SIMON FUJIWARA

こんにちは。僕はサイモン・フジワラです。
INTERVIEW TEXT NAOKI KOTAKA
ファッションデザイナーのマーク・ジェイコブスは、あるインタビューで自分の身分を説明するほとんどの方法にうんざりしていると語っていた。「みんな名前で呼び合えばいいって僕は言ってるんだ。何で生計を立てているとか、性的思考とか、年齢とか、誰と血縁関係にあるとか、そういうのは関係ないよ」(『Tマガジン:ザ・ニューヨーク・タイムズ・スタイル・マガジン』2015年9月号のインタビューより)。彼が言うように、個人のアイデンティティを名前だけに要約することが出来たなら、どれほど楽だろうか?

「国籍」や「家柄」など、私達はこれらの多くを自ら選んで生まれてきた訳ではない。ある者は心地良く受け入れ、またある者は大きな違和感を覚えるだろう。残念なことに、母親の胎内で出生を待つ胎児のように(既に血縁というシステムとへその緒で契りを結んでしまっているのだが)無垢なアイデンティティのまま人間は生きていくことは出来ない。私達は「関係性」の中に産み落とされ、そこで大小様々なシステムと交渉しながら、自分がどんな恩恵を受け、一方でどんな制約を課されるのかを学び取ることで、システムが許容する最大限の自由を、自らの自由として受け入れて生きていくのだ。

こうした人間の成長過程とは「個人」が「集団」に仲間入りするための儀式のようでもある。赤子は、この世に生を受けた瞬間に「家族」の仲間入りを果たし、言葉を覚え、不自由なく歩き回る頃には「学校」の一員となる。やがて教育の過程を終え、労働を始める頃には「社会」の一端を担うようになるのだ。これらの「集団」に加入することが厄介なのは、「集団」の思惑や意図が、「個人」のそれと必ずしも合致しないということである。「個人」があたかも「集団」の従順な一員であるかのように語られ、時に、個々の人はそれぞれの物語の細部を手放さなければならない。それでも「集団」のシステムが細部に至るまで、魅力的に構成されていればいるほど、「個人」はこれらの不一致に無自覚になり、逆に「集団」の一員でいたいと願うようになるのである。加えて、現代においては、私達は人生におけるリアルな物語とは別に、バーチャルな物語を手に入れたことにより、擬似的な自由を享受することになった。ソーシャルメディア上では、誰もが自分の人生物語を饒舌に語るナレーターとなり、実生活における不満や制約から自らを一時的に解放することが出来るのである。

アーティストのサイモン・フジワラの作品は、自分の生い立ちや家族の物語を取り入れながらも、それらを様々な社会的な物語に接続させることで、前述したような「個人」と「集団」の交渉の過程を、鮮やかに顕在化させてみせる。私達が何の疑いもなく受け入れている「当たり前」を検証し、そうした歴史にしても制度にしても、人間によって構築されたシステムであり、その背後には様々な理由や経緯、時には思惑が存在することをフジワラの作品は明らかにする。日本人の父とイギリス人の母を持ち、ゲイでもあるフジワラは、マジョリティでない立場だからこそ、こうした鋭い視点を養うことが出来たのかもしれない。

本号特集テーマとなっている「FREEDOM」とは、正にフジワラの作品を鑑賞する際のキーワードとなるような言葉である。フジワラは既存の価値観を丁寧に分解し、その断片を自由に組み直させてくれるが、どのように組めばいいとか、まして組むこと自体を強制したりはしない。「マジョリティ」だろうが「マイノリティ」だろうが、「黒人」だろうが「アジア人」だろうが、「ゲイ」だろうが「ストレート」だろうが、それらの価値観を分解していった先には、一人一人の「個人」の価値観があるのだとフジワラの作品は教えてくれる。


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SIMON FUJIWARA THE MUSEUM OF INCEST, 2009 - MIXED MEDIA INSTALLATION, PERFORMANCE AND GUIDEBOOK.
PHOTOGRAPH: COURTESY OF THE ARTIST


ロンドン生まれで、幼少期をヨーロッパと日本で過ごされたとのことですが、10代、20代の生活はどのようなものだったのでしょうか?

私は4歳まで日本で過ごし、以降はイギリスでほとんどの時間を過ごしました。幼い頃は誰でも、いったい自分が何者なのか、そのヒントを常に探しているものですが、私の場合は、日本人としてのアイデンティティを拠り所に、自分探しをしていたのだと思います。勿論、イギリスで暮らしていた間は日本語を話す機会もありませんでしたし、自分のもう一つの母国についてほとんど何も知りませんでした。それでも幼い私は想像を膨らませながら、自分なりの“日本人らしさ”を作り上げていったのだと思います。私は、自分が作り上げた想像上の“日本人らしさ”と共に成長し、そのアイデンティティを自分だと認識するようになったのです。


アートに目覚めたのはいつだったのでしょうか?

