JR

アートは世界を変えるのか?
INTERVIEW TEXT NAOKI KOTAKA
アートは時に、「自己表現」の名の下に、自分がいかに優れているかを誇示するために用いられてしまう。巨大なスタジオや高価な材料、より手の込んだ作風に、高額な取引額。アーティストの自己表現が自らの利益追求だけを目的とするなら、ロスコの絵画は単なる気味の悪い色の塗りつぶしで、ジャッドの彫刻は無味乾燥な鉄くずとしか歴史の文脈で評価されてこなかっただろう。ロスコにとっての瞑想、ジャッドにとっての平穏が、彼らのアートの真の価値であったように、アーティストにとって制作の目的とは、その作品と等しく重要な要素である。

JRというアーティストを例にとってみよう。「アートは世界を変えられるか?」。この明快な命題を自らに課して、彼は日夜世界を飛び回りながらアートを作り続ける。空調の整った美しい漆喰のスタジオも、監視カメラと赤外線によって守られた美術館の展示室も彼には必要ない。気心の知れた仲間たちと旅を続けながら、カメラと紙とブラシという限られた資材を道具に、路上というスタジオで制作を行う。路上のギャラリーに飾られた作品は、風雨とともに色褪せ、時に人為的に破かれたり、おしっこをかけられたりもする。それでも「expo de rue(路上のギャラリー)」の展覧会は、そしてそこに飾られる傷のついた作品たちは、彼にとって心から美しいと思える存在なのだ。JRにとっての作品の価値とは、その物質的価値でも市場的価値でもなく、作品がどのように世界を変えることができるか、その目的の純粋さこそが指標となる。

ここで質問を変えてみよう。「アートは何を変えることができるのか?」。世界に向けて報じられるニュースの真実性は、無自覚に私たちをメディアの奴隷にしてしまう。「パレスチナとイスラエルは互いを憎みあっている」「ブラジルのファヴェーラには目を覆いたくなるような暴力しか存在しない」。メディアの伝えることができない、実際にそこに住む人々の営みや意思は、それら時事問題の現場を実際に訪れることでしか伺い知ることはできない。優れた社会論説より純粋な探究心の方が効果的だとJRは知っている。探求心は行動の原動力となり、行動は当事者の視点にアクセスすることを可能にする。彼らの眼差しと、そこに込められた意思をポートレイト写真に封じ込め、その目的を最大限に引き出す“空間”に展示することで、その役割を発動させる。パレスチナとイスラエルを隔てる、堅牢なコンクリートの壁は今も存在し続けるが、新たな視点によって心の壁は粉々に砕かれた。ブラジルのファヴェーラから銃と暴力はなくならないが、世界の他の場所と変わらず、逞しく生きる美しい人間の営みがある。視点を共有することができれば、一緒になって変化を生みだす行動を共にすることができる。その行動がどんな変化を生み出したか、この目で確かめることができる。JRにとってのアートとは、正に「変化を生みだす力」の存在そのものなのだ。

「アートは世界を変えられるか?」。この問いを今、JRは私たちに投げ掛けている。自分が守りたいもの、自分が情熱を持って世の中に知らせたいことを、声を大にして世界に向けて発信すること。JRは「Inside Out Project」を通して、私たち誰もが世界を変えられるアーティストだと教えてくれる。スプレー缶を片手にパリの街に自分の名前を落書きしていた15歳の若者の「私はここにいる」という“個人”の表現は、彼が大切に思う友人たちへ向けた「君はここにいる」という“友人”のための表現になった。そして今、「私たちはここにいる」という“民衆”のための表現となって、世界中の20万人を超える人々の輝かしい「自己表現」を一手に請け負っている。果たして、JRは世界を変えるヒーローなのか? 「世界をひっくり返そう」というJRの呼び掛けは、世界が自分のために変わることを望むのではなく、自分らしくあるために、世界を変える。そんな、私たち誰もが内に持っている変化を生み出す力を、“インサイドアウト”する勇気を与えてくれる。JRがどのように世界を変えたのか。彼のアーティスト活動の軌跡を辿りながら、その作品に込められたメッセージを一人でも多くの人と共有したい。


民衆のためのアート。

あなたは世界のあちこちで複数のプロジェクトを同時に進めていますが、いったいどうやって切り盛りしているのでしょうか?

