WOLFGANG TILLMANS

今という天文学的な時を生きる。
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INTERVIEW TEXT NAOKI KOTAKA
時代のポートレイト。

ティルマンスの作品は、美しく、時に啓発的に時代を写真に収めてきた。政治、経済、テクノロジー、アート、ジェンダーといった時代のあらゆる側面を、写真というメディアを通して一つの作品の中に結び付ける。一見、凡庸かつ無価値に思えるような断片も、彼の手に掛かると、時代の重要な構成要素へと発展を遂げる。どの作品も生み出された時代を象徴する、いわば時代のポートレイト的な役割を担い、ティルマンスは自らが時代の代弁者となって、「時の流れ」という無形のものに形を与えてきた。『Wolfgang Tillmans』(1995年/TASCHEN)では、ユートピア的時代としての90年代をありありと描写し、「Truth Study Center」のときは「真実を研究する機関」というタイトルの通り、真実の独占が当たり前のように横行している2000年代への懐疑を投げ掛けた。「Lighter」では、写実的イメージで氾濫する00年代から写真表現を解放するために、カラー写真の純粋な物理的プロセスのみを用いた“カメラを使わない”抽象写真を考案し、「Neue Welt」の場合は、あらゆる世界の記録が写真によってなされた2010年代において、あえて自らの世界旅行の様子をデジタル写真に収めた作品を発表した。

作品とその時代性は、アートの文脈と世界全般の文脈、その双方向のベクトルを以てして、ティルマンスが作品を制作していることを明らかにしている。アートの文脈を探索するティルマンスは、写真、マテリアル、インスタレーションが持つありとあらゆる変化と可能性を総動員して、自分の表現に落とし込んでいく。自分が意図した通りの作品を生み出す手段として、写真表現を徹底的に使い込み、完璧に使いこなしていく。世界全般の文脈を探索するティルマンスは、視覚的な手掛かりを見つけ、「それは一体何だろう?」「なぜそれに興味があるんだろう?」と、自らの本能的反応を注意深く分析することで、星座、自然、人間、建築物、機械、日用品、デジタル信号などといった途方もなく広範な対象の中から、様々な相互関係を浮き上がらせてみせる。偶然のうちに何を写真に入り込ませるか、そして何を拒むのか。受容と制御の狭間でエネルギーが自由に揺らいでる状態を作り出し、その均衡を写真の中に維持する。彼が描写する時代のポートレイトは、彼自身の意図と流れる時間の中に存在する偶然とが混ざり合ってできたものなのだ。

80年代を東西冷戦の脅威と隣り合わせに10代を過ごしたティルマンスにとって、ベルリンの壁が崩壊し、そして訪れた90年代とは、すべての脅威が消え去ったように思えた時代だった。彼は24歳でロンドンに移住し、そこでアシッド・ハウスとエクスタシーの強烈な洗礼にあう。身近な友人やごく一部のマイノリティグループを被写体としたポートレイト写真や、日常に宿る美を繊細に捕らえた写真には、80年代のあらゆる権威的、制度的とされる枠組みから解放された新しい時代への、彼自身の渇望とオプティミズムがありありと描写されていた。95年に出版した最初の写真集『Wolfgang TIllmans』は、彼が90年代に向けたユートピア的マニフェストとなった。

00年代に入り、彼は制作活動のほとんどをスタジオ内で費やすようになった。小型デジタルカメラや(スマートフォン以前の)多機能携帯電話などのデジタルデバイスが普及し、誰もが簡単に写真を撮っては発表できるようになった。以前と同じアプローチでは写真に向き合えなくなったティルマンスは、“カメラを使わずに”写真を作ること、つまりは、カラー写真の現像における光と化学的プロセスのみを用いて抽象写真を作り始める。「Lighter」の一連の抽象作品は、彼自身を「写し取る」という義務から解放し、00年代の写実的なイメージの氾濫に加担することなく制作活動を続けることを可能にした。

00年代以降、技術の驚異的な進歩と並行して起こっていた政治経済の変遷の中、彼は多くの不可思議な人たちによる主張を新聞で目にするようになる。イラクの大量破壊兵器の所在を主張するアメリカの大統領や、HIVはエイズの原因ではないと主張する南アフリカの保険相をはじめとする、「真実」を知ると主張するたくさんの人々の存在を知った。彼は新聞やインターネットから関心あるテーマの資料を集め、テーブルの上に自分の写真と並べてコラージュした編集作業に力を入れた作品に取り掛かり始める。「真実を研究する機関」というタイトルの通り「Truth Study Center」の一連のテーブルを使った作品は、真実の独占が当たり前のように横行している00年代の状況への挑戦であり、ファウンドマテリアルに提示された立場の増幅器として、彼自身がどのような立場を支持しているかを間接的に伝えた。

