GIORGIO ARMANI

アルマーニ。40周年の軌跡、起源とその風景。
ISSUE 2
TEXT YUSUKE KOISHI
INTERVIEW TEXT JUNSUKE YAMASAKI
GIORGIO ARMANI 1

オートクチュール、GIORGIO ARMANI PRIVEの2014-15年秋冬コレクションより。


アルマーニの名前を聞く度、とある日曜日、地下鉄の中で聞いた会話を思い出す。「アルマーニを着ると何だか力が出てくる気がしてね」。ふと耳にしたそんな言葉が気になり、振り返ると話していたのは、壮年の男とその部下と思われる男の二人組だった。アルコールで少し赤くなった顔、そしてホテルの紙袋を持っている様子から見ると、同僚の結婚式に行った帰りだったのかもしれない。おそらくファッション誌すら手にしないであろうその壮年の男性が、嬉々としてアルマーニの話をしていたことが記憶に残っている。晴れ着のアルマーニ。

「劇場的なもの、その場限りのファッションが嫌いだ」とジョルジオ・アルマーニは繰り返し公言してきた。著名なファッションデザイナーは往々にしていつも同じ様な格好をする傾向があるが、彼はその代表格の一人といえるだろう。白髪のオールバックに厳しい表情、蒼い目、ダークネイビーのTシャツにシンプルなパンツ。彼のクリエーション同様、彼自身もいつも至ってミニマルでシンプルなスタイルだ。81歳になった今も最前線で働く現役デザイナー、そして会社経営者の姿。

華やかなブランドや企業が繁茂の如く現れ消えていく世界で、アルマーニは今年創業40年を迎えた。数年前には『FORBES』が発表した『THE WORLD’S MOST VALUABLE BRANDS 100』にAPPLE、GOOGLEやCOCA-COLAなど、誰もが知っている企業が上位にひしめく中でアルマーニが選出されている。数代続くファミリー企業、ファストファッション、そしてスポーツウェアブランドを除けば、特に服をメインの商材として扱うラグジュアリーブランドのアルマーニがこの中に選ばれたことに驚かされる。また、創業からまだ40年して経っていないこのブランドが老舗の空気を放っていることにも。

ジョルジオ・アルマーニは戦前の1934年、ミラノの中心地から50km、列車で1時間ほどの小さな街ピアチェンツァに生まれた。彼が物心つく前からそこには戦争の陰があった。1935年、当時ムッソリーニが政権を握っていたイタリアはエチオピアに侵攻を開始。ナチスの台頭によりヨーロッパでは動乱が始まり、1939年には第二次世界大戦が開戦する。調べたところによると、当時ピアチェンツァの街は連合軍からかなりの爆撃を受け、鉄道や橋は破壊され荒廃し、孤立してしまったようだ。その風景を想像すると、戦禍の陰で過ごした少年時代についてあまり多くを語らない彼が、家を支えてきた母親をヒーローとして度々語るのは自然なことなのかもしれない。

戦後、医者を志した彼は一度軍隊に入隊するも、偶然の導きによって百貨店、ラ・リナシェンテに勤めキャリアをスタートさせる。その後、ニノ・セルッティの下でディレクターを務めていた頃、生涯のパートナーで共同創業者となったセルジオ・ガレオッティ(1945~1985)とともに独立を決意。41歳のとき、小さなオフィスを構えた。

若い世代がすぐにブランドを立ち上げたり、起業するのが当たり前になりつつある現代の風潮を考えると、41歳での独立は幾分スロースタートに見える。しかし、この1975年に創業した会社の成長スピードは尋常ではない。創業から6年経った1982年、スティーブ・ジョブズと同じ年にアルマーニは『TIME』の表紙を飾った。同誌の表紙を飾ったデザイナーは1957年のクリスチャン・ディオールに次いで2人目。創業後、わずか数年で世界中にアルマーニの名前は広く知られることとなったのだ。

彼の成功は、社会に対する強い観察力と、大衆に対して共感できる彼独自の視点によるものだろう。インターネットもEメールもない時代、他のブランドがランウェイやファッションメディアでのパブリシティや流行にこだわり、ヨーロッパに注目している中、「リアルな現代人」が住むアメリカにいち早く目を向けた一人が彼である。セレブリティとファッションブランドのコラボレーションは今ではもはや当たり前になってしまったが、アルマーニは彼らを起用して等身大のブランドイメージを大衆に伝えてきた。

アメリカ西海岸を舞台にした映画『アメリカン・ジゴロ 』への衣装協力の後、リチャード・ギアが着たアルマーニスタイルがバーニーズ・ニューヨークの店頭に並んだ。その後、女性の社会進出の流れに注目が集まり始めたタイミングで発表された、アルマーニによる女性のスーツスタイルは働く女性に共感を持って受け入れられた。

他のブランドがこぞって映画俳優や女優たちへの衣装提供に殺到し始めると、アルマーニはブランドイメージの新しい代弁者を探すのも巧みだった。例えば、NBAロサンゼルス・レイカーズのパット・ライリー。マジック・ジョンソンが活躍していたレイカーズ黄金期の監督だ。映画や雑誌にしか出てこないハリウッドスターと異なり、毎日TV中継の画面の中で一喜一憂するNBAの監督が着るアルマーニスタイルは大衆の憧れとなり、90年代にはイタリアのラグジュアリーブランドの象徴となったのだ。

