RAFAËL ROZENDAAL

インターネットを泳ぐ。
INTERVIEW TEXT YUSUKE KOISHI
RAFAËL ROZENDAAL 1

PLEASE TOUCH ME .COM
RAFAËL ROZENDAAL, 2005
DIMENSIONS VARIABLE, DURATION INFINITE
COURTESY SÉBASTIEN DE GANAY


暮れ前のニューヨーク、カフェでお茶を飲みながら、厳しい表情を顔に浮かべ早足で歩くニューヨーカー達を窓越しに眺めていると、目の前に座っているラファエル・ローゼンダールがそっと呟いた。「僕の問題はね、時間が沢山ある事なんだ」。こうして振り返って考えると、彼に関心を強く持ったのは、この発言を聞いてからからだったような気がする。

「天才になるには天才の振りをすればいい」とサルヴァドール・ダリは言った。彼の存在はもしかすると代表的な絵や彫刻よりもむしろ、ヒゲを伸ばした奇抜な表情をして写ったポートレイトでよく知られているのかもしれない。実際、彼はシュールレアリスムの旗手でありながら、自分自身を表現するのが抜群に上手い、自分自身のブランディングに長けた天才でもあった。それは現代美術の創始者といわれるマルセル・デュシャンについても同様にいえるだろう。1917年に彼が『FONTAINE』と題された便器を展示してから始まったコンセプチュアルアートの領域は、彼自身が不在のまま広がっていった。レディメイドという言葉が歩き出した頃、彼は芸術界から距離を置き、チェスに没頭し始める。しかし、「芸術を放棄した芸術家」というエキセントリックなポジションは、逆説的だがデュシャンというアーティストの存在を神格化し、彼自身のブランディングに大いに貢献したといっていいだろう。歴史的に彼らのような人々は「創造の強度」あるいは「存在の強度」が製作者のイメージというものに、そしてその「信用」に依存していることを良く知っていたのだと思う。

彼らがこの世から去り、数十年が経ち、状況は変わってきている。つい最近、ダリのプライベート写真がインターネット上に流れていたのを目にした。そこにはエキセントリックな彼の姿は無い。その写真によって、ダリの存在が貶められることは無いが、おそらく彼を神格化して見ていた当時のコレクター達、あるいはその当時の信奉者達がその写真を観見たとしたら少し違ったイメージを持っていただろうと思う。

インターネット、そしてソーシャルメディアの誕生により、現代は「イメージ」が簡単に揺らぐ時代になった。どんなに高尚な、あるいはミステリアスなメッセージを掲げても、本人の知らない間に情報は一般公開されプライバシーは露見する。一貫していると思われる主張や言説も、記録を辿れば綻びが明らかになり、大衆の目に晒される。インターネットの世界とは、それを避ければ忘れられ、またそれに飛び込み、極端に人の注目を集めることがチープに受け取られてしまう場所でもある。表現に携わってきた人々にとって今は「生きにくい」時代なのかもしれない。

1980年生まれのラファエル・ローゼンダールはそんな時代を悠々自適に泳いでいる。2001年にアーティストとして登場し、今やインターネットを使ったアートの旗手として知られる重要人物の一人だが、所謂「ニューヨークのアーティスト」のイメージとは違って質素でマイペースだ。イメージが悪くなるからといって利用を避ける人もいる中、彼はINSTAGRAMやTWITTERで自分の生活の風景を公開することや、プライベートについて語ることも特に躊躇しない。「隠したってね、無理して格好つけても仕方が無いからさ」と彼は言う。「僕の生活自体がスタジオなんだ。オープンスタジオだよ」。今はプリントの作品も売買され、日々の活動自体が注目されるようになった彼だが、有名になったきっかけはウェブサイトそれ自体を作品として販売するという斬新な手法だった。

