これまでも時代の精神を的確に写真に収めてきたティルマンス。そんな彼から見た現代を取り巻く空気感とはどのようなものだろうか? 「『剥き出しの神経(Die Nerven liegen blank)』というドイツ語の言葉を、過去に何度も展覧会のタイトルに使おうと考えていました。神経が剥き出しの状態というのは、神経が極限の緊張状態にあり、完全に思考する自由を奪われた状態を指します。過度に生産的で、情報に溢れ、消費主義的で、競争的な現代社会の予兆は、10年ほど前から顕在化していました。しかし、社会がそうなってしまった今、この言葉が持っていた予見的な意味合いは失われてしまったので、結局、使わずじまいになりました」。
2016年にロンドンで開催予定の大規模な個展のタイトルを考えていた彼は、ふと、最近自分の身に起こった出来事を思い出した。「僕は昔からAdobeユーザーなのですが、ここ三週間はPDFを開く度に、シリアルナンバーを要求されるようになりました。何らかの理由で僕のメンバーシップが有効化されていなかったのでしょう。もし僕が旅行中で、長期間インターネットに接続できない環境にいたら、多大なる迷惑を被ったでしょう。プログラムの“所有”を認めないという姿勢は、利用者の立場からは許し難い行為です。僕たちはAdobe社の定期購読システムへの義務から、どうすれば解放されるのでしょうか? 僕たちは自分が受けた仕打ちに対して素直にどう感じるかを問う必要性があるのです。もし悪い予感がするなら、本当に悪いことが起こるかもしれない。もし騙されていると感じるなら、本当に騙されているのかもしれない。もし政府が民主主義の精神を奪おうとしていると感じるなら、本当に奪おうとしているのかもしれない。現代においては、全く新たな思考と行動が要求されるようになったのです。自分が感じていることや気付いていることに基づいて行動を起こさなければならないのです。20年前は特に理由もなく、良い気分がしたものです。現代においては、与えられるものを疑いなく享受することは不可能になったのです。そんな思いから生まれたタイトルが『How does it feel?(どんな気分?)』という問い掛けでした」。
インタビューの最後に、大阪での展覧会『ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours』(2015年/国立国際美術館)のタイトルについて尋ねると、彼はこのように返答してくれた。「僕たちは生まれながらに持っている身体の自由、その素晴らしい権利を諦めてはいけません。あなたの身体をどう生かすかは、あなた自身が決めることができるのです」。さらに彼はこう続ける。「現代では誰もが特別な存在でありたい、ヒーローになりたいという願望を持って生きています。ただし、有名になることや、巨万の富を築くことがヒーローの定義だとしたら、誰もがヒーローになることは不可能でしょう。憧れや夢を否定しているのではありません。ただし、現代においては多くの人々が、自分と自分を取り巻く環境をかえりみる代わりに、自分以外の誰かと、自分の存在しないどこか別の場所で、無駄な時間を費やしすぎているのです。友人の悩みを聞いたり、自分が信じる正義のためにデモに参加すること。そんな個人個人の価値ある行動に、ヒーローたる価値を与えることが、今求められているのではないでしょうか? そう、あなたの周りにもたくさんのヒーローがいるのです。自分の立ち位置と、自分を囲む素晴らしい環境と仲間を真っ直ぐに見つめれば、きっと素晴らしい時間を過ごせると思うのです。あなたが立っている、正にその場所で、今こそ行動を起こすのです」。
写真集『Neue Welt』の冒頭に掲載されているベアトリクス・ルフによるインタビューで、ティルマンスは自分の生きるこの不確かな時の流れをどのように理解しているか、「Life is astronomical(生きるとは天文学的である)」という表現を用いて説明している。地球と、地球上のあらゆる生命(事象)の存在とは、天文学における、物質とエネルギーの運動における一状態であり、私たちは分裂と結合を繰り返しながら、ひとつの総体(集合)から別の総体(集合)へと変化している運動体(惑星)の一部であると。そう、90年代のポップスターたちも、印画紙に作用する光の粒子も、イグアスの滝を流れ落ちていく何千トンもの水の雫も、デモに参加する大勢の若者たちも、彼も、私も、そしてこのインタビューを読んでいるあなたも、すべてが一つの大きな時の流れの中で、一体となって存在しているのだ。幼少時代に天文学に夢中になっていたティルマンスは、無数の光の集合の中から可能な限り一つ一つの星を識別しようと、時間も忘れて星空を見上げた。今見えたのは星だったのか、それともただの残像だったのかと。彼の作品に触れるとき、私たちが無と存在の境界に目を凝らし、現代という時を生きる意味を必死に見出そうとするとき、僕たちは一人ではないのだと、確かな実感をもって感じることができる。
MOVIN COOL, 2010
WOLFGANG TILLMANS
YET TO BE TITLED, 2015
WOLFGANG TILLMANS
INSTALLATION VIEW OF YOUR BODY IS YOURS
THE NATIONAL MUSEUM OF ART, OSAKA, 2015
OUTER EAR, 2012
WOLGANG TILLMANS / COURTESY OF WAKO WORKS OF ART, TOKYO
IN FLIGHT ASTRO(II), 2010
WOLFGANG TILLMANS
SPECIAL THANKS TO
STUDIO WOLFGANG TILLMANS
THE NATIONAL MUSEUM OF ART, OSAKA
FEDERICO MARTELLI