HYEIN SEO

苦悩のシンデレラ・ストーリー。
ISSUE 4
INTERVIEW TEXT YASUYUKI ASANO
ベルギー・アントワープと韓国・ソウルを拠点に活動するHYEIN SEO(ヘイン・ソ)は、間違いなくインターネット世代の“アメリカンドリーム”を体現したファッションデザイナーだ。

彼女のことを初めて知ったのは約2年半前。友人のスタイリストであるアナ・トレヴェリアンが、ニューヨークのショップ兼デジタルプラットフォームとして知られるVFILESが主宰する若手デザイナーの合同ショー、「VFILES MADE FASHION」にてスタイリングを手掛けたと聞いて、STYLE.COMで何気なくランウェイ写真をチェックしていた時のことであった。3人目のデザイナーとしてショーのラストに登場した、 ホラーフィルムにインスパイアされ「FEAR」というスローガンが散りばめられたコレクションは、一夜にして業界にセンセーションを巻き起こした。その少し後、リアーナが着用したことで更なる高まりを見せる。COMME DES GARÇONSのショーに、見覚えのある「FEAR」という文字が描かれたフェイクファーのスカーフを、右肩で背負うように持って登場した現代のポップアイコンの姿はあまりにもアイコニックで、インターネットで拡散され続けるその写真を見た僕は、彼女のデザイナーとしての今後のキャリアを容易に想像できた。

それから数シーズン、定期的にリアーナにも着用され続け、自らのデザイン美学を失うこともなく、順調に若手デザイナーとして成長を続けていたように見えた彼女であったが、先シーズンのコレクション発表を取りやめ、自身のインスタグラムにも6ヵ月間以上も投稿せず、突如として半休止状態に陥った。

一体彼女に何があったのか。数多くの若手デザイナーが資金難などを理由に業界を去っていく姿を見てきたこともあり、少し心配していた矢先、ふと彼女のインスタグラムに戻ってみると、そこには「WE’RE BACK」という一言と共に、待望のニューコレクションのプレビュー写真がポストされていた。暫しの沈黙の後、帰ってきた彼女が、コレクションで度々使用されるスローガン同様にストレートな言葉で、彼女のリアルな想いを語ってくれた。


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まず初めに、お帰りなさい! 僕もニューコレクションを心待ちにしていたファンの一人です。 いきなりですが、インデペンデントデザイナーとしてのこれまでの大成功ともいえるキャリアにも関わらず、ブランドを1シーズン休止することに決めた理由は何だったのでしょうか?

今まで一度も足を止めず、ずっとずっと走り続けてきました。「VFILES MADE FASHION」でショーを行った卒業コレクションが、大学院課程のコレクションを制作している間にどんどん大きなものになり、人生のプランが大きく変わってしまいました。実は元々、自分自身のレーベルを持つことなんて全く考えたことが無くて、大きなファッションメゾンやデザイナーブランドでインターンをしたいと思っていましたが、そうするには既に遅すぎる状況でした。なので、立ち上げ当初から無理矢理スタートしたという感じなのです。そのような、言わば傷だらけの状態からレーベルの体裁を整えていくのは、決して簡単なことではありませんでした。学校にいる間はもっとシンプルでした。何ヵ月にも渡ってアイディアを膨らませ、10体ほどのコレクション制作に集中する時間が十分に与えられていました。それが今は同じ時間で二つのコレクションを制作しなければなりません。そうしている内にいつの間にか自らのリズムを失い、物事が上手くいかなくなってしまいました。ショールームの日程が近付くに連れ疑念に囚われるようになり、「スケジュール通りにこの不細工な作品を完成させてしまうべきか、それとも満足がいくまでやり直すべきか?」と常に考えていました。そして遂に、前々回の2015-16年秋冬シーズンに、ショールームのスケジュールを全てキャンセルして、 コレクション制作を続けることを決めたのです。もうその時は、売上のことなど全く気にしていませんでした。自分にとって本当に大事なことは、胸を張って見せることができるものを作ることなのだと気付いたんです。勿論そのキャンセルにより、バイヤーからの信頼を失い、今後の売上に大きく影響するかもしれないということは理解していました。でも驚くべきことに、全てのバイヤーが戻ってきてくれ、売上も倍増しました。皆が励ましてくれて、私が下した決断にも尊敬の意を示してくれました。そのように、2015-16年秋冬コレクションの発表が遅れてしまったので、同時に生産も遅れ、その結果2016年春夏コレクションを制作する時間が無くなってしまいました。その時既に他のデザイナー達は2016-17年秋冬コレクションを制作しているタイミングだったので、2016年春夏シーズンをスキップして、2016-17年秋冬シーズンの制作に入りました。なので、実はただ半年間休むことにした、ということではないんです。今は少しずつスケジュールに追い付いてきていますが、未だに大変です。もし以前と同じ状況になった時は、間違いなく同じ決断をすると思います。良いコレクションを作ること、それが私の最も大切なことなんです。


