ASIA & ASIAN / YOSHIKAZU YAMAGATA

ファッション探訪。/山縣良和
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僕はいつの頃からか、「ファッションって何だろう?」という漠然とした疑問を、日々考えるようになりました。というのもファッションはよく分からないことが多く、まだまだ不思議が沢山あります。僕の趣味は古本屋巡りなのですが、インスピレーションを探す他に、その謎を少しでも解きたい、知りたいという思いもあり、新たな発見を求めて、つい足を運んでしまいます。

ファッションの中心は西欧、取り分けパリを中心としたイメージがあります。僕もロンドンに5年、パリに1年ほど住んでいました。それもファッションが生まれる現場の空気を知りたい、感じ取りたいという思いで、留学を決めました。

学生時代、語学、コミュニケーションが苦手な割に、好奇心だけで行動していたことを思い出します。英語も下手くそで、フランス語なんて全く話せないのに、インターンに挑戦したり、展示会をしてみたり、ブティックのウィンドゥディスプレイを担当したり、依頼を受け、あるメゾンのクリスマスツリーのデザインなんかもやったことがあります。

僕は、ロンドンの大学を卒業後、すぐに日本に帰国して、1年後、友人と共に会社を立ち上げました。分からないことだらけにも関わらず、見よう見まねや、行き当たりばったりな行動もありつつ、ああでもない、こうでもないと、色々なことにチャレンジしました。そして、あっと言う間に帰国して約10年が経ち、もう一度プロとして、パリで作品を発表できる機会を得ました。久しぶりのパリは、僕にとって何かが違いました。それは、以前は保守的な空気も感じていたパリという街が、今は妙にファッションのキャピタルとして、しっくり来るものだったのです。10年前の僕と何が違うのか、はっきりとしたことは言えませんが、この10年間、日本をより深く知り、様々な文化や歴史を学ぼうと心掛けていたとは思います。

ファッションは何かに宿るものだと思います。そして宿りやすい空間や環境、街の構造があると思います。ファッションは、衣服だけでは成り立ちません。時間の流れ、環境と共に変化していくので、文化、歴史に深く関係しています。
   
僕が住む日本の文化、歴史を知れば知るほど、ある大きな壁のようなものにぶつかります。それは、日本を含むアジア、いや大袈裟でもなく西欧以外の国は最低でも一度、植民地化などによってアイデンティティ・クライシスを起こし、それまで培った美意識の軸から不自然な形で急激な変化を強制され、歪められてしまった歴史です。その歪められた価値観から、都市が形成され生活スタイルが作られ、文化となっていきました。そのような環境では、西欧至上主義を産み、歪んだ混沌とした価値観から、本来、本質的に長い時間を掛けて作られ、流れていた文化に対して盲目化してしまいます。

そうした現実を知り、色々な国や都市に実際に足を運んで自らが感じることが出来、自分の中でそれらの現実を、最終的にストンと腑に落とすことが出来たのが10年振りに行ったパリだったのかもしれません。パリにはヨーロッパの中でも、現在の世界の視覚の文化的価値観を感じ、文化の軸としての衣食住の環境的連動性、またそれらの歴史的連動性を世界で最も感じる場所だと感じたのです。ファッションに向き合う上で、僕達はこのような現実に向き合いながら、強い自主性によって自分達の文化を学び取り、何ができるかを考えなければいけません。それらを知ることや言葉で発することは、勉強さえすればさほど難しくはないですが、皮膚感覚の実感として理解することは物理的な課題を含めて、簡単ではないと思います。

そのような事を思う日々の中で、自分は何をすべきなのかを考えていました。そして僕は先日、日本のルーツに深い関係性を持つ「妖怪」をテーマにコレクションを制作することになりました。久々の大きめのファッションショーでしたので、とても大変でしたが、なんとか無事に開催することが出来ました。今回のテーマは、故水木しげるさんへの追悼を込めた、オマージュです。コレクションタイトルの「GEGE」は僕の出身でもある、鳥取の方言でもあり、「下下」そして水木しげるさんの幼少期のあだ名の「ゲゲ」でもあります。

以前ベーシックラインのWRITTEN BYを立ち上げた際、思い切って鳥取をテーマにしたコレクションを作ってみたのですが、それをきっかけとして地元の方々との交流が始まりました。そして年末くらいに僕の故郷である鳥取県から、鳥取のモチーフや職人さんを絡めた物作りが出来ないかというお話を頂き、何が出来るのだろうと考えていました。鳥取といったらまず最初に「ど田舎」というイメージがあり、そして鳥取砂丘、梨、蟹などの特産品が有名ですが、水木しげるさんの故郷であることも非常に知られています。ですので、しばしば「妖怪の県」ともいわれます。僕はコレクションを制作するにあたり、「妖怪」という聞き慣れた言葉が僕の頭でモヤモヤと気になっていました。

