントが無く、彼らの表情からコレクションのことをどう思っているのかも全然読み取れなくて、初めはちょっとナーバスになっていたかな。でも最終的に、志の高い素晴らしいコレクションだって言ってくれて。後から聞いたんだけど、バイイングに集中するために感情を表に出さないようにしているんだって。そこで買い付けてもらって、更にメンズファッションウィーク中にウィンドウディスプレイもやらせてもらえることになったんだ。


それが話題となって、セカンドコレクションである2018年春夏シーズンでのショーデビューに続いていくんですね。

そうなんだ。でも、ショーもしたけどバジェットはあまり無くて。その時のショールームのことを覚えてる? 狭いアパートの一室に自分でペイントした内装を施して、ハンガーも他のブランドのもの使ったりしてたでしょ(笑)。


そうでしたね(笑)。でもそのDIYな空間が凄く印象的でした。そして服を見ていたら突然、寝起きのディランが現れて(笑)。

そうそう、凄く疲れてバックルームでうたた寝してるところだったんだ(笑)。ショールームに来てくれた皆への挨拶は欠かさないようにしていたんだけど、その時は誰か来るって知らなくて。


でもその時何故か、「このデザイナーは何か凄い才能を持っている」って感じたんです。勿論、コレクションが素晴らしかったのもありますが、突然登場して、凄く自然体で色々なことを正直に話してくれるディランに、他のデザイナーとは違う何かを感じて。

どういうわけか、周りにいる多くの人がそういう風に僕を評価してくれるんだ。妹のレザンや、セールスエージェントのSEIYA NAKAMURA 2.24のセイヤさんとか。


その二人に加え、PRを担当しているPR CONSULTINGなど、ブランドとして既に強力なチーム編制を確立していますよね。どのようにして、たった数シーズンでここまでの体制を整えることが出来たのでしょうか?

セイヤさんに関していえば、初めはインデペンデントでやることを大事にしたかったから、複数のブランドを扱うショールームに興味は無かったんだ。ただ、紹介されて、セイヤさんとメールや電話でコミュニケーションし始めてみると、互いに共通する考えが沢山あって。お互いに強く信頼することが出来たから、一緒にやることに決めたんだ。PR CONSULTINGは、彼らがTHE BROKEN ARMのPRを担当していたことから紹介してもらって。


プロダクションに関しても、初期のRAF SIMONSやKRIS VAN ASSCHEを手掛けていたことで知られるGYSEMANS CLOTHING GROUPのサポートがありますよね。

そう。GYSEMANSの場合は、プロダクションの拠点を探している時に、ベルギーに住んでいる友人から連絡してもらって。その後オーナーの方と実際にミーティングしてみたら、僕の考えやストーリーを深く理解してくれて、サポートしてくれることになったんだ。


GYSEMANSはベルギーにありますが、ディラン自身はどこを拠点に活動しているのですか?

僕もベルギーだね。今はGYSEMANSのオフィスの一角で仕事をしているけれど、もうすぐアントワープにスタジオを構える予定だよ。


妹のレザンや他のチームメンバーも一緒ですか?

レザンはストックホルムにいるんだ。主に会社のビジネスサイドを担当してくれていて、他にもイメージヴィジュアルなどを担当しているエリン、セールスのエマも同じくストックホルムにいる。


ベルギー・アントワープ、スウェーデン・ストックホルム、フランス・パリ、日本・東京と、皆が別々の都市に住んでいますが、それでもチームとして上手く機能しているのは、皆ディランに何かしらの魅力を感じて、その才能を信じて結束しているからだと思います。自分ではその理由は何だと分析していますか?

うーん……、他のデザイナー達が当然のように知っていることを、僕が知らないっていうことが逆にアドヴァンテージになっているんじゃないかな。僕はインターンもしていないし、ファッションデザイナーがどのように働いているかっていうことを知らないまま、自分のやり方でコレクションを制作しているからね。


なるほど。では、ディラン自身はどのようなプロセスでデザインをしているのでしょうか?

まず常日頃から、文学から雑誌に至るまで沢山の本を読むんだ。世の中のニュースも常にフォローするようにしているね。映画もよく観るし、ブルース・ギルデンやアレックス・ウェブのようなドキュメンタリー写真もよくチェックしているよ。アートも好きだから、ギャラリーにもよく行くし、アートオークションの結果も常にフォローしているね。


そのような日常的なリサーチを経て、実際にコレクション制作を始める前には、どのようなピースを作りたいか具体的なイメージが頭の中にはっきり描けているのでしょうか?

そう。そのイメージをパタンナー達と形にしていくんだ。まずは自分で布をカットして、出したいヴォリュームを示す。それに沿ってパタンナーが作ったパターンをチェックして、布を加えたり減らしたりっていう修正を何度も繰り返して完成させるんだ。現に2019年春夏シーズンのジャケットのスリーヴは、12回もやり直したんだよ。そうやって、ドローイングとかじゃなく、フィジカルに制作を進めていくんだ。過去のコレクションを反映させながらね。


過去のコレクションを反映させる、とは具体的にどのような作業になるのでしょうか?