90年代、00年代と、それぞれの時代を的確に切り取った彼の作品は、世界的に高い関心を集めるようになった。現代を生きるすべての人が、自分の生きるこの不確かな時の流れをどうにかして理解したいという願望、現代という「時間」そのものへの関心を、ティルマンスの作品があたかも逆照射しているかのようだ。2010年代、大きく様変わりした世界を目の前にして、彼はどんな時代のポートレイトを描き出すのだろうか?


醜い写真。

ティルマンスがデジタルカメラに切り替えたのは、2009年の皆既日食を前にしての出来事だった。「グローバリゼーションの巨大な受益者であった中国へ西洋人が押し掛けるという構図をずっと敬遠してきましたが、2009年に上海で観測が予定されていた皆既日食は、天文学マニアの僕にとって渡航を決めるには十分すぎる理由でした。6年前の僕は、これまでのアーティスト活動を通して築き上げた自らの表現の手法において、これ以上ない領域にまで到達していることに気付き始めていました。初期の作品が持っていた強度を保ちながら、どのように現代性を新しい作品に持たせることができるか? 写真表現に関わり始めてから20年を経て、世界の様相を自分の目で確かめる、その渇望と興味から、世界に再びカメラを向けてみようと思ったのです」。ベルリンでの展覧会『Lighter』(2008年/ハンブルガー・バーンホフ現代美術館)やロンドンでの展覧会『無題』(2010年/サーペンタイン・ギャラリー)など、作品を発表する度に世界を驚かせていた当時のティルマンスは、既に次のステージへと歩み始めていた。「自ら定めた美に関する決まり事から離れて、醜い写真を撮ろうと決めたのです」。彼の作品の印象からかけ離れて聞こえる「醜い」という言葉は、新しい作品を作るための起爆剤として、彼の制作活動を根本から問いただした。「これまでの作品とは決定的に異なるという意味で『醜い』という言葉が必要でした。僕は21世紀初めの10年間を、ほとんどスタジオに籠って制作を行っていました。その間にも、イメージの生産活動は絶え間なく続いており、世界はさらにイメージで溢れるようになりました。デジタルデバイスを通してイメージを認識することが当たり前になり、デジタル写真が現代のヴィジュアルコミュニケーションの標準になりました。あらゆる記録が写真によってなされたそんな世界に、自らを接続し直す必要性を感じたのです。その状況にあえて写真家として対峙すること、そして、その状況を俯瞰するポジションを勝ち取ることが、僕の制作動機になりました」。 こうしてデジタルカメラを手にした彼は、驚くほどの恩恵と苦難を同時に自らに課すことになる。「Canon EOS 5Dの登場は、写真制作に革命をもたらしたと言っても過言ではありません。『Neue Welt』(2012年/Taschen)の表紙に使われている、『in flight astro (ii)』(2010年)という作品は、飛行機の窓から夜空を撮影した写真です。フィルムカメラの時代には、ISO800程度でも高感度に感じられましたが、現在においては、廉価版のデジタルカメラですら、ISO1600以上の設定ができる機種が一般に普及しています。飛行機内の照明環境でも、センサーを最高感度に設定することで、1~2秒という短い露光時間でも数百の星を写真に収めることができました。このような撮影はフィルムカメラの時代には到底不可能でした。一方で、35mmフィルムカメラに慣れた僕の目には、大判フィルム相当の解像度を持つデジタル写真の鮮烈なシャープネスは、厄介な問題を突き付けました。僕はそのシャープネスをコントロールし作品に応用する方法を、長い時間かけて学ぶ必要があったのです。僕は自らに、デジタルカメラを使用した作品制作のプロセスはゴールなき実験だと言い聞かせていました」。