世界中のあらゆる路上を自分のスタジオだと思っています。旅の経験を重ねることで、制作に必要な道具や材料も、訪れた先で調達する術が身に付いていきます。私の車は、プリンターを搭載した移動式スタジオのようなもので、世界のどこにいても、いつでも作業ができます。 私のチームは親しい友人たちにより構成されており、彼らは私が作品作りに必要とする特別なスキルをそれぞれ持っています。彼らは常に良き旅の同伴者になってくれるし、世界中のどこにいても、アットホームな雰囲気を作ってくれる、本当に彼らには感謝していますね。私は常に移動を繰り返していますが、世界の様々な場所で私のチームのメンバーがそれぞれのプロジェクトの運営をしてくれています。あと、もう一人のチームメンバーはインスタグラムのアプリです(笑)。とても頻繁に移動するので、どこを訪れ、そこで何を行ったかという個人的な記録のために使っています。過去に投稿した写真を見て、これまでに出会った人々やプロジェクトについて思い返しながら、進行中のプロジェクトについて考えるんです。


知り合いが誰もいない場所を訪れるとき、どのように現地の人々との交流を築き、そして、プロジェクトへと発展させるのでしょうか?

長い時間を費やして事前にプランニングを行うプロジェクトもあれば、思い付いてその場で取り掛かってしまうプロジェクトもあります。ただし、どんなプロジェクトにおいても、ポートレイト撮影を始めようとすら考える前に、まず現地の人々の話を聞き、彼らの言葉を通してコミュニティとそこに住む人々の考え方について理解を深めることが重要な第一歩です。当事者たちの視点にアクセスすることで、コミュニティの一員として過ごした人生経験を、またコミュニティ固有の文化への知識を、アートを使って表現したいと思ってくれる人をコミュニティの中から見つけることができるのです。そうして、ポートレイト写真の撮影を行ったり、印刷した作品をペースティングする作業をともに行うことで、またプロジェクトの初めから最後まで現場でともに時間を過ごすことで、彼らとの信頼関係を築くことができます。私にとって彼らの存在は、単なる写真の被写体ではなく、れっきとしたプロジェクトの“コラボレーター”なのです。私がその場所を去るとき、プロジェクトを通して制作した私と彼らの“合作”は、彼らのコミュニティの、そして彼ら一人一人の作品となるのです。


治安状況が悪い地域を訪れるとき、あなたも恐怖を感じるのですか?

もちろん、怖いです。私もメディアを通して得た知識しか持っていませんから。しかし、実際にその場所に到着し現地の人々の話を聞いているうちに、彼らは私をコミュニティの一員のように感じさせてくれ、プロジェクトを遂行する勇気を与えてくれます。彼らとの共同作業は、私が見知らぬ環境に適応していく手助けとなり、隣り合わせに存在する危険への恐怖心を取り去ってくれるのです。


失敗に終わったプロジェクトもあるのでしょうか?

私のアーティストとしての挑戦には、“失敗”という結果が存在しません。「Inside Out Project」を始めた頃に訪れた、チュニジアのプロジェクトを例にとってみましょう。チュニジアでは、現地の人々と作品を制作し、いつものように路上に飾ったのですが、その後、彼ら自身の手により作品は取っ払われてしまいました。しかし、「路上に作品を貼る」という行為自体が、ベン・アリーの独裁政権下における、チュニジアの人々による初めての民主主義を求めるデモンストレーション的意味を持っていました。自分たちが生活する環境に何が飾られるべきか、自ら決めて行動に移したのですから。結果的に作品は残りませんでしたが、私はそのプロジェクトが“成功”したと考えています。私にとってのアートとは、人々を結び付け、各自の抱えている問題を持ち寄る機会を設けることで、彼らが生きる社会への新たな視点を生むことができると思っています。


アーティストとしてのあなたの存在や、あなたの作品に対して、行く先々でどのような反応がありますか?