「ライフスタイルの提案」と本人が語るように、彼のクリエーションは衣食住の全領域に渡っている。メンズ、ウィメンズ、家具、カフェやレストラン、ホテルの設計と運営を手掛け、さらには70歳を過ぎてからオートクチュールラインのGIORGIO ARMANI PRIVEを立ち上げ、パリのファッションウィークにも新たに参加した。数年前からは国内外の若手デザイナーのインキュベーションにも力を入れ、今年5月には文化複合施設、ARMANI/SILOSをオープン。今現在もミラノでハードワークを続けている。

この活躍の一方で、彼のクリエーションは、その一貫したスタイルを理由に「新しくない」というイメージを持つ人々も中にはいるだろうが、本人は意に介していない。最近になって定番のスタイルをベースとしたNEW NORMALという新ラインを立ち上げたばかりだが、それはファッション界に対する彼なりのクリエイティヴな皮肉にもなっている気がしないでもない。

確かに改めて考えてみると、彼の名前は常に「バズ」を追い求めるメディアやファッション愛好家がストリート上で話題にする固有名詞ではないかもしれない。しかし、ハリウッドスターが歩くレッドカーペットから東京の地下鉄の車内まで、世界中に偏在し、アルマーニと聞けば誰もがわかる“普通の存在になってしまった”ところにアルマーニの凄みがあるのだと思う。当たり前のことを語り続け、当たり前に自分が良いと思う物を作り続ける。我々が生まれる遥か昔から存在していたかのように。

「服を着ることは、その服に人生の断片を預けることだ」という言葉がある。アルマーニの服を人が着ることは、生きることの厳しさを知るジョルジオ・アルマーニ自身の「スタイル」への信頼の証からきているのかもしれない。彼のスタイルは、現代の中で厳しく生きる人にとってエレガントなユニフォームの一つであり、今後も当たり前のようにそうあり続けるだろう。


GIORGIO ARMANI 2

幼少期のアルマーニと母マリア。
COURTESY OF GIORGIO ARMANI


GIORGIO ARMANI 3

1967年、ニノ・チェルッティ時代のアルマーニ。
COURTESY OF GIORGIO ARMANI


GIORGIO ARMANI 4

映画『アメリカン・ジゴロ』(1980)のリチャード・ギア。
COURTESY OF GIORGIO ARMANI


GIORGIO ARMANI 5

1985年春夏コレクションより、ジャケットベースのスタイル。
©ALDO FALLAI


GIORGIO ARMANI 6

シャローム・ハーロウを撮影した1998年春夏コレクションのヴィジュアル。
©PAOLO ROVERSI


GIORGIO ARMANI 7

シャローム・ハーロウを撮影した1998年春夏コレクションのヴィジュアル。
©PAOLO ROVERSI


GIORGIO ARMANI 8

NYでのアルマーニ。コレクションショーのフィッティング中。
©STEFANO GUINDANI


TEXT YUSUKE KOISHI



アルマーニ本人に投げ掛ける、5つのクエスチョン。

レッドカーペットに登場するドレスからTシャツに至るまで、様々なファッションを手掛けていらっしゃいます。デザインする上でどのような一貫したポリシーがあるのでしょうか?

それぞれの表現に共通する要素は、顧客に対してフォーカスを当てているということです。私のクリエーションは、それが服であれ空間であれ、シンプルで優雅なライン、美しい素材にこだわり、それらに触れる人たち自身にスポットライトを当てるということを一貫しています。いかなるプロジェクトにおいても、シアトリカルで過剰と思われる要素や、不要だと感じるものはを極力避けるようにしています。


あなたにとってスタイルとは何でしょうか? どのように定義し、また作ってこられましたか?

スタイルは自分自身の行為に対して、自然と残される一つの痕跡です。革新や変化を排除せず受け入れることを貫き、スタイルを作り上げてきました。洗練されたシンプルさに対する愛、美しく機能的である様々なモノ、そして露骨なセックスアピールよりも優しい威厳があることの方が遥かに魅力的だということへの確信、これらが私のスタイルの元になっているのです。


あなたにとって尊敬するヒーローやヒロインはいますでしょうか?

ココ・シャネルの掲げてきた強いヴィジョン以外に、職業上のヒーローは特にいません。私にとって真のヒロインといえる存在は母親ですね。彼女は強い女性で品位があり、決して裕福ではありませんでしたが、片時も品位を失わない人でした。


人生を通してあなたが負っている使命というのは、どんなものなのでしょうか?

使命と理想は自分自身を表現することであり、自らのヴィジョンを現実の形にすることです。私は長い間ずっとスタイルに対する強い感覚を持ち続けていますし、私の描くファッションたちがそのスタイルを表現させてくれているのです。


ファッションプロダクト以外に、今後アルマーニブランドが世界に提供していきたいと考えているものは何でしょうか?

アルマーニブランドは洗練された自然さと、タイムレスなエレガンスをベースに、そこから生まれるライフスタイルを提案しています。こうした考えは首尾一貫してすべてに通用するので、限界というものを感じることはありません。それに私自身、いつも新しいことに挑戦することが好きですし、あらゆる物事に対してオープンですからね。


INTERVIEW TEXT JUNSUKE YAMASAKI