NEXT DECADE / YUSUKE KOISHI

辺境から近境へ。/小石祐介
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人類史を通して世界の流れはパワープレイヤーの栄枯盛衰と、辺境から来る新たな力の勃興と参入によってもたらされてきた。あたかも偶然生まれているかのように見える今現在の事象の数々も、過去を振り返ってみれば全く無関係に見える辺境の動きから生まれていることがある。ファッションの世界ではいつも辺境にいるアウトサイダーがパリという中心部へ何かを持ち込むことで新陳代謝が行われている。東京からパリへ、アントワープからパリへ、ウィーンからパリへ、ロシアからパリへ……。辺境に生まれた異質な文化の匂いがパリという舞台を通して浄化され、またストリートへ還り消費されていくのだ。

私はまだ小さかったため全く記憶にないのだが、80年代から90年代前半は創造的な黄金期だったという話を耳にすることが多い。いつも話題に上るのは、COMME DES GARÇONSによってもたらされた服とは何かということに関する問い掛けや表現方法、発明された生産上の独自の加工法であり、またそこに刺激を受けたマルタン・マルジェラがもたらしたウィットのある創作と試みや、ウィーンでひっそりと活動していたヘルムート・ラングの80年代から90年代前半にかけてパリで起こしたメンズウェアとウィメンズウェア双方にもたらした潮流といったところだろうか。

辺境からもたらされたものはファッションのコミュニティの中央ではあまり馴染みの無い空気や考え方で、当時は不快に思った人もいただろうと思う。重鎮が並ぶ、エスタブリッシュされていたコミュニティの階級の中でヒエラルキーの下に位置していた当時の若者達は、自分達の味方が、代弁者が現れたとも思ったかもしれない。時を経てそのパワーバランスも変わり、当時の若者達も今や業界の中で入れ替わり、エスタブリッシュされたコミュニティの重鎮そのものになっている。上に挙げた三つのブランドのうち二つは既に創業者が引退し、会社は本人の手を離れた。そして今や現代の若者達が耳にするのは、既にエスタブリッシュされてしまった「かつての若者達」が語る、インターネットがまだろくに整備されていない時代に生まれた古事記のような伝説のような話である。今現在の生々しいリアリティは何なのだろうかと常々思う。

数十年の時代を通しで眺めてみると、その時々において強い価値観とデザインの提示を通して注目を集め、業界、ないしは社会に記録的な突風を巻き起こしてきた人物や組織の名前は数多く目にする。しかし、その持続性を伴い産業の仕組みや仕事の考え方といったバックエンドの部分までに大きな影響を与えたという意味で、現代の潮流を決定付けてきた人物や組織の名前はそうそう沢山上がらない。そういった文脈では一代で築き上げられたCOMME DES GARÇONSは忘れてはならない数少ない例の一つだろう。また、同じく一代で、そして40年で巨大なラグジュアリーブランドをゼロから作り、今も現役で多角的な活動を続けているジョルジオ・アルマーニ、或いは自身の力を使って大資本の動きに影響を与え続けるアナ・ウィンターもその数少ない例の一つとして評価する人もいるかもしれない。しかし、忘れてはならない人物がもう一人いる。KERINGと並び、今では業界のラグジュアリーブランドを多数傘下に収めるLVMHの会長ベルナール・アルノーである。

正直なところ、業界の現場ではいつもあまり表立って彼の名前が語られているのを耳にすることはそれほど多くはない。ファッション誌はおろか文化誌にもそれほどフィーチャーされる名前ではないし(『THE ECONOMIST』や『FORTUNE』などの経済誌には登場するが)、ストリートで耳にすることはほとんど無いかもしれない。若い人達の話題に上らないという意味では業界の中心にいながら辺境にいるような不思議な立ち位置なのだが、彼はファッションとは無縁だったはずの外の世界から新しく参入した真に辺境の人間だった。そして、少しずつ時間を掛けて辺境から近境へ、そして中心へと移動し、30年ほどの間に業界全体のゲームを作り変えてきた一人なのだ。本人のインタビューにも多分に書かれていることだが、少し字数を割いてベルナール・アルノーが現在に至るまでを少し紹介してみたいと思う。

