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J-NERATION / LIEKO SHIGA
未来を創る才能たち。/志賀理江子 3/9
ISSUE 1
INTERVIEW TEXT NAOKI KOTAKA
志賀理江子
PHOTOGRAPHER
命をつなげていく
「自分の内に解き明かせない秘密めいたものがあって、その実体に近付きたい」。制作に駆り立てるものは何なのだろうか? その問いに志賀はこう答えた。「身体と精神を維持するために沸き上がる生理的欲求とは別に、ここに生きて世界とつながる実感を探している」。そんな当たり前に思えるような感覚を、志賀は日々必死にたぐり寄せようと試みている。生活維持のための金銭を稼ぐために仕事をしながら、制作はあくまで個人の嗜みとする。志賀にとっての制作活動とはその真逆に存在する。つまり、志賀にとっての制作活動とは日々の生活を全うすることそのものなのである。「目が見えて、耳が聞こえて、色々な感覚を自分の身体が感受すること」。身体の感覚を研ぎ澄まし、そこから感じる一つ一つの感動に目を凝らすことで制作活動そのものが切実さを帯びるようになる。
「人間は一人では生きていけない」。志賀は「社会」という言葉を「もう一人の他者」という言葉に置き換え、「生きている実感」を「もう一人の他者」との関係性の中で育む。彼女のこうした感覚は、ロンドンの大学でファインアートを学んだ環境により強くなっていった。彼女がロンドンで経験した芸術教育の在り方とは、生徒が入学したときから一人のアーティストとして扱われ、定期的に制作過程の作品をプレゼンテーションするというシンプルな方法だった。学科の講師と生徒が全員集まり、人の輪の中心に作品を据えて、作品について意見を交わす。このプロセスの繰り返しの中で、作品を共有する場があるという認識が生まれ、制作活動とは自分の外にある世界とも関わるためにある、と自然と考えるようになっていく。
「写真の空間は、ただの紙切れから生身の人間と同等の扱いをされ、祈りの対象となるまで、価値に触れ幅がある」。志賀はカメラを介して、自分の外にある世界との関わりを持つ。写真の中に写るすべてに責任を負う覚悟でカメラを向けると同時に、写真の外に存在する「ファインダーを向ける自分の内側の実感」、つまりは写真の中で起きていることを身体が経験として理解しているかと自分に問う。仙台、ブリスベン、シンガポール、ベルリンにて滞在し制作した『CANARY』(2007年/赤々舎)では、住人との対話から見えてきた、彼らの身体に宿る土地に関する記憶を想像し、自らのイメージに基づいて撮影を行った。彼女はそこで掴んだイメージをさらに確かなものにするために、一枚一枚の写真に対して取り組んだリサーチや、実際の行動をくまなくテキストに書き起こした『カナリア門』(2009年/赤々舎)を制作する。これが被写体に対する限りなく正直な己の心を探り、自らに問いただす重要な作業となった。ただし、写真を眺めてみても、テキストを読み返してみても、写真の中に生じるイメージの飛躍そのものを理解することは難しかった。そこで彼女は被写体となった土地に住むこと、つまり24時間365日をその土地で生きてみようと宮城県に移住する。
宮城県南部にある北釜という集落の一員となって 制作した写真集『螺旋海岸|ALBUM』(2013年/赤々舎)とテキスト集『螺旋海岸|NOTEBOOK』(2013年/赤々舎)では、集落のカメラマンとして祭りなどの公式行事を記録したり、地域住民のお年寄りのオーラルヒストリーの作成を行うなどの活動を基盤に、彼らからの協力を得て作品撮影を行った。写真の外に存在する「カメラを向ける自分の内側の実感」と、写真の中で起きていることが地続きになるよう、写真以外のメディアを写真表現に取り込みながら、作品イメージを支えようとした。
この一連の制作活動から志賀が学んだのは、他者との関係性の中で生きること。すなわちコミュニティの在り方そのものだった。子供からお年寄りまで様々な人間がいて、家族があり、集落がある。赤の他人だった志賀が、コミュニティの一員となるために必死で行った住民との実践の中で、自然と意識し始めたことがある。北釜の女性の大多数は出産、育児を経験しており、同様のオーラルヒストリーをたくさん聞いたという。志賀は制作活動と同じように、出産を経験することで得られる実感に自然と興味が湧き、作品制作後、長く連れ添ったパートナーとの間に彼女自身が新しい生を授かっている。作品制作に協力してくれた北釜の住民たちが、出産のことをとても喜んでくれたことが何より嬉しかったと彼女はいう。
テキスト集『螺旋海岸|NOTEBOOK』(2013年/赤々舎)の最後で彼女はこう締めくくっている。「祈りとは、体を捨てないこと」。体が存在する、生まれた瞬間から死ぬまでの限られた時間、すなわち「過去現在未来」に対して志賀は恐ろしいほど意識的に生きている。生きるという限られた時間を認めた上で、彼女は「私はイメージである。死は死ではない」と続ける。「写真」の空間には「過去現在未来」が存在しない。つまり死が存在しないのだ。志賀は写真の理想型を歌のような感覚だという。彼女を駆り立てるのは、そんな歌のような表現への渇望である。その歌は新しい命の産声かもしれないし、生を全うした命の看取りの声かもしれない。ただそれが意味するのは、彼女自身が経験した、命がつながっていく輪の神秘を信じるという根源的な祈りなのかもしれない。また、生きるという、予期せぬことの連続、その複雑さを一身に受け入れることでもある。彼女の作品に触れた人に、そしてこれから触れるであろう人に、強く、確かに生きる実感を感じてほしい。
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