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YASUMASA MORIMURA
華氏451度の時代を生きる 4/4
ISSUE 1
INTERVIEW TEXT NAOKI KOTAKA
森村泰昌
アーティスト
現代とはどういう時代でしょうか?
現代とは、正にレイ・ブラッドベリ作のSF小説『華氏451度』で描かれている世界の到来を思わせる時代になりましたね。1953年作とは思えないほど、現代の世界情勢を見事に予見していたかのような内容です。華氏451度というのは、紙が燃え始める温度を指します。そこに描かれるのは、いわゆる焚書をテーマに、本を読むことも持つことも禁じられた近未来社会を舞台とした、考えることを放棄してしまった後の社会です。本を読んで色々な考え方が生まれると、生産能力が著しく低下する。だから、本を読むのをやめよう、燃やしてしまおうという社会の中で、思考力と記憶力が失われていく。今現在の日本が置かれている状況に似ています。日本という国が危機に立たされたときに皆が同じ考えを持ち、皆が気持ちを一つにして対応しなければいけない。そのようにせき立てられる。物事を冷静に考えることができない状況が生まれ、「日本人らしさ」という、本来なら色々な意見が交わされるべき価値観を一つの型にはめ込んでしまう。そうなるときに、平和や自由という大義名分が別のものにすり替えられ、「日本人らしさ」という価値観が全く別の働きをしてしまう危険性に社会全体が気付いていません。そんな時代だからこそ、僕は芸術を通して色々な価値観を許容できる環境が生まれてくれば良いなと思っています。
現代における芸術の役割とは何でしょうか?
エンタテインメントというのは、ある知人の意見によれば自分の予め知っている価値観をなぞって楽しむゲームだといいます。 例えば、あるアニメのキャラクターがいて、そのキャラクターを可愛いと思っている。その可愛さの表現を目一杯、色々な方法でサービスされるのが楽しい。芸術というのは、自分が知らなかったり理解できないことを考えることが楽しい。ただし、今の社会はお金さえ払えば何でもやってくれるので、提供されることが当たり前になっている。エンタテインメントだけで満足してしまうと、自分の予め知っている価値観の範囲内でのみ生活するようになる。インターネットも同じで、インターネット上の情報の存在に慣れてしまうと、その周辺に存在するものすごい膨大な量の情報の存在に気付かなくなってしまうと思うのです。その一方で、芸術というのはお金を払って美術館に行っても、理解できないものばかり並べてある。美術作品というのは、一度見ただけでは理解できないものばかりですが、取っ掛かりをもらった瞬間に見えなかったものが見えるようになる。感情のなかったところに感情が芽生えてくる。自分から未知の価値観にアプローチしていくことで、これまで語られなかったものや、見えにくかったものを感じ取ることができる。そうして豊かな眼差しが育つのだと思います。
僕の知っているアーティストにスタンリー・ブラウンという人がいます。彼は自分と自分の作品に関する情報の一切をカタログやインターネット上に残しません。なので、彼について知りたいと思ったら、実際の作品を見なければなりません。彼はオランダ領スリナム共和国に生まれ、1957年にオランダに渡り、アーティスト活動を始めました。そこで彼が取り掛かったのは、通行人に行きたい場所への道順を尋ね、手に持った白い紙に道順を描いてくれとお願いすることでした。描く人もいれば、何も描かない人もいる。その後、彼は何も描かれていない白い紙も作品として発表しました。何も描かれていないのは、当時のオランダにおいて黒人である彼の話を真剣に相手する人が誰もいなかったことを意味しています。ただし、作品にはそのような説明は添えられていません。ただし彼について少し知ると、何も描かれていない白い紙がただならぬ重みを帯びてくる。彼のアーティストとしての姿勢や作品の在り方からは、そんな一貫した美学を感じることができます。
僕がヨコハマトリエンナーレ2014のアーティスティック・ディレクターのお仕事をいただいたときに、彼に出品依頼をしました。彼に連絡するには手紙か電話、または直接会いに行くしかない。しばらく連絡を試みたのですが全く連絡がつかない。オランダに行く担当キュレーターに手紙を託し、彼の家まで会いに行ってもらうが、扉を叩いても返事がない。置き手紙をして、翌日もう一度会いに行くと、手紙はなくなっているのでどうやら彼はその家に住んでいるらしい。それからしばらく経ち、諦めかけた頃に、彼から事務局に電話がかかってきました。そこで担当キュレーターが、展覧会の趣旨を説明をして、ジョン・ケージの『4分33秒』という作品や、カジミール・マレーヴィチの作品と同じ空間で展示することを伝えると、大変喜んでくれました。出品料が少額だったので、恐る恐るその旨を伝えると、ただ一言「助かる!」と言って出品を快諾してくれました。
彼にまつわる有名なエピソードですが、NYで彼の展覧会が開かれたときに、オープニングにはたくさんの人が詰め掛けましたが、展示室は空っぽでした。会期中に彼からミュージアムに電話が入り、展示室の壁に線を引けという指示がある。次の日にも、別の線を引けという指示がある。完全に人を食ったアーティストだと思いません?逆説的だけれども、表現しないことがとても強い表現として現れてくる。一生懸命に絵を描こうとするときに、そんな表現の存在を知ると美術的冒険の計り知れない可能性を信じてみようと思うのです。
美術史の娘(王女A)
1990. 210x160cm カラー写真に透明メディウム
SPECIAL THANKS TO NATSUKO ODATE AT ISSHIKI YOSHIKO OFFICE.
ALL IMAGES COURTESY OF THE ARTIST AND YOSHIKO ISSHIKI OFFICE.
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