ポートレイト写真というのは、私たち誰もが持っている自分本意な部分を上手く利用しつつ(笑)、コミュニティ全体の社会的意義に貢献することができる、人と人を結び付け、関係性を築くのに最適な手法だと私は思います。ポートレイト写真を撮影するプロセスや出来上がった作品に対して、行く先々の場所で受ける反応は様々ですが、大きく引き伸ばした自分の写真を見ると、誰もが嬉しそうな顔をするのです。きっと、自分を誇らしく大切に思う気持ちは世界中共通なのでしょう。彼らの喜ぶ顔を見ること、そして彼らと築いた素晴らしい関係性を保ち、時に彼らが作品の様子を写真とともに知らせてくれること、また作品についての意見を聞かせてくれることは、私にとって一番のインスピレーションです。これまでにプロジェクトに関わってくれたすべての人々と個人的に連絡を取り続けることはできていませんが、相応しい機会があれば、過去にプロジェクトを行った場所を再び訪れることもあります。


現代において、私たちは知ることも伝えることも、そのほとんどをインターネットやソーシャルメディアを介して間接的に行うようになりました。実際に現場を訪れ当事者の声を聞くという直接的な経験が、あなたの制作活動においてはどうして重要なのでしょうか?

私にとってのアートとは、直接的かつ原子的な、かつ人々が実際に最も必要している、人と人との出会いという実体験を生み出すための手段であり、作品の存在とその作品が生み出す効果を目の前で体感する、その瞬間が最も重要です。私のプロジェクトにこれまでに参加してくれた人々は、写真の美しさや大きさを気にしてはいませんでした。彼らにとっては、ポートレイト写真の撮影に参加したり、印刷した作品をペースティングする作業を通して、多くの新たな出会いに巡り合うこと、また目的を共有した一つのアートプロジェクトをともに作り上げたという実体験こそが重要だったのです。私のアートプロジェクトが参加者にとって意味あるものになったとすれば、きっと後に、素晴らしい実体験の記録として、彼らはインターネットやソーシャルメディアにその様子を投稿するでしょう。

私が考えるソーシャルメディアの最大の利点とは、自分の周りで実際に起こっていることを、離れた場所にいる人々にも発信できるようになったことです。しかし、ソーシャルメディアは同時にとても内向的な要素を持っていて、誰もが“私”という独立したメディアを手にしたことで、自分の利益にばかり意識を向けてしまう危険性があります。私が唯一ソーシャルメディアに期待することは、世界に向けて発信する、また世界で起こっているあらゆる出来事を知ることで、行動を起こすきっかけを人々に与えることです。私もソーシャルメディアを通して、新しい人との出会いや作品を知るきっかけを得ることができました。また、過去に私が行ったプロジェクトの現場を人々が訪れ、写真に撮ってソーシャルメディア上で私をタグ付けしてくれることで、私はその作品の現在の様子を知ることができます。そのようにして、作品がどのように変化をしているか、また作品に対して人々がどのように反応したかを、実際に現場を再び訪れることなく知ることができるようになったのは素晴らしいことだと思います。たまに、ソーシャルメディア上で誰かが撮影してくれた、過去に私が行ったプロジェクトの写真を見つけると、「君の家にお邪魔して写真を撮らせてもらえないかな?」とメッセージを送ります。そのようにして新しい撮影場所を見つけたり、新たな人との出会いが生まれたり、新しい作品制作をする手頃な壁を見つけるきっかけが生まれる(笑)。そのような側面においては、私にとってソーシャルメディアは重要なツールです。 


法的理由はさておき、あなたの制作活動にとって匿名性が重要なのはなぜでしょうか?

私が常に帽子を被りサングラスを身に付けているのは、これまでの活動の多くが違法だったからです。数週間前、イスタンブールの路上で作業していたときには、警察から罰金刑をくらってしまいました。路上での違法なペースティング行為を生業にしている私にとって、自分の身を守る上でこの匿名性は少なからず役に立ってきました。また、私のプロジェクトにおいて、プロジェクトに参加してくれる人々、彼らこそがアーティストであり作品の著作者ですから、私が匿名でいることで、作品を私の手から離して、参加してくれたすべての人に渡すことができるのです。