僕にとってコレクションは、一つ一つで完結するものではないんだ。前シーズンから先のシーズンまでのより長い時間軸で捉えていて、「このアイディアはどのタイミングでコレクションに取り入れようか」「数シーズンに渡る全体のストーリーは何なのか」というようにいつも考えているね。


目の前のシーズンのみでなく、その先の未来も考慮しているということですね。

そうだね。そもそも未来というもの自体に興味があるんだ。例えば、僕は今日の自分について考えることはほとんど無くて、それよりも一年後や五年後の自分がどうなっているかということを常に考えているね。というのも、今自分がしていることは、今すぐではなく、数年後に初めて反映されるものだと思っているから。


そのような未来に対する考え方自体も、コレクションの一部になっていると。

正にその通りで、僕の重要なデザイン美学の一つだね。そのような自身のフューチャリズムが、アイテムのディテールに込められているんだ。普通のボタンの代わりにスナップボタンを使っていたり、SF映画のインスピレーションがさり気なくカットに反映されていたり。


コレクションを見ていると、ディランが言う「フューチャリズム」を感じ取ることが出来るのですが、同時にテイラリングに代表されるようなクラシカルな要素も存在していますよね。

クラシカルというよりは、タイムレスだね。タイムレスになるには、フューチャリズムが必要なんだ。例えば最近、60年代のクチュールのリサーチに没頭していたんだけど、60年代の一部のファッションって、写真のクオリティやスタイリングをちょっとアレンジすれば、今のスタイルになり得るんだ。何十年という時を経ても色褪せずその時代に相応しいものを作るには、未来が見えていないとね。


確かにそうですね。ただ、フューチャリズムを掲げるデザイナーの中には、クレイジー過ぎて実際には着られないようなものを作る人もいますよね。そうしたことから、フューチャリズムというとそのような過激なものをイメージされることも多々あると思うんです。でも、ディランのフューチャリズムは、それらとは異なりますよね。

僕のスタイルは、ロマンティックな意味でのフューチャリズムだと思うんだ。20年後に、体温をキープするための特殊なボディスーツを着ているっていうような未来は想像出来なくて。その代わりに、ディテールにさり気なく未来を忍び込ませているんだ。2019年春夏シーズンでいえば、クラシカルなスーツジャケットをショートスリーヴにすることで、フューチャリスティックになったりね。


そのショートスリーヴジャケットや、2018年秋冬シーズンのスリット入りトラウザーズに代表されるように、ディランはクラシカルなピースに、ちょっとしたアイディアやひねりを与えることで、未来を感じさせるフレッシュなアイテムに変換させていますよね。

大事なのは、実際に人々が着るっていうことなんだ。プライスを抜きにしてデザインのみを見た時、そこが本当に大事なポイントだと思う。人々がNAMACHEKOのピースを実際に着て、エレガンスを感じて欲しいんだ。そして周りの人達が「あの服、どこで手に入れたんだろう?」って興味を持ってくれたら最高だね。「WOW!あんな服を着るなんて勇気ある人だね」っていう風には感じて欲しくないから(笑)。


そうですよね(笑)。そのようなエレガンスや洗練さもそうですが、僕はいつもNAMACHEKO のコレクションから、凛々しさや威厳を感じます。もっというと、何処か神聖にさえ感じます。若手デザイナーで、そのようなムードを作り出すのは決して容易ではないと思うんです。

それはスウェーデンで育ったことが関係しているのかもしれないね。プロダクトデザイン的なところとか、ミニマリズムとか。それに、スウェーデンには何かの“中間”への美学があるんだ。デザインでいえば、アグレッシヴ過ぎることはなく、かといって消極的でもない、その間を取るような感覚なんだけど。


いわゆる、バランス感覚のようなものでしょうか?

そうだね。例えば2019年春夏コレクションでは、多くのアイテムの背中に少しプリーツが入っていたでしょ。実はあのプリーツ、初めはもっとヘヴィで、それこそスカートのようなものを施していたんだ。でもそれを一旦止めて、再度プリーツの加減を調整して、最終的にミニマルなプリーツにしたんだ。そういった感覚だね。


その絶妙なバランス感覚で、過去数シーズンで既にNAMACHEKO のシグネチャーとなり得るアイコニックなアイテムが幾つも登場しましたよね。今、僕が穿いている2018年春夏シーズンのフリンジトラウザーズ、先程も話に出た2018年秋冬シーズンのスリット入りトラウザーズ……。シグネチャーになり得る程、完成度の高いアイテムを生み出すのはとても困難なことだと思うのですが、そうしたアイテムをシーズンをまたいで繰り返し展開したことが一切無く、常に新作のみで勝負していますよね。それはどうしてなのでしょうか?

