WOLFGANG TILLMANS

今という天文学的な時を生きる。
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INTERVIEW TEXT NAOKI KOTAKA
夢のような不条理の中を生きる。

「Neue Welt」の一連の作品からは、この地球上で繰り広げられている様々な出来事に対するティルマンスの見解を読み解くことができる。いくつかの例を交えながら、彼はそのクリエイティヴな視点を披露してくれた。「どのような形か。どのように形作られたか。二つの異なる答えを、表層は常に表しています。人工物のほとんどは、機能的、社会的、経済的な理由から、その形に必然性を持っています。ですから形とその政治性とは別個ではなく一体なのです。『Headlight』のシリーズは、一種の社会的ステータスへの憧れとも、また精巧な光の彫刻のようなデザインへの視覚的な興味とも読み解くことができます。丸や四角から複雑な形に進化を遂げた車のヘッドライトのデザインは、テクノロジーの驚異的な進歩と、それに付随する人間の身体能力の拡張を実感させることで、複雑なシステムをコントロールしているという充足感を与えます。現代において、人間はテクノロジーの補助なしには生きられない状況を的確に表しているのです。20年前の車は、親しみやすいデザインが多かったように思えるのですが、現在の車は、非常に好戦的かつ挑発的に見えます。消費者の求める充足感のあり方を、カーデザイナーが的確に察知し、デザインに反映した結果といえるでしょう。車のヘッドライトのデザインは、あたかも『行く手を阻むな!』と怒鳴り散らすかのように、資本主義に先導され協調性を失った、僕たちの生きる競争社会をありのままに表しているのです」。これらの作品は問題提起をしたり、責任の所在を明らかにするだけでなく、被写体への純粋な興味や驚きなど、ティルマンスのユーモア溢れる側面を同時に表している。

「『Movin Cool』(2010年)というエアコンを撮影した作品は、ドイツ人の僕にとって、そしてヨーロッパ北部の国々に住む人々にとって、冷房がいかに奇妙なものかを表しています。ヨーロッパ北部の気候を基準にすると、暖房は生活に必要不可欠ですが、冷房は浪費的な印象を与えます。もちろん、サウジアラビアにおいては冷房こそが必要不可欠であることは明白ですが(笑)。冷たい空気を送りこむためにエネルギー源を燃やしているのですから、冷房とは矛盾だらけの活動ですね。同じように、文明の発展とは多くの矛盾をはらんでおり、僕も例外なく、その恩恵の享受者の一人であり、生活は何不自由のないものですが、その夢のような不条理をどう受け止めるか、時にそれぞれが自問自答する必要があると思うのです」。

「『Jurys Inn』(2010年)で撮影したホテルの部屋は、悪趣味すぎて笑ってしまうような写真ですが、なぜ内装デザインがこれほどまでにお粗末なのか? その理由を考え、理解することは僕にとって興味深い行為です。ホテルの内装デザインとはそのほとんどが規格化されており、平凡かつ標準的にならざるを得ないものです。この部屋は一方でビジネスホテルの『典型例』のようであり、もう一方でこの部屋に置かれた赤い絨毯、デスクランプ、抽象絵画による特定の組み合わせは、イギリスの片田舎のビジネスホテルが営業を維持するために不可欠な実際的制約を、内装デザインに設けた結果として生まれた『固有例』でもあるのです。ノッティンガムのビジネスホテルにおける200室、そのすべてを個々に愛情を込めてデザインすることなど不可能なのですから」。ティルマンスの多義的なアプローチは時に「社会問題の賞賛である」「問題提起のフリをしているだけだ」などといった批判の対象となる。しかし一枚の写真の中に、あらゆるものが混在することを許し、対象に対する自らの否定や肯定の欲求に耐えながら、それでも観察し続けることで、世界の複雑さをそのまま作品の中に引き受けている。


剥き出しの神経。

これまでも時代の精神を的確に写真に収めてきたティルマンス。そんな彼から見た現代を取り巻く空気感とはどのようなものだろうか? 「『剥き出しの神経(Die Nerven liegen blank)』というドイツ語の言葉を、過去に何度も展覧会のタイトルに使おうと考えていました。神経が剥き出しの状態というのは、神経が極限の緊張状態にあり、完全に思考する自由を奪われた状態を指します。過度に生産的で、情報に溢れ、消費主義的で、競争的な現代社会の予兆は、10年ほど前から顕在化していました。しかし、社会がそうなってしまった今、この言葉が持っていた予見的な意味合いは失われてしまったので、結局、使わずじまいになりました」。

