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BIANCA CHANDÔN
スケート、写真、そしてファッション。
ISSUE 3
INTERVIEW TEXT JUNSUKE YAMASAKI
PHOTOGRAPHY BY JUNSUKE YAMASAKI
初めてBIANCA CHANDON(以下BC)に興味を抱いたのは、『THEM MAGAZINE』用のスタイリングについて、そのファッションストーリーで写真を撮ることになっていたゴーシャ・ルブチンスキーとやり取りをしていた時のこと。「BCとかも入れようよ!?」と彼から提案を受け、即リサーチをしてみた。ブランドの存在についてはぼんやりと認識はしていたが、リサーチをしていくに連れて、そのグラフィックセンスに引き込まれていき、更にはデザイナーのアレックス・オルソンにも興味が湧いてきたのだった。
どうにも論理的に証明することができないのだが、まずはこのブランド名の響きが気になって仕方が無かった。女子の名前? お酒の銘柄? 「名前を決める時にこだわったのが、聞き手がその響きから何か特定のものを連想しないようにするということでした。固有名詞である『BIANCA』がいいなと思ったきっかけは、馬をモチーフにしたロゴ作りをしている時に、1977年にSTUDIO 54で誕生日のお祝いをしていたビアンカ・ジャガーが馬に乗って登場したことを思い出して、この一連の作業がインスピレーション源となって『BIANCA』という名前を採用しました。それだけでは登録できなかったのですが、何か名前に付け足すにしても“いかにも”という型にはまりたく無かったので、スケートボードに関連した言葉は取り入れないつもりでいたんです。そこで僕自身のミドルネームがまるで苗字のような響きを持っているので、『BIANCA』に足してみたらちょうどいい感じにマッチしたので『BIANCA CHANDON』に決めました」。そしてブランド名以上に気になっていたのが、日本語で書かれたグラフィックだ。今思えば、BCのこの大胆な行動こそが、昨今、ありとあらゆるファッションブランドからリリースされている「日本語グラフィック」の潮流を作ったようにも思える。我々日本人にとってはクールなものとして受け入れることが難しいはずの日本語のグラフィックも、心地良い違和感と共に日本人達にもしっかりと受け入れられているのだ。「日本語にした理由は、日本文化のファンだからかな……? 大好きなデザイナーの多くが日本人ですし、日本語は純粋に見た目も美しい。何て書いてあるかは分からないけれど、袖に沿って縦に流れる文字を見て、何となく当時の自分の心境にしっくりきたんだと思います。今まで作ったデザインの中でも、最も気に入っているアイディアの一つです」。
そんな彼はデザイナー以前にプロスケーターであり、著名なプロスケーター、スティーヴ・オルソンの息子でもある。「父親がプロスケーターだったので、スケートボードは常に身近にありました。生後16ヵ月でスケボーに乗っている写真があるくらいです。勿論その時の記憶はありませんが、自分のスケートボード史はそれくらい昔まで遡ります。サンタモニカ出身なので、スケボーやサーフィンはバスケや野球と同じくらい一般的なスポーツですし、常に身の回りにある存在でした。スケーターのキャリアとしては19歳か20歳くらいまでスポンサーが付かなかったので、当時としては遅咲きだと思っていましたね。2004年にはSUPREMEがLAに出店したので、そこによく顔を出しては、尊敬するプロスケーター達と仲良くなることが出来ました。また、スポンサー契約があると色々な場所に行けるので、凄く魅力的でしたね。初めて遠征で訪れたのがオーストラリアで、それが2005年のことでした。アメリカを出たのもその時が初めてだったんです。子供の頃からビデオで観て憧れていたようなプロ達と一緒に旅が出来たのは、正に夢が叶った瞬間でしたし、自分にとって大きな変化の時でした」。そんな彼にとってのファッションへの目覚めもまた、スケートカルチャーの影響が大きかったようだ。「若い頃はほとんどスケボーブランドやサーフィンブランドばかり着ていました。僕が思うに、スケーターとは最も自意識の強い人種で、全てが計算済み。というのも、子供の頃から憧れているプロスケーター達がいて、彼らそれぞれのスタイルを観察する癖が付いているのです。それを見て、真似て、自分のものにする。多くのスケーターは古着屋さんに通い詰めていますし、僕もその一人です」。
