BAJOWOO 99%IS-

真のパンクファッションを創り出す。
ISSUE 2
INTERVIEW TEXT JUNSUKE YAMASAKI
パンクだのロックだの、己のことを虚偽に形容しようとするファッションデザイナーたちを数多く目にしてきた。バンドTをパロったものを作っただけで決してパンクではないし、ショー音楽の選曲に音楽オタクぶりを披露したからといってロックなわけでも何でもない。「自分はパンクだ」などというデザイナーに限って、1ミクロンのパンクさをも持ち合わせていないことばかりだ。パンクとは内に秘める姿勢であり、自らの生きる信念のみを頼りに、クリエイションに没頭するアーティストのことを指す。のだと思う。99%IS-デザイナーのバジョウは、正にパンクロックとファッションの間を行き来し、双方を融合させるという多くのファッションデザイナーたちの夢を、本質的に実現、成功させる可能性を持った唯一のデザイナーである。彼が常々言っていること。「友情が一番大事です」。パンクロックミュージシャンと呼ばれる人たちに憧れながらも、ただの一度もドラッグに手を出すことなく、彼らのアティテュードだけを見倣い、自らのパンク精神を作り上げてきたのだ。これぞ真のパンクなのではないだろうか?

韓国・ソウルに生まれ、現在は東京を拠点に活動するバジョウ。幼少期、彼の母国ではパンクロックにまつわるものが違法だったという。「小学校六年生のときに初めてライヴハウスに行って衝撃を受けて、そのまま周りのバンドマンたちと遊び、一緒に過ごし、その結果こうなりました(笑)。韓国にはパンクの文化がなく、80年代には法律的にロックなものが禁止されていた時代があって、ロックの服が売っているパンクショップが一切なかったんです。韓国にはセックス・ピストルズのCDさえなかったんですよ。しかもその頃、韓国では日本の文化が禁止されていた時代。でも、裏では日本や他の国のパンク雑誌が売られていて、それらを見ながら『海外のパンクの子たちはこういうのを着ているんだ』と知ることができました」。そんな環境も手伝い、彼は自然と服のリメイクを始める。「お金もなかったし、服の勉強をしたこともなかったので、とにかく適当に縫ってみたんです。自分でパッチを作って服に貼ったりして、リメイクも始めていきました。それが中学生の頃ですね。例えば、赤いボンデージパンツなんて売ってなかったので、白いパンツを買って、その上に赤いマジックで塗ったり。でも、それが雨の日に全部落ちちゃったんですけど(笑)」。

それではなぜ、本気でファッションの道へ進もうと決意したのだろうか? 「子供の頃からオシャレするのが好きで、ファッションが好きで。そんな中で韓国に入ってきたのがヒップホップカルチャーでした。しかも私の住んでいた街はヒップホップで有名な所で。でも、みんなと同じことは嫌で、自分はパンクの方がカッコ良いと思っていたんです。その後、高校生を卒業して何になるかを考え始めたとき、周りのバンドマンたちが『お前はどうせ楽器もできないし、服とかを作ってるんだったら、ちゃんとその勉強をすればいいじゃん』って。確かに楽器もできなかったですし、服作りは楽しいし、そうすることで私の周りのみんなをカッコ良くできるんじゃないかと思ったんです。ただそれだけを思って韓国のエスモードに入りました。でも二年で辞めてしまいました。『布を二枚挟んで、丸を四つ空けて、頭と腕と胴体が出れば服だ』という感じの私の感性は違ったらしく、学校でめっちゃ怒られまくってました。スタイリストのアシスタントもやってみたんですけど、芸能人が好きじゃないとできない仕事だなと思って、それも半年で辞めて、その後は親戚が経営する革の工場に入ったんです。そこで服になる過程を見ていたら楽しくて、そこで働いていました」。しかし、韓国人の彼は兵役に行かなくてはならず、帰ってきた頃にはまた新たな“旅”が始まることとなる。「徴兵から戻ってきたのが2007年だったんですけど、イギリスで色んなバンドが再結成していて、『生きてるうちに見ないと!』と思ってロンドンに飛んで、二ヵ月の予定で二ヵ月分のお金を持って行ったのですが、思ったより楽しくて結局半年ほどいたんです。でもお金も住む場所もなかったので、寝袋を買って、道で知り合ったパンクの友達の家に泊まったりしていたので、半年で8キロも痩せました(笑)」。しかし彼はロンドンに住むこともなく、なぜかパンクロックのメッカとは遠く離れた、母国の隣国を拠点にすることを決意する。「セントラル・セント・マーチンズに通っている友達がいて、イギリスもいいかと思って調べたのですが、そのときのロンドンはパンクとロック、そしてファッションがつながっていなくて、パンクというイメージに変に固執していて進化していなかったんです。その一方、日本に行ってBLACKMEANSの人たちと知り合い、日本は海外の文化を取り入れて、自分たちの文化にするのが上手いと思いました」。さらに日本の魅力についてこう続ける。「韓国にはアメリカのシステムが入っていて、日本にはイギリスのシステムも入っていて、同じ英語圏のシステムとはいえ結構違うんです。韓国は几帳面ではなくて、時間をかけてやるのが苦手。でも日本はマニアックで、自分はそのマニアックなところがカッコ良いと思っていたので、日本に来たときにそこがおもしろいと感じたんだと思いますね」。