今回の2016-17年秋冬コレクションは、5月にヘルシンキで行われた「MATCH MADE IN HEL」で発表されました。2014-15年秋冬シーズンに「VFILES MADE FASHION」に参加して以来2回目のショーだったと思いますが、久々のランウェイショーはどうでしたか?

正直に言うと、私はこのようなイベントにはあまり向いていないタイプの人間なんです。プレス対応やインタビュー、沢山の人に会うことが得意ではないので……。それでも参加することに決めたのは、他の参加デザイナー達に是非会いたかったからです。会って、私達のようにスケジュールなどの困難に直面しているのかどうか、確かめたかったのです。ただ、実際に参加してみると、全てが予想以上の結果でした。ヘルシンキはとてもクリーンでしたが、どこかアントワープを思わせるところがあり、空港の滑走路でショーを行うという斬新なアイディアが、私のコレクションにも不思議とマッチしていたと思います。そして長年ブランドをしている方も含め、他のデザイナー達と良い交流が出来、他にも沢山の素晴らしい人々に出会うことができました。


そのショーでは、モーターサイクルのリファレンスと共に、HYEIN SEOのシグネチャーであるパッチ付きユニフォームを着た、ストリートエレガンスなバッド・ガールズが戻ってきました。今回の2016-17年秋冬コレクション「LADY VENGEANCE」について教えて下さい。彼女達の「復讐」とは何を意味しているのでしょうか?

彼女達は「ガールズ・ニンジャ」です。背景にしっかりとしたストーリーが無いと中々コレクションを制作出来ないタイプなのですが、今回はパク・チャヌク監督の『SYMPATHY FOR LADY VENGEANCE』や『キル・ビル』のキャラクターのように、はっきりとしたインスピレーションがありました。


2人のバッド・ボーイズも登場していましたが、僕の知る限りではショーやルックブックでメンズモデルを起用したのは初めてだと思います。これまでコレクション自体は女性だけでなく男性にも人気が高かったですよね。今回、遂にメンズモデルを起用するに至った理由は何だったのでしょうか?また、現代のウィメンズウェアデザイナーの一人として、メンズとウィメンズの境界線、更にジェンダーレスという概念についてどう考えますか?

素敵なコメントをありがとうございます。実は密かに、このような質問を誰かに尋ねられることを心待ちにしていました。レーベル立ち上げ当初は、ウィメンズウェアデザイナーとカテゴライズされるのが嫌でした。私自身、メンズの服の方が多く所有していますし、それは決して単純にサイズの問題ということではありません。デザインをする時も、常に男性が同じピースをクールに着こなすことができるかどうかを想像するようにしています。その結果、スカートやドレスを除けば、コレクションのほぼ全てのピースがユニセックスになっています。そうしたことから、メンズモデルを起用したのも自然な流れだったんです。また、「ジェンダーレス」という言葉を最近よく耳にしますが、個人的には90年代から既に「男は男らしく」「女は女らしく」という概念は不必要であると感じていました。そのように人に強要することなど、全く時代遅れだと思います。私自身を含め、今日、多くのデザイナーはジェンダーの境界を明確に決める必要など感じていないのではないでしょうか。


一般的な質問に戻ってしまいますが、自身のバックグラウンドについて教えて下さい。どのようにして名門校の一つであるアントワープ王立芸術アカデミーでファッションを勉強し始めたのでしょうか?