そんな矢先、あの水木しげるさんの悲報を耳にしました。僕のモヤモヤは無くなり、「妖怪」をテーマにしたものをやらねばという強い思いに変わりました。そこから現地に行って、自分なりにリサーチを行いました。まず、気になったのは、「なぜ鳥取という環境からあのネガティヴな世界を描く漫画家、水木しげるという作家が生まれたのか?」ということでした。水木しげる記念館の館長などからもお話を貰いながら、自分なりに思いを馳せていました。柳田國男や南方熊楠が民俗学研究した学術的な世界での存在だった妖怪を、日本のポップカルチャーにまで押し上げ、さらには“POKEMON”のインスピレーション源でもあり、世界の“YOKAI”へと認知させた中心人物、水木しげるという偉大な作家へのオマージュは、プレッシャーもあり、なかなか容易ではありませんでした。

水木さんの故郷である弓ヶ浜半島の先端、境港について調べていくと、妖怪の空気感がありません。元々、中国山脈から流れる日野川からやってくる砂が溜まって出来た砂州なので、妖怪の住み着きそうな森や山が無いのです。不思議に思っていると、水木さんの実家が日本海の海沿いにあり、いつも対岸沿いの島根半島を見て、妖怪が住む世界に心躍らせられていたとのことを聞き、納得しました。隣の県は神様がやってくる島根県、”神様の国”といわれる地域であり、出雲は神在月には全国の神様がやって来る場所です。神様がいそうな場所ですから、妖怪も沢山いたのでしょう。

妖怪の歴史を調べていくと、実に深い日本人の精神性に辿り着くことが出来るのが徐々に分かってきました。八百万の神様だったり、未知なる生物だったり、身体障害者や差別問題などなど。そしてのその歴史は現在でも脈々と日本の文化に継承されていること。そして水木しげる記念館の館長のお話で、一番心に残ったものがありました。「日本人は妖怪と共に生きてきた世界観であり、本来ネガティヴな存在としての妖怪も含めた世界を長年描き続けてきた」とのことです。先日、能楽師の安田登さんから「日本人はそもそもVR民族」というお言葉を頂きました。VRによって世界中の日常にPOKEMONを発生させたルーツも日本である、というのもある意味必然であったと。

先日、イタリアのファッション学校、ポリモーダの元ディレクターであるパトリック・デ・ムンクが上野の森美術館に行き、鳥獣人物戯画のような、様々な生命が同居する日本画の世界観を多く見た際に、「COMME DES GARÇONSの世界に通じる」と仰っていました。最初は「??」でしたが、話を聞いていくと、「人間中心に描いているのではなく、様々な要素が入り混じった世界観の作り方がある。その世界は西欧人にはなかなか作れない」と。確かに、「なるほど!」と思いました。本来排他されるものを中心で描こうとしたり、共存した世界を描いています。日本人デザイナーが一見アンバランスなデコンストラクションが得意なのも、そういう世界観からなのかもしれません。先日見させて頂いたCOMME DES GARÇONSのファッションショーも正にそうでしたし、魔女や化け物、妖怪など、世間から排他的に見られている異色のものをパリコレという本流の世界に投げ込むことによって、パリの人間中心的になりがちな世界に彩りを与え、多様性を生んでいます。

妖怪の歴史は綺麗事だけでは語れません。妖怪の県出身の、子供の頃から劣等感を多く持って生まれ育った僕が、ファッションに出会い、ファッションに夢見て、デザイナーを志しました。今回、自分のルーツから水木しげるさんに向き合い、思い掛けず、ファッションの世界にとっても非常に大切な事を学ばさせて頂きました。今、ようやく自分が無意識にもやってきたことや、これからもやっていきたいことが見えてきました。僕の物作りの特徴は、様々な価値観が織り合わされ、混ざり合った世界です。いつの頃からか、客観的にそう思うようになってきました。まだまだ僕が描く世界は小さく、時間も掛かりそうですが、これからも様々な生き物や価値観が混ざり合った世界、そしてより大きな世界を描けるようになりたいです。

これからも、僕のファッション探訪は続きます。


山縣良和
2005年、セントラル・セント・マーチンズを卒業。ジョン・ガリアーノのデザインアシスタントを務めた後に帰国。2007年にWRITTENAFTERWARDSを設立し、ファッションショーだけに留まらず様々な表現活動を行う傍ら、ファッション表現の実験、及び学びの場でもある「ここのがっこう」を主宰。

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