そうして東京に住むようになった彼は、ドレスメーカー学院在学中から自身のブランドを立ち上げる。「二年生のときでした。もう歳だったので、学生の間に(ブランドを)練習でやってみようと思ったんです。実は2004年に韓国でパンクブランドを作ったのですが、『ライヴハウスに行かない奴には売りたくない!』と思ってやっていたら、その結果、大きな借金を抱えてしまって……、二年でお金は返せたんですけど。卒業してからやり始めるとまた時間が掛かるかもしれないと思い、在学中に99%IS-を始めました」。そんな彼のブランドにはすぐに注目が集まり、いくつかのブランドとのコラボレーションを行った後、川久保玲の目にも留まることとなる。「コム デ ギャルソンから連絡が来て、『ブランドの資料を送ってほしい』と言われたのですが、ブランドも始めたばかりで私のことをちゃんと見せられるものがないと思い、自分でリメイクしたジャケットやパンツの写真を撮って送ることにしたんです。自分のコレクションを見せなくても、川久保さんならそれだけでわかってもらえる気がして」。それをきっかけにコラボレーションアイテムの制作をするだけでなく、東京・原宿のトレーディング ミュージアム・コム デ ギャルソンでは、99%IS-のリミテッドアイテムが常設的に取り扱われるようになる。さらに今シーズンからは、スペインのシューズブランド、CAMPERとのコラボレーションがスタート。秋にはCAMPERと共同で企画するプロジェクトも控えている。「営業をしているわけではなく、コラボレーションは話がきたときに選びながらやっています。話を聞いてみて合うところ、これだったらおもしろそう、予想がつかないからやってみたい、という思いでやっていますね。CAMPERは社長さんが来日したときに私の小さなアトリエまで来てくれて、色々な話をして、今度は私がスペインまで行って、工場で丸二日間、過去のCAMPERの靴を見たりしました。CAMPERのイメージをしっかりと持ちながら、99%IS-が入って新しいものができればいいなと。最初に作ったのは、パンクとロックの子たちが昔から履いていた形をCAMPERっぽく、今っぽくしたもの。昔の靴は重くて履き辛いですけど、CAMPERなので便利で履きやすい靴にしたいなと思いました。社内での反応も良かったらしく、2016年春夏シーズンもやることになったんです」。

こんな彼を作り上げたのは、もちろん両親の影響が多分にあると語るバジョウ。「こういう性格や考え方になったのは、おそらく父の影響です。当時は気付かなかったですけど、今思うとめちゃくちゃ変わってましたね。小学生のとき、流行っている服や物がほしくて、私が『これほしいです』って言うと、『なんでこれがほしいんだ?』って。『みんなが着ているからほしいっていうのは間違ってる。服はブランドじゃない、物だよ』って怒られて。当時は理解できなかったんですけど。あと、父は左利きだったので、シャツのポケットをわざわざ右に移し変えたり、Tシャツの縫い目がかゆいからといって裏返しに着てたり、パンクでもないのに自分の生き方でそういうことをやっていたので(笑)。『人と違うんだけど、なんかカッコ良い』という感覚は、思春期にはわかっていたので、他の人よりそうしたことに気付くのは早かったのかもしれません」。フローリストの母親からは、芸術的な色彩感覚などを無意識的に学んでいたという。「家にはインテリアやファッションの雑誌があって、妹と一緒にそれらを見ていました。それで私も絵を描くのが好きで、父の妹が美術の先生だったこともあり、プレゼントは画家の本ばかりもらっていました。当時は『ドランゴボール』がほしいと思っていましたけど(笑)。それらを見ながら、自然と色の感覚とかを吸収していったんじゃないかと思います」。

彼はファッションデザイナーという職業を通して、何を伝えていきたいのだろうか? 「私の経験とたくさんの友達の力を合わせて、そしてもちろん99%IS-だけのやり方でやっていきたいですね。私は楽器でパンクができなかったから、ファッションでそれをやりたいんです。流行やムーヴメントを作っていきたいですけど、それには服、ジェネレーション、そして文化が集まらないと人には届かないと思います。それと、今はまだ力がないですけど、友達に恩返しがしたいですね」。彼の描くパンクファッション像とは、単にライダースジャケットとスキニーパンツを合わせただけのものではなく、正義感に溢れる心の有り様を投影させたファッションであり、そうしたものが大きく欠落してしまっている既存のファッションシーンに対するアンチテーゼでもある。本来あるべきファッションの姿を、99%IS-なりのパンクな手法でクリエイトし、ムーヴメントを起こす。いや、知らぬ間に、すでにそのムーヴメントに私たちは巻き込まれているのかもしれない。


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2015-16年秋冬シーズンよりローンチした定番ライン、ALWAYS。


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2015-16年秋冬コレクションより。


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2014-15年秋冬コレクションより。


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2014年春夏コレクションより。


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2013-14年秋冬コレクションより。


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2013年春夏コレクションより。


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2012-13年秋冬コレクションより。


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CAMPERとコラボレートした初のシューズコレクション、TOGETHER WITH 99%IS-。
BLACK X BLACK BOOTS ¥38,000, BLACK X WHITE BOOTS, BLACK X BLACK SHOES ¥30,000, BLACK X WHITE SHOES ¥30,000 BY CAMPER (CAMPER)


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