NEXT DECADE / KUNICHI NOMURA

東京オリンピックの先なんて全く分からんことなのだけど。/野村訓市
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ファッションも音楽もカルチャーもこの数年で随分変わったと、周りもよく話をするけれど、変わったことに対して深く理解している人があまりいないように思う。もちろん、その分かったようでいて分かっていない人の中に自分も存在しているということを自覚はしているのだけれど。若い人にものが売れないとか、高いものが売れないとか、色んなところで話を聞くが、問題なのは今の40歳以上の人間、企業などでバリバリ働き、決裁権や指示を出す立場の人達が完全に時の流れに追い付いていないところだ。なまじ今までの経験や成功例が頭にあるので、その過去を基準に今を読み解くことができるはずだと思ってしまう。音楽でいうと、音を物体の所有するものとして認識している人達と、データでタダなものだということで音を知った世代とは英語と日本語くらいの違いがある。自分も含めてだが、ついつい音を所有物として無意識に考えてしまう。その結果データをせっせと溜め込んでどんどん大きなハードディスクが必要と考えてしまう世代と、音楽が所有するものという考えを持たず、ただで聴けるデータと認識する世代では、立ち位置自体が全く違うのだ。もちろんお金を払ってダウンロードしたり、CDを買ったりすることもあるだろう。でもそこには何か特別の理由がなければしない。いくらでもただで聴けるのだから。音楽は好きだが、何にでも金を払うわけではない。もちろん若いのにレコードを買ったり、カセットテープに興味を持つ者もいる。けれどそれはもう全くの別物として見ている。音がものとして存在していることをフレッシュに思う子達で、彼ら自体が、主流になることはないだろう。フィルムで写真を撮ることと同じだ。

服も音楽と同じようなものだと思っている。自分達が若い時、服は服好きの者にとって価値のあるものだった。このブランドでなければ手に入らないもの、もしくは過去に作られたもので今では誰も作れないもの。高い値段はその価値を証明するもので、長く着れるから、一生ものだから、着ていれば確実にモテたり周りの羨望を集めるだろう、という言い訳を自分の中に持って買っていた。大体、良いとされるものに似た手軽に買えるものなど存在しなかった。だからお洒落をするのには金と労力がかかった。高校生の頃、もう30年近く前のことだが、渋カジブームで古着が流行った。LEVI’S 501の、できればビッグE、それに上にも同じくLEVI’Sのデニムジャケットを揃えたりしたわけだが、できればセカンド、高けりゃサードだった。足元にエンジニアブーツを合わせるとしたらRED WING、そうでなければCHIPPEWAだった。そこまで揃えて初めて、「あぁ、あいつは分かってる奴だ」となる。友達に途中から服に興味を示した奴がいた。501の古着を買ったのはいいが、上は現行のデニムジャケット、足元はわけの分からないエンジニアに似たものを履いた。そうすると仲間内では余計にバカにされたものだった。501だけ手に入れても他がダメじゃないか、分かってない奴となる。それも一理ある話ではあった。良いとされているものを手に入れないと、あからさまに見え方が違ったからだ。だからこそ、皆いちいち何に何を合わせるか、どこのものかに細心の注意を払っていたと思う。今は違う。どんなものでも安い値段でそこそこの見栄えのものが手に入る。いちいちこれはどこのだあそこのだ、と拘りまくって揃えたくても、流行りの格好など簡単にできてしまう。服を単品で見ていくというより、ルックで見ればいいのだ。パッと見て高いものと大した区別がつかない安いものが大量に出回っていれば、わざわざ無駄金を払うものはいない。そしてそれが流行りものであれば長持ちするものである必要もない。まるでデータの音楽のようなものだ。大事な金を使うものにはそれ相応の意味があるものでないと手を出さない。至極真っ当な考えだ。ただし、安いもので手に入らないものにはちゃんと使う。スニーカーだったり、女であればハンドバッグであったり。アイコニックなものには金をかける。けどそれ以外には必要あるのか? 俺が今20歳だったら絶対にそうするだろう。

こんな時代のファッションがどうなるのか、これから10年後はどうなっているかを想像するのはかなり難しい、というか全く分からない。けれども今までと同じようにはいかないだろうということだけは確信がある。あまりにも古臭いシステムだからだ。なんでも瞬時に探せて、すぐ手に入るこの時代に、ハイファッションだから、今までこうだったからというだけで同じやり方が通用するはずがない。音楽でも雑誌でも同じことが起きているのだから。CDやレコード、それに紙の雑誌がなくなることはないと思う。が、それはあくまで特殊なものや上の世代向けで、これからまた主流に返り咲くことはないはずだ。印刷でいう活版印刷のようなもの。ファッションの世界も同じことのはずだ。もちろんファストファッションだ何だで、大きく変わったが、それでもコレクションだのバイイングだのはえらく古いものに感じる。6ヵ月後に販売されるものをショーで見せて、バイヤーがオーダーし、それがその通り売れるというのは超能力に近いのではないか? 今の、今日の気分でものを選ぶことに慣れている者を相手に。それが続くのだとしたら素直に拍手するけれど。大体、春夏と秋冬の2回のコレクションと決まったシーズンの立ち上がりというのも意味をなさないのではないか? 温暖化のせいだと思うのだけれど、最近は昔に比べて季節が1ヵ月は遅い気がする。梅雨は俺7月、下手すれば8月の頭くらいまであり、9月は盛夏じゃないかと思うくらい暑い。そんな時期に冬物を立ち上げて売っていてもリアリティがない。寒さの本番だって12月ではなく、1月や2月だ。なぜ1月がセールなのだろう? 寒くなくなる時期にすれば重衣料だってもう少し売る時間が持てるのではないか? 周りと全部一緒に合わせる必要がそもそもあるんだろうか? 俺にはその理由が分からない。