入学前、デザインスクールでファッションの勉強はしていたのですが、急にアントワープという都市自体に凄く興味を持ったのです。理由はそこがマルタン・マルジェラとラフ・シモンズの街であったからで、いてもたってもいられなくなって、学校を辞めてソウルから旅立ちました。アントワープは小さな灰色の街で、だからこそ自分自身と奥深くまで向き合うことができます。その冬は長く、空はいつも憂鬱で、空気は重く穏やかです。この暗闇と静寂の半年間、できることはただ自宅に篭って作業することでした。先生は個別に生徒に接するので、誰もがそれぞれ自らの美意識に従って自分自身にフォーカスすることができます。そのような環境で7年間も過ごしていると、他の世界から遠く閉ざされているような感覚に陥ることもありますが、それこそが私がこの場所に来た理由です。ベルギーでこれまでに出会った数多くのアーティスト、デザイナー、ダンサーといった職業の人々は、皆ある種歪んだ、どこかグロテスクな美を共有しています。勿論、その静寂に耐えられず街を離れた人々も沢山見てきました。それでも私にとっては、正に生まれ故郷のように落ち着いて過ごすことができる場所なのです。


「BAD EDUCATION」と題された2015年春夏コレクションは、学校を追い出された少女のストーリーで、「SCHOOL KILLS」「SCHOOL RUINED MY LIFE」といった刺激的なメッセージが並んでいました。でもそれは決してあなた自身の学校生活に基づいた実話ではなく、実際は100名の内で数人しか卒業できないといわれる名門校を卒業していますよね。自身とこの少女、それぞれの学校生活と、両者の関係についてお聞かせ下さい。

これはある意味では私自身の実話で、実際の学校生活を反映しています。御存知の通り、アントワープ王立芸術アカデミーはその厳しさでも悪名高い学校です。毎年クラスの半分の生徒がいなくなり、卒業できるのは一握りの生徒のみです。先生は皆とても厳しくて、生徒の多くは苦しんでいます。私の場合、先程お話した通り、「VFILES MADE FASHION」でショーをした直後から、リアーナに着用してもらったりしたことは本当に嬉しかったのですが、同時に多くのオーダーを受けてしまい大変なことになりました。大学院課程の卒業コレクションを制作中だったにも関わらず、レーベルのビジネス面を進めていかなければならない状況で、学期中にオーダーの生産のためにソウルに戻ったりもしていました。当初は「滅多にないチャンス」だということで、先生は例外的に扱ってくれていましたが、授業の半分以上に参加できずにいたある日、ファッション学科の校長であるウォルター・ヴァン・ベイレンドンクから長い長いメールを受信しました。そこには「あなたは今までで最悪の生徒だ」と書かれていました。これはもう卒業できないなと思いましたね。それでも何とか一ヵ月で卒業コレクションを完成させ、それこそが2015年春夏シーズンの「BAD EDUCATION」なのです。「SCHOOL RUINED MY LIFE」といったメッセージは、そのような経験を逆手に取ったものです。ウォルターをはじめとした先生達は皆、過度にそのようなメッセージに反応することはなく、逆に気に入ってくれたのが幸いでした。


所謂「アントワープ・シックス」と呼ばれるデザイナー達以外で、あなたにとってファッションのヒーローといえる人はいますでしょうか?

もし一人選ぶとすれば、それは間違いなくラフ・シモンズです。彼の生み出す服そのものだけでなく、先見の明や落ち着いたパーソナリティも含め大好きです。


リアーナが着用した「FEAR」スカーフをはじめ、その後のコレクションでも毎回キャッチーでアイコニックなスローガンが掲げられています。そのような言葉はどこからやってくるのでしょうか?

今までのコレクションで用いてきた様々な言葉は、コレクションで伝えたいストーリーを端的に表しているキーワードです。そういったスローガンを毎回必ず捻り出そうとしているわけではなく、ドローイングやグラフィックと共に自然に浮かんでくる言葉という感じです。でも2014-15年秋冬シーズンの「FEAR EATS THE SOUL」コレクションの場合は、はっきりとストリートウェア的な美学を用いたいというアイディアがあったので、力強いロゴとフォントが絶対的に必要でした。元々は大学課程の卒業コレクションとして制作していたものだったので、セールス面は全く気にしていなかったのですが、沢山の人達からの良いフィードバックを頂いたことで、「皆は私のデザインのどこを気に入ったのだろう?」「私のスペシャルな部分ってどこなのだろう?」と考えるようになりました。新しい実験を取り入れながらも、その気持ちを今でも忘れないようにしているので、それもスローガンの存在に影響しているのかもしれませんね。


また、それらのスローガンに象徴されるようにストリートの要素が強く、常にパンクで若々しい反抗的なムードがありますが、同時にどこかエレガントにも仕上がっています。そのようなレーベル、HYEIN SEOのミューズとは誰でしょうか?