私の作品には自伝的要素が含まれますが、その物語が実話か作り話かどうかは重要でないと思うのです。興味深いのは、私が作り話が含まれることを幾ら伝えても、観客というのは物語の中に信じることが出来る何かがあることを望んでいるのです。そもそも私達は、自分が経験したことの真実性を過信し過ぎてないでしょうか? 私が作品で問い掛けているのは、私達が自分のアイデンティティだと信じていることの内、一体どれほどが真実なのかという問題提起なのですから。


作品の多くに「物語」の形式が一貫して用いられていますが、アーティストとして活動される以前から、文章を書く習慣はあったのでしょうか?

日記を書くことは、幼い頃の私にとって重要な習慣でした。けれども、日記を書くという行為は、自分がどんな人物で何故こんな生活を送っているかについて、自分なりの考察を紙に理路整然と記すような大層なものではありませんでした。そもそも、人生というのは実際に起きた出来事と、体験の主観的な記憶の両方から成り立っており、私は日記を書いていると、自分すら“欺いている”ような気分になったものです。ですから、私にとっての日記とは、かの優れた作家達の逸話のように、「書く」という行為を通して実際の人生が正しい方向に導かれる、そんな効果を発揮するものではありませんでした。「物語」の要素を何故作品に取り入れ始めたのか、もっともらしい答えがあるとすれば、貧乏アート学生だった私が、制作費をかけずに制作活動を行うための現実的な解決策が「書く」という行為だったのです。加えて、私は他の生徒の視線に晒されながらスタジオで作業するのが嫌いだったので、家で出来る作業を考えた結果でもありました。


なぜ、自分の人生を作品化しようと考えたのでしょうか?

「物語」の要素を、それも自分の生い立ちや家族の物語を作品に取り入れ始めたのもまた、現実的な理由からでした。アートに転向した当初、大学のクラスメイト達は、以前、私が建築を専攻していたことを理由に、私を彼等の一員として認めることに長らく否定的だったことを覚えています。その時、私は気付いたのです。アーティストとその作品とは、彼がどのような人生を送ってきたか、それによって意味付けられるのだと。故に自らが自らの目的のために「自伝」を書かなければ、自分以外の誰かの視点によって、自分が語られることになる。こうして、私は建築を学んでいた頃の自分を題材に作品を制作することで、私の視点から見た「自伝」を周囲に知らしめ、同時に、私の作品の主題とは、自分自身を理解することの複雑性や不可能性について言及しているのだと、伝えることが出来たのです。


作品を通して綴られる「物語」は、どれも結末を持たないように思えますが、これは鑑賞者に「物語」の続きを考えさせることを意図しているのでしょうか?

私は、鑑賞者に「物語」の続きを考えてもらうというよりは、断定的な結末を必要とする「物語」の形式自体を覆えそうと、作品の中で試みています。私にとって重要なのは、作品が問題を提起し、その問題への幾つかの答えを提示しながらも、それらの答えは決して絶対的な真理では無いということです。勿論、鑑賞者はそれぞれに「物語」の続きについて想像力を働かせるでしょうし、一方で、あたかも彫刻を眺めるように「物語」を審美的な観点のみから鑑賞しても良いのです。私が理想とするのは、特定の入口や出口を持たず、360°どの角度からもアプローチ可能な、そんな彫刻のような「物語」の形式なのかもしれません。主張を意図したままに伝えるための最もパワフルな方法として、私は作品中で「物語」の形式と、その効果を最大限に利用しますが、同時に、その効果を無効化させるような、弱点や矛盾点を意図的に含ませることで、その形式自体にも疑問を投げ掛けているのです。


社会的、政治的、経済的、歴史的など、作品中で扱われるトピックは多岐に渡っていますが、こうした作品の題材は、どこから、どのようにして見付けてくるのでしょうか?

現代に生活する全ての人々と同様に、新聞やテレビ、インターネットやソーシャルメディアをはじめとする、あらゆる種類のメディアから供給される情報の影響下に、私も当然のようにあります。しかし、作品の題材探しが目的で、こうしたメディアを利用する訳ではなくて、それらのメディアが奨励する、使い古された、短絡的な思考の形式に気付くと、私は自分なりの思考の形式で、そこで供給されている情報を読み解く必要性を感じずにはいられないのです。それらのメディアには、ビューワーが欲しがりそうな「答え」がいとも簡単に手に入るように用意されていますが、私はこの「答え」を利用して、そこから更なる「問い」を引き出すことで、AかBのいずれかの立場を選ばせるのではなく、「その他」の立場が存在することを示すのです。私が扱うのは、現代に生活する人々に影響を与えている事柄全般ですから、不可避的に作品には政治的な要素も含まれます。だからといって、アーティストとしての私の目的は、政治家のように人々の思考をある特定の方向に煽動することではなく、一見、対立しているように見える立場や思考を分解し、誰か他の人の観点からではなく、個々の観点から自分なりの立場を育む、そんな自由な思考のための土壌を地ならしすることなのです。


それでは、サイモンさんにとっての作品や展覧会というのは、作品制作における自らの発見を、オープンにシェアする場なのでしょうか? そこで扱われているトピックについて、皆で一緒に考えよう的な?

