ハノイの中心部は街の中央にあるホアンキエム湖を中心に、主に南北に分かれている。北側は旧市街で、ノスタルジックなアジアの風景を求める観光客と、路面のマーケットで生活を営む地元の人々が混ざり合う。ストリートフードと排気ガスの匂いが混ざって漂うストリートには雑貨、食品、また工具や電化製品まで様々な店が並ぶが、一番目を引くのは衣料品店だろう。ベトナム国内で生産され、本来はMADE IN VIETNAMのブランド品として国外に輸出されるはずだったであろう、NIKEやADIDAS、CALVIN KLEINやLACOSTEなど見慣れたブランドの横流し品が、コピー商品とともに並んでいる。中にはCHANELのメンズウェアを売っている店まであるが、当然ながらカール・ラガーフェルドがデザインしたものではない。
「FOR THINKERS AND DRINKERS.」という看板を掲げるBAR TADIOTOは、植民地時代に建てられたオペラ座の近くにある。いかにもYOHJI YAMAMOTOがインスピレーションにしそうな、モロッコ風の古着を合わせた独特のスタイルで、いつも気怠そうにウイスキーを飲みながら仕事をしているのは、オーナーのNGUYEN QUI DUCだ。表向きにはバー、ラーメン屋、そして古着屋を経営するビジネスマンだが、本業は作家である。彼はベトナム戦争時の1969年にアメリカの西海岸に亡命した元難民だが、2006年にハノイに移住して十年ほどになる。故郷の街ではなく、ハノイを選んだのは街を訪れたときのエネルギーを感じたからだという。共産党の検閲があり本を出版することは容易ではないこの国で、文章を書く彼の店には、自然と毎晩、多様な人が集まる。ドナルド・トランプやウラジミール・プーチンも泊まるホテル、メトロポール ハノイに滞在する外国人、美術関係者、ビジネスオーナー、建築家、映像作家、写真家や編集者、少し背伸びをする若い大学生、海外で「文化人」として活動している帰国中のベトナム人、そして得体の知れない人々。ベトナム語の他に、英語やフランス語が飛び交うその場所は、混沌としたハノイと世界が繋がる薄暗い狭間である。そこはグローバル化されていないローカルな「何か」がカルチャーとして溶けていく過程を見ることが出来る生きた劇場のようだ。「出来ることなら、戦争ではなくて、70年代のゴールデン街に入り浸りたかった」と語る彼の周りを見ていると、もしかすると70年代の東京はかつてこういったものだったのかもしれないと想像してしまう。