ベルナール・アルノーは建設業界の人間だった。戦後の1949年、ベルギーとの国境にある街ルーベに生まれ、実家は建設業を経営していた。フランスの高級官僚や科学者、経済界の重鎮を輩出するエコール・ポリテクニークを1971年に卒業後、22歳の時に父が経営する建設会社に入社する。そこから十数年の動きが劇的だが、入社して五年後の1976年に経営者である父を説得し、会社の建設事業を売却させ、その資金を使って旅行者向けのアパートメント開発に特化した不動産業へ会社を作り変えて成功を収める。

1981年にフランソワ・ミッテランがフランスの大統領に就任し、私企業の国有化政策をはじめとする社会主義的な政策を打ち出すと、ベルナール・アルノーは米国へ移住し、同時期に移住先のニューヨークにいた財界人と交友関係を築く。そしてそこで生まれた人的ネットワークが後の活動の礎となっていく。

1984年。ちょうど今、ラフ・シモンズがディレクターになり話題となっているCALVIN KLEINや、昨年に創業者が引退してしまったRALPH LAUREN、そしてGIORGIO ARMANIといった面々が北米で栄華を極めていた頃、日本からの新しいクリエイションに湧くパリに戻ったベルナール・アルノーはニューヨーク滞在時に知り合った投資銀行LAZARD FRÈRESの関係者の支援を受け、ブサック社という経営難に陥っていた繊維業界大手グループを買収する。会社の事業は傾いていたが、この会社はグループ内にフランスの高級ブランドとして知られていたCHRISTIAN DIOR、そして百貨店のル・ボン・マルシェをその傘下に収めていた。アルノーはブサックを買収後、CHRISTIAN DIORとル・ボン・マルシェを除いて会社が保有していた会社の資産や事業を綺麗さっぱり全て売却し、ラグジュアリー・ブランドに特化した企業へと作り変える。これが彼の初めてのファッション業界への参入となる。

買収劇から四年が経った1988年、LOUIS VUITTONとMOËT HENNESSYが合併してLVMHを形成してわずか一年後のことだが、ベルナール・アルノーはこのグループの株式をビールで有名なGUINNESSグループを通じて入手する。その後、一気に株式の取得を進めLVMHの筆頭株主となり、一年後の1989年にはグループの会長へと駆け上がる。ちなみにこの年の秋にパリで行われた春夏コレクションではマルタン・マルジェラが初めてパリコレクションに参加し、実験的なプレゼンテーションで聴衆を沸かせた時期でもある。

ベルナール・アルノーが会長に就任してからのグループの成功は、世界中の大都市の目抜き通りを歩けば一目瞭然だろう。都市の中心地にある高級百貨店の一階にはほぼ必ずと言っていいほどLOUIS VUITTONやCHRISTIAN DIORのロゴが輝いている。また、老舗ブランドにおけるクリエイティヴディレクターの人事の行方は、あたかも政府の閣僚人事であるかのようにファッションメディアの中で頻繁に話題に上るニュースだが、クリエイティヴディレクターをヘッドハンティングしてブランドの上に効果的に配置するという業界の中での戦略的慣習さえも、LVMHによって80年代後半から90年代初めにかけて積極的に始められたものだ。買収した当初は勢いを失っていたCHRISTIAN DIORにイタリア人のジャンフランコ・フェレを当て需要を掘り起こし、買収先のデザイナーであるマーク・ジェイコブスを傘下のLOUIS VUITTONに当て、前衛的デザインの流行の兆しが見えるとジョン・ガリアーノをCHRISTIAN DIORに配置した。逆にエディ・スリマンなど、効果的にタレントを利用するためには組織の方を変えることもいとわず、傘下のCHRISTIAN DIORにはDIOR HOMMEを新規に立ち上げた。そして看板ディレクターは時代に合わせて戦略的かつ冷徹に取り替える。今日ではCELINE、GIVENCHY、LOEWEなど傘下に収めたブランドは16、宝飾品やその他の事業を含めると70を傘下に収める巨大企業である。

投資先はファッションブランドに留まらない。ファッション業界への大きな人材供給源であるセントラル・セント・マーチンズには巨額の投資を行っているし、あまり知られていないことだが、LVMHが運営する投資会社L CAPITAL(現在は合併してL CATTERTON)は多数のファッションアイコンを生み出す韓国の芸能プロダクションYG ENTERTAINMENTの二番目の株主であり(創業者に次いで10%超のシェアを持っている)、他にも中国のスキンケアブランドやインドを拠点とするラグジュアリーグッズのディストリビューター、広告会社やレストランチェーンなどの株主でもある。全ての投資先が本体のLVMHの事業と直接的ではないが、潜在的シナジーを生み得る未来を見据えたものとなっており、その視野は驚異的に広い。