そして今では、彼自身がファッションを生み出す側に回っている。「スケートボーダーとしてのスポンサー契約を解消した直後でした。あらゆることに辟易していて、もうスケートボード自体を止めてしまおうかとも思っていたくらいで、でもそれなら代わりに新たなことを始めようと思い立ったんです。PALACEがやっていることを見て『カッコイイ!』と思ったのがきっかけでしたが、最初は会社を立ち上げることすらも完全に実験でしたね。全てがDIYで模索状態。ファッション的な要素を取り入れたいと思いながら、インスピレーション源を探していた時に読んでいたのが90年代の『PURPLE』でした。ファッションに関わっていけたらいいと思いますが、まだまだ課題が山積みですし、タイミングも凄く重要になってくると思います」。ただ、実際のデザイン業務についていえば、もちろん彼は完全に素人であるというから、そこはサポーター達の手助けが必須である。「ルームメイトのショーン・ジョスウィックが10年以上も服作りをしていたので、彼に何でも聞いて、見せてもらって、沢山のことを教わりました。自分で裁縫も試してみましたが、簡単じゃないですね……。僕自身は、興味のある画像やグラフィックを集める以外には、特にデザインプロセスと呼べるようなものはありません。シャツに合う色を決めるにも、目に心地良くて、シンプルであること以外には特に決まったやり方がある訳ではありません。インターネットで情報を漁り、沢山本を読むことくらいですね。見落としがちな身の回りの些細なことに目を向けてみたり、ちょっとしたことがデザインのプロセスへと繋がっていくと思っています」。
果たしてどのような日常を、どれくらいの規模のスタッフ達と過ごしているのだろうか? 「まず欠かせないのはコーヒー。そして一日の始めは何よりも先に音楽をかけるようにしています。午後12時か1時頃にはBCオフィスに出社して、5時頃まで働いて、その後はなるべくスケートボードをしに出掛けていますね。スタッフは自分を除いて現在3人です。オフィスの一つ目はLAにあって、そちらはウェアハウスと呼んでいますが、実質は倉庫のように使っています。二つ目がNYにあって、そこがデザインオフィスです」。更に彼はフォトグラファーとしても活動している。今ではファッション誌の撮影も手掛けているのだ。「フォトグラファーでもあるスケボー仲間達の影響で、ずっと写真を撮ることに興味がありました。16歳くらいの時にエド・テンプルトンからスケートボードを譲り受けたんですが、彼はいつも片手にカメラを持っていたので、その使い方を知りたいと思っていたんです。その数年後、友達がCONTAX T3を購入して撮った写真を見て、『僕の方がいい写真を撮れる!』と思って、すぐにオークションサイトでカメラを買って写真を撮り始めました。本当は写真の勉強をしたかったのですが、専門の学校に行くことができなかったので、それなら現場で学んだ方が早いと思って行動に移しました。実際、現場では多くを学んだのですが、それからは特に進展も無く、以前ほどの興味は無くなってしまいましたね。ただ、ずっとファッションフォトには関心があったので、ある日『POP MAGAZINE』のスティーヴィー・ダンスから『ファッション・シュートには興味が無いか?』という内容のメールが届いた時はとても驚きました。彼と『OYSTER MAGAZINE』のエディトリアル撮影をして、そこから徐々に仕事が入るようになりましたね。今ではとても順調でペースも早いですが、あのような機会に恵まれたことに感謝しています」。
「CALL ME 917」名義のスケートブランドもローンチさせたアレックス。今後、BCブランドをどのように育んでいこうと考えているのだろうか? 「ACNEやA.P.C.のようなブランドに成長していければと思っています、高望みではあるんですけどね……。ブランドを持つというのは膨大な勉強量が必要とされますし、上手く立ち回る必要性があります。今はとにかく、ただ単にTシャツを作る以上のことをしようとしている段階です。バッグやシューズにも挑戦したいですね」。しかしながら、2015年春夏シーズン以降、新商品がリリースされていない。ドーバー ストリート マーケット用に制作した限定のパーカとTシャツのみ。BCに何があったのか? 「このように言っておきましょう……、大きな壁にぶつかって、まだ状況改善中です……。次のコレクションはもうすぐ発表する予定ですが、内部で少し問題があって致命傷を追うところだったので、今は軌道修正をしている最中なんです」。何はともあれ、一日も早く新作がリリースされることを祈りたい、世界中のBCファン達と共に。
PHOTOGRAPHY BY VIKTOR VAUTHIER
BIANCACHANDON.COM
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