「世界中の至る所で現在の社会状況がいつ決壊してもおかしくないと、誰もが肌で感じているはずです。中国やアラブ諸国の経済崩壊や、戦争が勃発するかもしれない。欧州連合の団結が破綻するかもしれない。誰もが譲歩することを止め、自らの利益を守るのに躍起になっているのです。わずかな譲歩すら許容できない状況では、対立しか生まれないのです」。現代における、グローバル資本主義社会が構築する環境は、私たちの身の回りにも顕在化しているとティルマンスは説明する。「これまでの時代では、公園などの公共空間は社会における寛容さの表れでした。近年になると、多くの土地が都市の中心部で私用化され、市民に解放されていた公共空間は次から次へと商業施設に姿を変えました。ナイトライフを例として挙げれば、踊ることを規制し、その営利活動を困難にすることで、より高価な入場料を設定しなければ成立しない状況を生み出したのです。ベルリンが例外的であるのは、クラブ営業が野放し同然のため、100を超える合法と非合法のクラブが混在することを可能にしています。そんな状況では日本における入場料金設定の基準は成立しないのです。グローバル資本主義が生活の隅々にまで浸透した現代社会において、あらゆる空間と時間の潜在的用途は格好の課金対象となるのです。これは本当に残念なことですが、あらゆる余白が失われた社会が到来しつつあるのです」。彼はこうした状況に悲観的になるのではなく、冷静な視点を持ち続け、現代における有効なレジスタンスの方法について考える。「80年代と90年代を過ごした僕はとても運が良かったと思います。ただし、良い時代が二度と到来しないと誰が断言できるでしょう?」。


現代に何を問うべきか?

2016年にロンドンで開催予定の大規模な個展のタイトルを考えていた彼は、ふと、最近自分の身に起こった出来事を思い出した。「僕は昔からAdobeユーザーなのですが、ここ三週間はPDFを開く度に、シリアルナンバーを要求されるようになりました。何らかの理由で僕のメンバーシップが有効化されていなかったのでしょう。もし僕が旅行中で、長期間インターネットに接続できない環境にいたら、多大なる迷惑を被ったでしょう。プログラムの“所有”を認めないという姿勢は、利用者の立場からは許し難い行為です。僕たちはAdobe社の定期購読システムへの義務から、どうすれば解放されるのでしょうか? 僕たちは自分が受けた仕打ちに対して素直にどう感じるかを問う必要性があるのです。もし悪い予感がするなら、本当に悪いことが起こるかもしれない。もし騙されていると感じるなら、本当に騙されているのかもしれない。もし政府が民主主義の精神を奪おうとしていると感じるなら、本当に奪おうとしているのかもしれない。現代においては、全く新たな思考と行動が要求されるようになったのです。自分が感じていることや気付いていることに基づいて行動を起こさなければならないのです。20年前は特に理由もなく、良い気分がしたものです。現代においては、与えられるものを疑いなく享受することは不可能になったのです。そんな思いから生まれたタイトルが『How does it feel?(どんな気分?)』という問い掛けでした」。

ティルマンスの問い掛けは正に、安全保障関連法案の廃案を求めて大阪・御堂筋に集まった8,000人を超えるデモ参加者によって体現されることになった。彼はデモが行われることを知ると、すぐにカメラを持って大阪の街に出た。「僕にとって興味深かったのは、デモの参加者の多くが若者だったことです。トレンディな今っぽい若者たちがデモに参加する光景など、これまで僕が抱いていた日本の印象からは想像も付きませんでした。しかし彼らの情熱を目の前にして、僕がデモの写真を撮ろうと思ったのはごく自然なことでした。これまでにも何を撮り、誰を撮り、何を発表するかで、僕がどのような立場を支持しているかを公にしてきました。僕の写真を役立てられる具体的な場があるとき、写真という増幅のメディアを使って、善い行いを後押ししたいと思うのです。悪いことは常に起こりますし、完全に消え去ることはありませんから、善い行いを支援し強固にする必要性もまた尽きないのです」。デモから数日後、美術館のオフィス用プリンターで急ごしらえした、デモの様子を撮影した写真が展覧会に加えられていたのは言うまでもない。「素晴らしいアクティヴィズムが存在するとき、僕は写真家としての能力を生かして、そのアクティヴィズムをより魅力的にしようと思うのです。アクティヴィズムとは敬遠するものでも、恐れるものでもなく、最も“イケてる”行いなのです。素晴らしいダンスミュージックとアクティヴィズムは対極の存在ではないのです。最新のスニーカーを履いていることが“イケてる”のではなく、年長者や障害者を喜んで手助けするような、当たり前こそが“イケてる”と思いませんか? 写真とは、政治性、芸術性、商業性などのあらゆるキャラクターを許容することが可能で、それらの多義性は分裂したものではなく、一体化して働くからこそ素晴らしいのです」。アクティヴィズムをサポートする重要性を強調することと同時に、ティルマンスはすべての行動がメッセージ性を持つ必要はないと説明する。「『Instrument』(2015年)という映像作品は見ての通り、僕自身が踊っている様子を撮影したものです。自分のステップが作り出す音に耳を傾け、自分の身体の動きを観察しています。ただの悪ふざけであり、時間の無駄であり、完全に非生産的な活動です。ただナンセンスを真剣に捉えることは時にとても重要だと思うのです。酷く気分が悪くなるような暴力的なナンセンスではなく、愉快なナンセンスです。意味のないものに胸が躍るように、ナンセンスとは無意味であるからこそ美しいのですから」。


