ニューヨークはあらゆる領域において世界で最も競争が激しい街といわれている。それは作家にとっても例外ではない。ファッションにとってパリが発表の場として中心に存在しているのと同様、近代から現代の文芸においてニューヨークという街が果たしてきた役割は大きい。そして歴史を通してこの街から数多くの大作家が生まれてきた。名前を挙げてみると『白鯨』のハーマン・メルヴィル、『ティファニーで朝食を』のトルーマン・カポーティ、『グレート・ギャツビー』のスコット・フィッツジェラルド、『ライ麦畑でつかまえて』のJ・D・サリンジャー、『スローターハウス5』のカート・ヴォネガット、短編小説の名手アーウィン・ショー。存命の作家を入れてもジョン・アップダイク、フィリップ・ロスやポール・オースターなど世界的なスター作家ばかりで、現代において彼らの書いた作品は直接その本を読まない人にさえ重力のように見えない影響を与えているといっていい。そしてコンデナスト社が1925年から発行を続ける『THE NEW YORKER』での「FICTION」のコーナーは今でも世界的作家として英語圏に周知されるための登竜門となっており、これを読むために雑誌を購読している人も少なくない。村上春樹が世界的に知られるようにきっかけの一つが、この雑誌で短編が掲載されたことだともいわれている。
1979年、ベン・ラーナーはアメリカ中西部にある人口12万ほどの街、カンザス州トピカに生まれた。大学卒業後は詩人として活動し始め、20代のうちに3冊の詩集を発行し、若くして国内外で幾つかの賞を獲得、2011年に初めての小説である『LEAVING THE ATOCHA STATION』を出版。その後、2012年には前述した『THE NEW YORKER』に短編小説を発表、創作の他にもアートや文芸に対する批評やエッセイにも定評があり、アメリカ若手作家の有望株として名乗り出ている。この彼が2014年に新しい試みを孕んだ小説を発表した。それが『10:04』だった。
この『10:04』は面白いことに評価が割れている。「彼が残りの人生で一切本を書かなかったとしても、この本は未来に残るだろう」(THE NEW YORK REVIEW OF BOOKS)といった絶大な賛辞がある一方で、取材側が良し悪しを決めかねたスタンスで書いたインタビューや、「最後まで何も起きないし、登場人物もつまらない」あるいは「物語が不在だ」といったような読書家による手厳しいレビューも散見している。確かに彼の作品の中には精緻に作られた物語が存在しないし、劇的な事件も殆ど起きない。そこでは作者のラーナーと同じく、若手作家の主人公がニューヨークという大都市の中で生活する一つ一つのシーン、そして目の前の現実の出来事を描写するモノローグが一見続いていくだけなのだ。