これまでに沢山の大資本家がファッションブランドの買収劇を演じてきたが、ベルナール・アルノーほど抜きん出て成功してきた投資家の例は殆ど無い。おそらくこれはファッションという世界の中に数字では表現しにくい、非言語化された独特の商習慣やプロトコル、倫理感が存在しているからで、資本を注入すれば成長するという簡単な図式の障害になっていたからだろうと思う。アルノーの成功はおそらく、元々は辺境の人間でありながら、複雑な業界内にある原理や倫理を解読し、その言語を書き換えることが出来たからこそ生まれたものなのだろうと思う。

今日ではブランドがこうした巨大なホールディング会社の傘下に収まることは当たり前になってしまった。確かに多くのデザイナーの出身国は市場が飽和しているため、沢山の販売チャネルを持つ大資本と繋がることは大きなメリットになる。企業を立ち上げて自分のペースで少しずつ拡大していくという昔ながらの戦略をとることよりも、デザイナーを含むブランドの創業メンバーが外部資本の注入を歓迎し、そのネットワークを使って成長を加速させ、頃合いを見て売却をしてしまう。確かにその方が経済的メリットは大きいのかもしれない。

しかし、最近その副作用も見え始めている気がしてならない。創り出されるアウトプットが実際に物を消費する消費者や顧客ではなく、有名なショップやインフルエンサー、更に極端な例を言えば投資家を向いてしまっているブランドも随分と多くなってしまった。物を売って成長を重ねるのではなく、瞬間的な注目を集めて外部資本の注入を誘う。もはや創り出される服や靴は商品ではなく宣伝材料でもあり、それを作るブランドや会社、ないしは人自体が売り物になっている。

巨額の資本の動きに右往左往される業界の様子を見ていると、ファッションの世界も少しアメリカのシリコンバレーに似てきたように思えてくる。注目さえ浴びると未完成なプロダクトを作るスタートアップに沢山の投資家が群がり、投資家を集める口実を作るためにスタートアップは様々な広報活動を行う。更にはその広報活動のための新しい会社が生まれるという始末である。実際に行われる投資の大半は勿論成功しないのだが、一度上場や売却ともなれば小さな投資が何倍のリターンとなって返ってくる成功体験の拡散は更にそのゲームのプレイヤーを呼び寄せる。

2017-18年秋冬コレクションでBALENCIAGAが「KERING」のロゴをプリントしたスウェットを発表した。ストリートでは話題にならなかった業界のバックエンドの企業名が表に出てくる時代になったのかと思うと、この世界に一つの転換期が迫っているような気がしてならない。実際にいまやシリコンバレーをはじめとした外側からまたファッションの外縁へと人が流れ込み、辺境には次のベルナール・アルノーの座を狙う影がちらつき始めている。

今ファッションとは何なのだろうかということを考える時期に来ていると思う。そもそも「ファッション」のデザインとは、何を射程にしたものなのだろうか。自らの意思だけで装いや生き方を選ぶことの出来なかった時代、かつてファッションは人を記号として見る世界をハックするための革命装置だった。誰もが衣服や生き方を選択出来るようになった今、我々は何をハックすればいいのだろう。こんなことを考える時、筆者が20代前半の頃に出会った荒川修作氏の言葉をふと思い出す。芸術家と建築家の間を絶え間なく運動していた彼は、いつもこう言っていた。「社会を変えるためには、その構成要素である人間の倫理を作り変えなければいけない」と。そして「それを可能にするためには、人間の身体を変えなければならない」と続けた。ファッションも今、こうした長い射程を大胆に見据えてもいいのではないかと思う。UNFASHIONABLEかもしれないが。抽象的に大胆に。今までにないやり方や考え方を。もし世の中を人間の倫理まで変えられるなら、その可能性に集中して時間を割いてみるのはそんなに悪くないような気もする。いつも革命は辺境から生まれてきたのだから。


小石祐介
青森県三沢市出身。国内外のブランドの企画、デザインやコンサルティングを行うKLEINSTEINの代表。また組織の枠組みや分野領域を問わず様々な企画を立ち上げ展開するNOAVENUEを主宰。文筆家としても活動し、文芸誌などに寄稿している。
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