ウェブサイトのドメインネームとしては誰も使わないような単語の羅列、例えば『IFEELSTRANGE.COM』といった言葉を考え、まず購入する。そしてそのドメイン上のサーバーをキャンバスとして利用する。彼はそこにシュールな言葉遊びを含んだグラフィカルなウェブサイトを構築し、実際にアート作品として販売をしているのだ。コレクターは彼からドメインネームを買う事で所有権を得る事ができるが、作品はウェブサイトなので一般の人にずっと公開され続ける。彼の作品においては購入した保有者と鑑賞者のヒエラルキーがフラットになってしまう。「コレクターも倉庫が要らなくて楽かもね」と彼は笑いがら淡々と話す。ウィットのある彼の活動にはアート関係者だけなく様々なファンが多い。2015年にはニューヨーク・タイムズスクエアにある巨大スクリーンで彼のウェブサイト『MUCHBETTERTHANTHIS.COM』が大々的に“展示”されたばかりだ。

彼の一連の活動を見ていると、デュシャン以降、無価値だと思われているものに価値を与えるという事で称賛を集めてきたコンセプチュアルアーティストの王道は、政治的なアートでも、あるいは60年代の現代アートの延長でもなく、新しい環境を泳ぐ、彼のような存在に受け継がれているのかもしれないとも思う。

ラファエルと別れ、曇り空の下を歩きながら、過去の偉人達が今生まれたら何をやったのだろうか? という事に思いを巡らせる。現代という時代に、そして自分たちの世代に、我々はもっと自信を持っていいのではないのかとふと思う。今という環境も、今の考え方、今の可能性も、そしてその不確かな未来も、過去のどの偉人達にも与えられなかった恵まれたものなのだから。


子供の頃、どのように過ごしていましたか?
子供の時から独立心旺盛に育ったと思う。両親はアーティストで、いつも僕がやりたいことをさせてくれた。アートで何かするというのは自然だったかもしれないね。物心が付いた頃から絵を描くのが大好きだったよ。

曽祖父さんがブラジルの大統領だったというのをどこかで読んだのですが、子供の時は周りの環境に家族の面影がありましたか?
家族のバックグラウンドはかなり広いんだ。ブラジルの家系はちょっとポッシュ。オランダの方の家族は厳格なカルヴァン派の農家。両サイドの家から色々と精神的には影響を受けていると思う。ブラジルは何でも自分の楽しみについて考え、オランダの方は実際に世の中で役に立つことを考える。自分はその間のどこかに存在している感じだと思う。

早くからアートに強く興味を持っていたようですが、今とその頃を比べて何か意識は変わったと思いますか?
今こうして振り返ると凄く恵まれた時間を過ごしていたと思う。アートのマテリアルが周りに山程あって、「良い仕事をしなければ」というプレッシャーも無い。こうして大人になると、精神的な自由を持つのは難しいからね。自意識を持たずに、あまり考え過ぎないようにすることが。子供は皆、偉大なアーティストだと思うけど、成長するにつれて、人と自分を比べてヒエラルキーを作ってしまう。失敗を恐れずに自由に物を作るのは本当に難しいね。今はいつもそれと戦っている気がするな。「これで十分だろうか……?」「これじゃまずいかな……?」とか自問自答しながらね。自分のアートへの関心はいつもすぐそこにある。座ってみて、少し考えて、今まで存在していない何かを作る。その行為自体にね。錬金術みたいなものかもしれない。アイディアを実際に作り出すというのは、無から金を生み出すことに近いから。

毎日どうやって過ごしていますか?
大体朝6時半頃に起きて、まずすぐにコンピュータを起動する。Eメールに返信して、ソーシャルメディアを確認する。果物とヨーグルト、あるいは卵の朝食を作って食べる。この前貰った玄米茶も気に入って飲んでるよ。仕事自体は1時間毎に区切ってするようにしている。1時間仕事をしたら、1時間走るとか。あるいはランチミーティングをして、また仕事に戻るとか。僕はハードワークをしない。常にソフトに働く、「ソフトワーク」。働き続けることも、働かないことを続けることも、どちらもしないようにしているね。