音楽は売れなくなったというが、今ほど幅広くたくさんの音楽が聴かれる時代はないと思う。一人当たりが聴く曲数を数えたら90年代よりはるかに多い気がする。情報だってそうだ。昔は一握りの異常にあらゆることに詳しい者がいたが、今の方が満遍なく色んなことを知っている。服も同じだ。誰でも簡単にそこそこの服が手に入る。枚数でいったら今が一番誰もが服を持っているのではないか? 若者の人口だって減っている中で、売り上げだけでいえば凄い数だと思う。俺が生まれた1973年は200万人を超えていた。その20年後、1993年生まれの今年24歳になる者達の人口が118万、半分強だ。その数で若者向けといわれるものの消費を賄ってるのだから。決してものを買わないわけじゃない、ただ無駄をしない、またはできないから安く済ますだけなのだ。何といっても中流と呼ばれる平均的な収入の人口が一番少ないのだ。これまたニュースで読んでびっくりしたことがあった。日本の1世帯が持つ平均所得が520万くらいで、バブルの頃より数十万少ないだけらしいのだが、分布図が全く違う。今は200万以下の所得世帯が20%以上いるのだ。そして520万という平均値のあたりが最も割合が少ない。バブルの頃は平均値に所属する世帯が一番多かった。ちょっと無理をして上のグループのようにものを買う世帯が。今は違う、一握りのとてつもなく裕福な者とたくさん持たざる者。90年代、金が溢れていた東京に育ち、元ネタのアメリカはさぞかしすごいのだろうと思い、出かけて行った時、思いの外、同年代が普通な格好をしていたことにびっくりしたことを思い出す。クソ高いカバンや服を着る高校生や大学生など、ニューヨークやロスで見かけたことはなかった。今の日本は、いやアメリカもヨーロッパもその頃と同じになっただけなのだろう。かつての日本、少し前のロシアやアラブ、今の中国やアジア新興国が金でブランドを支える。それが止まったら次の新興国は出てくるのだろうか? 出てこなければ拡大は止まる。右肩上がりなんていうのはいつかは必ず終わりが来るのだ。大量生産されたものを自分の価値観で着こなし、出所が分かるサポートしたいものをあわせて着る。ここ数年はずっと90年代ブームと言われてきたが、それは何も服のスタイルの復興だけではなく、服への態度が似ているような気がする。日本ではインポートとして入り、プレミアがついたりして高く売られていたスポーツ系の服や靴は、元々は大量生産品の高いものではなかった。グランジにしても、高いものではない。普通の古着を着こなしていただけで、全身で1万以下で揃えられるようなものだった。中途半端な価格のものや、高い割にそこまで違いが見えないものはまず弾かれるだろう。そこのものを買う意味がない。下手なマーケティングをしたところでうまくいくわけがない。皆フラットな情報のせいで、ちゃんとしているのだ。でもそんな状況だからこそ面白くなるのではないだろうか? 生産背景も、これからはもっと小規模のものでも今までよりはるかに早く服が作れるようになるはずだ。企画から生産をして店頭に並ぶまで2週間というH&Mのようにはいかなくても、だ。今でさえプリントものなら1週間から1枚でも安価で自分のものが作れる。欲しいものがないのなら勝手に作ればいいのだ。だとすると、ファッションはもっと個人的で細分化したものになるのかもしれない。だとするとブランドは、個人が作れないもの、そしてそこに買う意義を見出せるものを作るしかなくなるだろう。今もそう思っているのかもしれないが、だとしたらさらに、だ。客にもっと近寄り、オンタイムで買えるようにしなければならない。無敵のようだったハイファッションのブランドが潰れ、新しいブランドが生まれるかもしれない。安泰なものなど何もない。ファッション以外で周りを見てみれば、生まれた時から身近にあった巨大なブランドがいつの間にか消えまくってきた。家電もレーベルも、携帯も。消えたことすら気づいてないくらいに。これからは車のメーカーだってバリバリ潰れ、新しい会社が急に大きくなったりするだろう。電気自動車が普及すれば、フォードもトヨタもいきなりシェアを奪われる可能性があるのだ。メゾンと呼ばれるハイファッションブランドやファストファッションの巨大企業も、いつ新手にとって変わられるか分からない。そんな時代を作り手ではなく、着る側である人間としてはちょっと楽しみにしてる。なぜなら、何が起こったとしても、服は無くならないし、あるもので結局楽しむのだから。


野村訓市
編集、デザイン業。1973年東京生まれ。インタビュー雑誌『SPUTNIK:WHOLE LIFE CATALOGUE』と同名の海の家を手掛けた後、内外の様々な雑誌で編集、執筆に関わる。現『STUDIO VOICE』クリエティブディレクター。『BRUTUS』『EYESCREAM』『OCEANS』『GRIND』で連載中。毎週日曜日にJ-WAVEをはじめJFL5局で『ANTENNA* TRAVELLING WITHOUT MOVING』を放送中。TRIPSTER INC.所属。
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