今、ここに。

インタビューの最後に、大阪での展覧会『ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours』(2015年/国立国際美術館)のタイトルについて尋ねると、彼はこのように返答してくれた。「僕たちは生まれながらに持っている身体の自由、その素晴らしい権利を諦めてはいけません。あなたの身体をどう生かすかは、あなた自身が決めることができるのです」。さらに彼はこう続ける。「現代では誰もが特別な存在でありたい、ヒーローになりたいという願望を持って生きています。ただし、有名になることや、巨万の富を築くことがヒーローの定義だとしたら、誰もがヒーローになることは不可能でしょう。憧れや夢を否定しているのではありません。ただし、現代においては多くの人々が、自分と自分を取り巻く環境をかえりみる代わりに、自分以外の誰かと、自分の存在しないどこか別の場所で、無駄な時間を費やしすぎているのです。友人の悩みを聞いたり、自分が信じる正義のためにデモに参加すること。そんな個人個人の価値ある行動に、ヒーローたる価値を与えることが、今求められているのではないでしょうか? そう、あなたの周りにもたくさんのヒーローがいるのです。自分の立ち位置と、自分を囲む素晴らしい環境と仲間を真っ直ぐに見つめれば、きっと素晴らしい時間を過ごせると思うのです。あなたが立っている、正にその場所で、今こそ行動を起こすのです」。

写真集『Neue Welt』の冒頭に掲載されているベアトリクス・ルフによるインタビューで、ティルマンスは自分の生きるこの不確かな時の流れをどのように理解しているか、「Life is astronomical(生きるとは天文学的である)」という表現を用いて説明している。地球と、地球上のあらゆる生命(事象)の存在とは、天文学における、物質とエネルギーの運動における一状態であり、私たちは分裂と結合を繰り返しながら、ひとつの総体(集合)から別の総体(集合)へと変化している運動体(惑星)の一部であると。そう、90年代のポップスターたちも、印画紙に作用する光の粒子も、イグアスの滝を流れ落ちていく何千トンもの水の雫も、デモに参加する大勢の若者たちも、彼も、私も、そしてこのインタビューを読んでいるあなたも、すべてが一つの大きな時の流れの中で、一体となって存在しているのだ。幼少時代に天文学に夢中になっていたティルマンスは、無数の光の集合の中から可能な限り一つ一つの星を識別しようと、時間も忘れて星空を見上げた。今見えたのは星だったのか、それともただの残像だったのかと。彼の作品に触れるとき、私たちが無と存在の境界に目を凝らし、現代という時を生きる意味を必死に見出そうとするとき、僕たちは一人ではないのだと、確かな実感をもって感じることができる。


WOLFGANG TILLMANS 2-1

MOVIN COOL, 2010
WOLFGANG TILLMANS


WOLFGANG TILLMANS 2-2

YET TO BE TITLED, 2015
WOLFGANG TILLMANS


WOLFGANG TILLMANS 2-3

INSTALLATION VIEW OF YOUR BODY IS YOURS
THE NATIONAL MUSEUM OF ART, OSAKA, 2015


WOLFGANG TILLMANS 2-4

OUTER EAR, 2012
WOLGANG TILLMANS / COURTESY OF WAKO WORKS OF ART, TOKYO


WOLFGANG TILLMANS 2-5

IN FLIGHT ASTRO(II), 2010
WOLFGANG TILLMANS


SPECIAL THANKS TO
STUDIO WOLFGANG TILLMANS
THE NATIONAL MUSEUM OF ART, OSAKA
FEDERICO MARTELLI


TILLMANS.CO.UK