「Inside Out Project」を例にとってみましょう。これまでは、私が守りたいもの、情熱を持って世の中に知らせたいことを、多くの人の助けを借りながら世界に向けて発信してきました。「Inside Out Project」は、同じような動機を持った世界中の人々に、“彼らの”守りたいもの、情熱を持って世の中に知らせたいことを発信しようと呼び掛けています。世界中の人々から寄せられたたくさんの素晴らしい呼び掛けから、私自身も大きな勇気を分けてもらっていますし、プロジェクトの動向を見守る世界中の人々も同じように、自ら行動を起こす原動力をもらったでしょう。これまでは、私が人々に行動を起こすことを動機付けていましたが、いまや世界中の人々が自発的に互いを鼓舞し合っているのですから。2008年に「Women Are Heroes」のプロジェクトをブラジルで行いましたが、それから4年後には、当時プロジェクトに参加してくれた人々が「Inside Out Project」を自発的に行っていたのです。政府の反対を押し切って、彼らは壁一面に自分たちの写真を貼りました。結果、メディアの注目を味方にして、取り壊されるはずだった家屋を守り抜いたのです。一つのプロジェクトを発端に人々が自ら行動を起こすようになり、人々の目まぐるしい意識の変化を見るのはとても刺激的です。 


あなたにとってアートとは、人々の訴え掛けを広く世に伝えることですが、果たしてあなた自身のメッセージ、またアーティストとして目指すことは何なのでしょうか?

個人として成し遂げたいと思う、直接的なゴールは私にはありません。ただし、新しい人と出会うこと、リスクを冒すこと、間違いを冒すこと、そしてアートを作り続けるために、私は常に“自分らしく”ありたいと願っています。自分らしくあることで、失敗を恐れずに挑戦を続けること、そして自らの限界を更新することができると思うのです。


最後に、あなたにとってのヒーローとはどのような存在ですか?

自らのルールに従って生きる、すべてのアーティストたちが私にとってのヒーローです。アーティストとして生きるとは、社会の構成員として生活をしながら、自らの感性を研ぎ澄まして人々に新たな視点を伝える、そして世代を超えて語り継がれる“世界を変える”価値観を生み出すことです。周りの人になんと言われようが、どんな困難な状況にあっても、自らのルールに寄り添って生きる。つまりは、“自分らしく”生きることこそが、ヒーローであることの条件だと思うのです。


JR 1

28 MILLIMÈTRES, WOMEN ARE HEROES — ACTION IN THE FAVELA MORRO DA PROVIDENCIA, BRAZIL, 2008.
JR / COURTESY OF THE ARTIST


JR 2

THE WRINKLES OF THE CITY — RAFAEL LORENZO AND OBDULIA MANZANO, CUBA, 2012
JR / COURTESY OF THE ARTIST


JR 3

28 MILLIMÈTRES, FACE 2 FACE — SEPARATION WALL, PALESTINIAN SIDE IN BETHLEHEM, PALESTINE, 2006
JR / COURTESY OF THE ARTIST


JR 4

28 MILLIMÈTRES, FACE 2 FACE — SEPARATION WALL SECURITY FENCE ISRAELI SIDE, JERUSALEM, 2006
JR / COURTESY OF THE ARTIST


JR 5

THE WRINKLES OF THE CITY — NIDIA MULET ROJAS, CUBA, 2012
JR / COURTESY OF THE ARTIST


JR 6

THE WRINKLES OF THE CITY — ALFONSO RAMÓN FONTAINE BATISTA, CUBA, 2012
JR AND JOSÉ PARLÁ / COURTESY OF THE ARTIST


JR 7

THE WRINKLES OF THE CITY — JOSÉ DEL VALLE DE AGUILA, CUBA, 2012
JR AND JOSÉ PARLÁ / COURTESY OF THE ARTIST


JR 8

INSIDE OUT, ACTION IN KESENNUMA, JAPAN, 2013
JR / COURTESY OF THE ARTIST


JR 9

28 MILLIMÈTRES, WOMEN ARE HEROES — ACTION IN THE FAVELA MORRO DA PROVIDENCIA, BRAZIL, 2008
JR / COURTESY OF THE ARTIST


JR 10

INSIDE OUT, ACTION IN NYC — TIMES SQUARE, USA, 2013
JR / COURTESY OF THE ARTIST


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