セールスを考えると、キャリー品番を作るのが賢明かもしれない。でもカスタマー目線で見ると、気に入って買ったアイテムが、次のシーズンにまた出てきたらがっかりするでしょ。服に大金を払って買うっていうことは、ユニークでありたいと思うからで、他の人が同じものを着ているのはあまり見たくないよね。今日穿いているそのフリンジトラウザーズが、来シーズンに値段も安くなって再登場して皆が穿き始めたら、ちょっと嫌でしょ(笑)?


確かにそうですね(笑)。でも毎シーズン常に沢山の新しいピースを生み出すことは、物凄く大変ですよね。

大変だけど、同じアイテムをファブリックだけ変えて作り続けるっていうのはある意味簡単過ぎるから、もっと熟考してコレクション制作をしないといけないと思っているよ。


「もう何もアイディアが出てこない……」と感じたことは無いのですか?

それは無いね。本当に沢山のアイディアが頭に中にあるんだ。ボタンはこうしたいとか、トラウザーズのフィニッシュはああしようとか、常に考え続けているからね。


スイッチを入れてデザインを考えるというわけではなくて、常にデザインを考えているのですね。

そう、何をしていても、頭のどこかでいつもデザインのことを考えているんだ。さっき話した、 本を読んだり映画を観たりっていう作業をしている時は、常にコレクションへの繋がりを意識している。例えば、今はジオ・ポンティの家具に興味があって、この椅子のシェイプを何か服に取り入れられないか、っていうように考えているよ。だからアイディアを出すことよりも、それをフィルターにかける作業の方が大変だね。ダメなアイディアも沢山あるから(笑)。


ここまでのお話を聞いていると、一点一点が正確にイメージされたピースでコレクションが構成されている印象ですが、コレクション全体のコンセプトも設定しているのでしょうか?

実は、全体のコンセプトも存在しているんだ。2019年春夏コレクションでいえば、アンドレイ・タルコフスキーの映画作品が大きなインスピレーションになっていて、 時には抽象的に、時には聖書のレファレンスを直接的に挿入する彼の宗教的、精神的な面の見せ方に感銘を受けたんだ。そこで自分自身に当てはめて考えてみたところ、僕は厳格なイスラム教徒の両親の元に生まれながら、自分は本当にイスラム教徒なのかっていう疑問があって。その葛藤の理由は何故かと考えて、心のどこかでイスラム教徒であることを恥じているのではないか、でもそれは決して恥ずべきことではないっていうところに辿り着いた。だから、ダイヤ柄に象徴されるイスラミックアートがコレクションに登場したんだ。


それこそ正に、僕が2019年春夏コレクションを見て感じた変化なんです。今までのコレクションではディテールなどに、あくまでさり気なく挿入されていたクルディスタンやイスラム教のカルチャーが、今回はより明確に表現されていますよね。

その通り。純粋に、自身のバックグラウンドをもっと表現してみようと思ったんだ。特に最近はイスラム教への世間のイメージも相まって、中々声に出さないことが多いでしょ? でもタルコフスキーの映画に刺激を受けて、さらけ出してしまおうと思ったんだ。それに、クルド人としてのバックグラウンドっていうとタフなイメージもあるかもしれないけど、9歳までしかクルディスタンにいなかった僕にとって、そこでの思い出は基本的に全てハッピーなものとして記憶されているんだ。子供の時の記憶ってハッピーなことが多いでしょ? そのハッピーな気持ちを、アメリカ人アーティストのエヴァン・ホロウェイやブライス・マーデンの色使いを参考にしながら、キャンディカラーで表現したんだ。そのような過去数年に渡って親しんできたアーティストの作品に、イスラム教徒として生まれスウェーデンに移住した思春期の想いがクロスオーバーして、2019年春夏コレクションのコンセプトへと昇華されていったんだよ。


自身のアイデンティティを隠さずに見せようと思ったんですね。

正にその通り。さっき話したように、僕のデザインは基本的にスウェーデン的な感覚に基づいているけど、今回は僕個人のクルディスタンのストーリーが明確に加わった。ただ、クルディスタンが僕の全てということではないから、例えば次のシーズンはイスラムの要素を全くコレクションに出さないことだって出来る。そこで自分に決まりや制限を作りたくはないんだ。


アイデンティティの一部、ということですね。では、今でも自分をイスラム教徒だと思いますか?

幼い頃に移住したから、今はそうは思わない。でも、自身のアイデンティティの大事な一部分であることに変わりはないし、僕は神の存在を信じている。それに、NAMACHEKOをスタートする前に母が他界したんだけど、母がここまで導いてくれたんだとも信じているよ。全くファッションを勉強したことがなかったのに、たった4シーズンで、パリのオフィシャルカレンダーでショーも発表して、世界中の素晴らしいショップにも置いてもらって、本当に幸運だなって。そう考えると、神の存在や母の力を思わずにはいられないね。上にいる人達が僕を導いてくれたんだって。




2018年秋冬コレクションより。
















2019年春夏コレクションより。PHOTOGRAPHY BY JUNSUKE YAMASAKI




今シーズンより設置されたDOVER STREET MARKET GINZA内のNAMACHEKOスペース。