三年に渡る実験期間を経て、ティルマンス初の“デジタル写真展”『Neue Welt』は、2012年、クンストハレ・チューリッヒでお目見えすることになる。興味深いことに、『Neue Welt』展が幕を開ける頃には、全世界がHD(ハイディフィニション)規格にすでに移行しており、ティルマンスがデジタルカメラで撮影した作品も、その鮮烈なシャープネスも、もはや観衆にとって風変わりな存在ではなかった。なぜなら「網膜(retina)」の名前を冠した、アップル社製品に採用されている高画素密度の液晶ディスプレイに見て取れるように、人間の目の認識限界をはるかに上回る、デジタル写真の高精細に構成された世界こそが、現代におけるヴィジュアルコミュニケーションの新しい標準となっていたからだ。ティルマンスの作品は、現代において私たちが世界を認識する仕方と全く同じように世界を描き出した。


表層が語りかける真実。

「Neue Welt」の制作過程においてティルマンスが自らに課したのは、制作に関わる一切を更新することだった。彼は作品で取り上げる対象においても、慣れ親しんだ環境を離れ、未踏の地へと歩みを進めることになる。「アフリカ大陸を横断しながら野生動物を鑑賞するといった類いの、辺境や秘境に特異性を求めるエキゾティシズムに、僕はこれまで一切の関心がありませんでした。なぜなら、僕は常に普通ではない環境に身を置いてきたので、遠い世界に特異性を求める必要性が存在しなかったのです。作品制作を口実に、典型的なエキゾティシズムをあえて受け入れ、イグアスの滝やキリマンジャロなどの有名な観光地や、シドニー・オペラハウスなどのランドマーク、パプアニューギニア、タンザニア、パタゴニアなどの辺境と呼ばれる国々を訪れて、実際にそれらの場所がどのように存在しているのか、自分の目で確かめてみたかったのです」。旅の目的地を決めるにあたり、彼は先立ってリストアップしたり網羅的である代わりに、旅に行った先で、その場所からフライト可能な場所を探しては旅を続けた。「有名な観光地やランドマークなどの場所を訪れた次の日に、名前を聞いたこともないような特徴のない小さな街を、友人の親族が住んでいるという理由だけで訪れることもありました。また、実際に足を運ぶ必要がないほど、その存在が脳裏に焼き付いた観光地やランドマークなども、実際に目の前にすると想像とは全く異なっていたことがわかりました」。

一見、目的を欠いた遊覧のように見える彼の世界旅行は、果たして何を目的としていたのか? 「僕の旅の目的は、特定の場所に長期滞在をして、その土地固有の文化への理解を深めるという、いわゆる社会人類学的なことではありませんでした。僕にとって重要だったのは、現代において地球上の営みを構成するあらゆる存在をこの目で確かめること、そしてその多くを可能な限り写真に収めることでした。そうすることで『現代』という時の流れの全体像を浮かび上がらせることができると考えたのです」。彼は三週間程の旅を繰り返しながら、それぞれの短い旅程の中で、可能な限り多くの異なる場所を訪れながら撮影を行った。「目的地に辿り着いた初めの三日間は、すべての細胞が新しい環境に呼応するかのように、目にするすべてのものを知覚に焼き付けることができます。街中を歩き回り、行き交う人々に話し掛けながら、知覚の赴くままにシャッターを切る。短期滞在がゆえに、訪れる場所の最も表層的な部分が際立ってくるのです。『表層的』という言葉はしばしばネガティヴな意味合いで用いられますが、表層も時に多くの真実を内包していると僕は信じています。表層を注意深く観察することで、“蓋”を開けることなく真実を理解することが可能だと思うのです」。彼は世界旅行の傍ら、ロンドン、ベルリン、ニューヨークでも、“旧友”たちの撮影を行った。慣れ親しんだ環境に新たな視点で向き合うこと。それもまた「Neue Welt」の制作動機の一つだったのだ。


WOLFGANG TILLMANS 1-1

IQUITOS DOS, 2013
WOLFGANG TILLMANS / COURTESY OF WAKO WORKS OF ART, TOKYO


WOLFGANG TILLMANS 1-2

INSTRUMENT, 2015
WOLFGANG TILLMANS


WOLFGANG TILLMANS 1-3

HEADLIGHT(D), 2012
WOLFGANG TILLMANS / COURTESY OF WAKO WORKS OF ART, TOKYO


WOLFGANG TILLMANS 1-4

IGUAZU, 2010
WOLFGANG TILLMANS


WOLFGANG TILLMANS 1-5

WASTE POWER STATION, 2011
WOLFGANG TILLMANS / COURTESY OF WAKO WORKS OF ART, TOKYO


SPECIAL THANKS TO
STUDIO WOLFGANG TILLMANS
THE NATIONAL MUSEUM OF ART, OSAKA
FEDERICO MARTELLI


TILLMANS.CO.UK