勿論、ある特定のトピックについて、バックグラウンドの異なる人々が集まり、共同で思考を巡らすというのは素晴らしいことですが、私の作品に関していえば、そこで議論されているトピックが馴染みの無いものであったり、単純に関心の湧かないものであれば、参加する必要も無いのです。だからこそ、私の作品は視覚的かつ物理的なインパクトを鑑賞者に十分に与える存在であり、審美的な観点のみからでも鑑賞出来る必要があるのです。アーティストとしての私の役割とは、鑑賞者と作品との間でなされるであろう、あらゆる対話の可能性を想定した、十分な複雑さを作品に許容することなのです。


正に、イギリスのEU離脱を問うための国民投票というのは、対立する二つの異なる思考の、それぞれの正当性を問うイベントだったかと思うのですが、果たして「離脱」に投票した人と「残留」に投票した人とでは、どれほどまでに“正反対”なのでしょうか?

このイベントに関する私の考察の対象とは、「離脱」を選択した人々が「保守派」で、「残留」を選択した人々が「先進派」だとか、双方が正反対の思考を持っているといったことではなく、EU離脱を問う国民投票というイベント自体がエモーショナルなものであり、その観点からすると「離脱派」の議論の方が投票者の感情に訴えかける、よりセンセーショナルな誘因を持っていたということです。「残留派」の議論とは、EUがいかに凡庸だったとして、イギリスが単一であるよりは“まし”であるという、ほとんど否定的な仕方で、その優位性を訴えていました。国家全体がエモーショナルなメッセージを待望している中で、「中立性」や「複雑性」を議論するのは分が悪いと思うのです。今回のイベントは、エモーショナルなメッセージが不可避的に孕んでしまう、強い力の存在が顕在化した一例だったと思うのです。新聞やテレビから、インターネットやソーシャルメディア、映画や広告に至るまで、あらゆるメディアを通して、私達は常日頃から膨大な量のエモーショナルなメッセージを供給されているお陰で、いざ、自分の生活に直接的に関わる議題に対して決断を迫られた時でも、無自覚に感動を与えてくれそうな方を選択しがちなのです。なぜなら、その選択をした方が、より強力な満足感を得られるのですから。


前の質問でも取り上げたように、「個人」というのは「集団」の内なる一人として括られてしまうことで、それぞれの「物語」を手放さざるを得ない場面と直面します。「日本人」であるとか、「ゲイ」であるとか、「アーティスト」であるとか、このような「集団」のアイデンティティと、サイモンさんの「個人」のアイデンティティとは、どのように接点を見出していったのでしょうか?

若い頃の私は、大多数の人が歩むような異性愛の人生を選んだり、そうした主流派のアイデンティティと、少数派である自分のアイデンティティが交わることなど、想像することも出来ませんでした。ですから、そうした集団のアイデンティティとの接点を見付けるというよりも、自分に内在する少数派としてのアイデンティティを見つめることで、自分のあるべき姿が見付かると思っていました。けれども、実際のところは、性質こそ違うものの、主流派であっても少数派であっても、「集団」の観点から「個人」が語られるというシステムは、全く同じだということに気付いたのです。ですから、私はマイノリティカルチャーの蓑に隠れて得られる安堵感の替わりに、自分が魅了されたり、自分のアイデンティティの一部となっているような、そんな「集団」のシステムさえも含む、あらゆるアイデンティティの拠り所に問題提起することにしたのです。


最後に、私達それぞれが「集団」のアイデンティティの形成に、どのような形でアクティヴに参加することが出来るでしょうか?

この質問は、私が答えるべきではないと思います。質問を考えたあなたや、このインタビューの読者の皆さんがそれぞれ考えれば良いのではないでしょうか? それよりも、表紙の話をしましょう。私のポートレートを勿論使いますよね?(笑) ユニセックスマガジンなのに表紙に男性は起用しない? これこそが、私が正に言わんとしていたことです。あなたが、なぜ女性のみを表紙に起用し、それを雑誌のメッセージとして発信するのか、その行動の一つ一つが、「男性」とは「女性」とはという議論について、今日における価値観の形成に寄与しているということお覚えておいて下さい(笑)。


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SIMON FUJIWARA WHITE DAY, 2016 INSTALLATION VIEW AT TOKYO OPERA CITY ART GALLERY
©SIMON FUJIWARA COURTESY OF THE ARTIST AND TARO NASU
PHOTOGRAPH: KIOKU KEIZO


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SIMON FUJIWARA THE MIRROR STAGE, 2009 ̶ MIXED MEDIA, DIMENSIONS VARIABLE VIDEO: 27:41 MIN ‘THE BOY WHO CRIED WOLF’, HAU1, BERLIN 2011
PHOTOGRAPHS: MARCUS LIEBERENZ COURTESY OF TATE


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