自分のスタジオに通ったりはしないんでしょうか?
僕はいつも自宅のリビングルームで仕事をしている。スケッチブックとラップトップだけ持って、小さく仕事を始めるのが気に入っているよ。大きいスクリーンとファクトリーのようなものがあれば確かに実現できるものがもっとあるのかもしれないけどね。プログラマーとか、テキスタイルのエンジニアとか、写真のラボとか、技術者と一緒に仕事をするのが好きなんだ。自分はそれぞれについて専門家じゃないから、彼らと仕事をする時はいつも好奇心を持って新しいものに接することができる。だから、うーん、スタジオはやっぱり必要じゃないかもね。あればいかにもプロのアーティストっぽく見えるかもしれないけど。

気に入っている街はありますか?
お気に入りというのは無いんだ。それぞれの街に違ったものがあるから旅行が楽しいよ。アムステルダムは家族や友人がいるし、コンパクトで綺麗なのが気に入っている。ニューヨークはそのエネルギーの強さ、東京は食事が一番美味しい。リオデジャネイロは街の目の前にビーチがあるのがいい。各地のいい所だけを取ってきて作った街があれば最高だよね。

今欲しい物はありますか? 買えない物で何か欲しい物は?
セントラル・パークの見える背の高いマンションの部屋。50階とかそんな感じの。スイミングプールが付いていたら尚更いいかもね。それとタイムマシーンがあればいいけど。

尊敬している人はいますか?
モンドリアン、ロトチェンコ、マグリット、フェルメール、ピーター・ハーレイ、エルズワース・ケリー、ゴッホ、グレン・ダンジグ、エイフェックス・ツイン、フェンリツ、デヴィッド・リンチ、ヴェルナー・ヘルツォークとかだね。

ドメインネームを作品にして売っていくアイディアは、どんなきっかけで思い付いたんでしょうか?
2001年頃かな。ミルトス・マニタスというアーティストが一番最初に近いことをやっていて、これは凄いと思っていたんだ。自分の場合は、ドメインの中にヴィジュアルを収めて初めて完成する作品になっているけどね。ドメインの名前自体が作品を「フレーム」に収めて、実際に閉じ込んで完成する。そしてインターネットを通してシェアされるんだ。

あなたの作品を買っているコレクターを数人だけ知っているのですが、この領域では全体的にどんなタイプの人が作品を買っているのでしょうか。
好奇心が強いタイプの人が多いと思う。いつも新しい何かを探しているような人。

アートワーク作品も制作して販売していますが、インターネット上でシェアしている作品との制作上の意識の違いは何でしょう? コレクターにエディションの作品を売るのと、誰からもアクセス可能な作品を作って売るという行為。思想的に矛盾しているようにも聞こえるのですが。
思想云々というより、僕の制作のモチベーションは全て好奇心から来ているんだ。単にどっちも作るのが面白いからやっているだけだよ。そこに一つの絶対的な真理というものは無いし、ルールというものを僕はフォローしない。行為のそれぞれに良い点や悪い点がある。そういう意味で両方制作しているだけなんだ。ウェブサイトの作品はインターネットさえあれば地球上の誰からもアクセスできるという点がユニークで、プリントの作品はブラウザ上の画面では表現できない質感が表現できる。インターネットの世界から自分が来たことを思うと、物を作るというのは何だか変な感じがするのは確かだけど、新しいことをやるのは僕にとっては単純に楽しいからね。ネットと違って、プリントの作品は同じものを作ろうと思って工場にフレームを送っても、仕上がりは全部違って別のものになってしまう。そういうところが特に面白い。当たり前だけど、空間に展示するということを考えると通常のアートワークの方がやり易いよね。 ギャラリーの様な空間でウェブサイトを効果的な形で展示するのは難しい。しっかりやるには機材の準備やセッティングに結構なお金が掛かる。インターネットアートで一番嫌なのはやはりこの点。インターネットの世界では軽くて自由な存在なんだけど。