先程お話ししたように、あるストーリーに沿ってコレクションを制作していくので、毎シーズンある特定のキャラクターを想像しています。それは架空のものの時もあれば、実在の友人の時もあるのですが、私が魅力を感じる人は何故か決まって、不安定で反抗的なのです。真面目な男の子や女の子には惹かれません。バッドボーイ、バッドガールについてもっと語られるべきストーリーがありますし、その時にキーとなるのが間違いなくストリートウェアのリファレンスです。そういったユースカルチャーやストリートの部分は、一緒にレーベルを手掛けているボーイフレンドの影響も大きいと思います。でも、他の要素も沢山あって、例えばハンドステッチングや刺繍、フィニッシュという部分に非常に大きな拘りを持っていますし、その点も含め「ストリート・クチュール」と評してくれる人もいます。皆さんは矛盾していると感じるかもしれませんが、実はほとんどのコレクションは古典小説や古い映画に基づいています。それがエレガンスの秘密かもしれませんね。


近年台頭してきている他の韓国人デザイナーにも、どこかパンクで反抗的なムードが共通しているように感じます。現在の韓国の新しいファッションシーンで、 何か面白いことが起こっているのでしょうか?

間違いなく今、韓国のシーンでは何かが起こっています。多くのビッグブランドは競争するかのように新店舗をオープンする一方、毎日のように新しいブランドが生まれています。ただ、個人的にはその何かが正しい方向に向かっているのかどうか判断しかねます。確かに、どのブランドもパンクや反抗的なムードを欲しています。でも、それだけ多くのブランドが追い求めている今、一体何が反抗的なのでしょうか? パンクや反抗的なムードのみでなく、ブランドや業界全体にとって問題なのは、俗に言う「トレンド」というものが、何年も変わらずに繰り返され続けていることです。より深いルーツを持って長く続いているブランドがほとんど存在しないことが、非常に残念です。


あなたは韓国出身で、アジア人デザイナーを代表する一人でもありますが、アントワープとソウルの両都市を拠点にしながら活動するメリットは何でしょうか?

個人的にはその両方の土地から恩恵を受けていると感じます。アジアにいる利点としては、目紛しいトレンドの変化を感じ取ることができることです。アジアの消費者は買い物のサイクルがとても早く、それはマネタイズにも大いに影響しています。恐らくそれこそが、ファッションハウスがアジアに投資し出店を仕掛ける理由なのでしょう。ただ、クリエーションの面では、やはり私にはアントワープのような場所が必要で、アジアのような目紛しく変化する環境では、自分自身の世界を創造することができないのではないかと思います。


韓国だけでなく、あなた自身を含めアジアから数多くの若手デザイナーが世界的なファッションの舞台に進出しています。そして彼らは、決して典型的なものをリファレンスにして自国をレプリゼントしているのではなく、よりインターナショナルな感覚で世界の舞台に挑んでいるように感じます。このような最近のアジア人デザイナーの台頭をどう思いますか?

はっきりと説明するのは難しいですが、私の世代は自分の行きたい所を選択するチャンスが与えられているように思います。でも、それは毎日24時間インターネットで世界が繋がるようになったことで、既に変わり始めています。挑戦したいこと全てにアクセスできるというのは、本当に大きなことです。私達以前の世代はずっと、自分が生まれた場所や時代と共に生きなければなりませんでしたから。それが今日では、何処にいるのかということは最早重要ではないように感じます。同じ理由から、私が表現したいものに、典型的な自国のリファレンスを使う必要も無いのだと思います。


最後に、アジアからファッションデザイナーになることを目指している、次なるジェネレーションへアドバイスを下さい。

一人でビジネスをスタートして、一人で辞めていった人を沢山見てきました。デザイナーとして自分の世界を創り上げることは大切ですが、一人で全てを出来るということではありません。なので、素敵なパートナーを見付けることがブランドを継続させるための秘訣だと思います。後はインターンシップ。私が尊敬するデザイナーは皆、大好きなブランドでのインターンを経験しています。私の学生生活で最も悔やまれるのが、インターンを出来なかったことなんです。学校で全てのことが勉強できるというわけではないので、インターンを通して、あなたにとっての本当のメンターを見付け出すことを強くお薦めしたいです。


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MATCH MADE IN HEL」で発表された2016-17年秋冬コレクション「LADY VENGEANCE」より。


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