アートの評論家はギャラリーを訪れて作品を評価していると思いますが、新しいインターネットアートの作品も頻繁に紹介されるようになってきたのでしょうか?
残念だけど、インターネットの作品だったり、テレビゲーム、グラフィティ、ZINE、あるいはVJのパフォーマンスもそうだけど、実際の生活に近いヴィジュアル表現というものはレビューの対象にはなってはいないと思う。どうやらファインアートの世界で為される「会話」というのは、実生活から切り離されるべきだと考えられているみたいだね。それがアートの世界にとって健全と考えられているからかもしれないし、そもそも視野を広げてアートを考えてしまうと混乱するからかもしれない。僕自身は批評家が何を書いていても読まないことにしている。もっと興味があるのはアーティストが自分達について語っていること。僕も自分自身の意見があるしね。

東洋思想に興味があるようですが、何故関心があるのでしょうか?
思想とか哲学というより、僕はいつも自分の目の前で起きている現実に関心がある。そして目の前の現実が一番重要だと思っている。例えば、食べ物、Eメール、公園での出来事とか些細なこと。他のことは自分にはコントロールできないし、目の前の現実にしか自分は干渉できないし、楽しめない。何故だか自分でもよく分からないけど、僕は皿を洗うのが無性に好きなんだ。単純な作業ですぐに結果が出るからかもしれない。東洋思想は実際にそれ程勉強しているわけでは無いけど、多分こういう考え方は少し東洋的なのかな。

俳句を作り始めたのは何がきっかけでしょうか?
2年前、金沢でグループ展をやった時にパネルトークがあって、そこで聴衆の誰かが僕の作品についての俳句を作っていたんだ。残念なことに、正確な言葉は忘れてしまったけど。その俳句は僕の作品がいかに本質を掴もうとしているかということを上手く描いてくれていてね。正直、もの凄いお世辞だとも思ったんだけれど。その後、気になって俳句の歴史を調べ始めて、コンパクトで強い表現方法が好きになった。物理的な作品は経年劣化して壊れてしまうけど、言葉は壊れないのが良い。誰かの頭の中にあるもの、現実に起きたこと、あるいはまだ起きていないこと、それぞれを短い言葉でほのめかす表現が気に入っている。僕はいつも制約の中で生まれたものに興味を惹かれるんだ。実際に、一人の人間によって作られたシンプルな作品を見る方が力を貰えるし、自分自身もそれに応えるエネルギーが湧いてくる。大勢が関わって作られる映画のようなものは楽しむことは出来ても、強いインスピレーションを受けることはあまり無いかな。それに、俳句は今後も作品として展示したいと思っている。空っぽの、凝集されていて、瞑想的な静けさが漂った空間で、俳句だけをそっと展示したい。ウォールペインティングという形式で、俳句が一瞬だけ物質的な形をとる。そういえば俳句の本がもう直き出来上がるんだよ。

マルセル・デュシャンが便器をアート作品として展示してから、アートは価値が元々無いものに価値を与えていく、新しい価値を生む活動という側面を持ってきたともいえます。インターネットが生まれてからアートは変わったと思いますか?
アートの世界はインターネットによって加速して、売買が頻繁に行われるようになった。ただ、それだけだとちょっと退屈だね。それはアート自体を変えてはいないし、ビジネスが少し活発になったというだけで、認識や考えが変わっていくという所までは至っていないから。それにはもっと時間が掛かるかもしれないけれど。インターネットアートの世界自体はまだとても小さくて、今後も中々メインストリームになっていくことは無いんじゃないかな。これにはソーシャルメディアが社会で当たり前になっていることも影響していると思ってるよ。ソーシャルメディアというのは伝統的なアートと実は相性が良いんだ。絵や彫刻をどんどん人はシェアしていく。僕が好きで作っているようなブラウザ上のアートはちょっと方向性が違う。それにインターネットはその内「他の人達の世界」という感じになっていくんじゃないかな、セレブリティとか政治家達の力によってね。初期のインターネットには限定された可能性しか無かったから、その存在自体が独特の個性を持っていた。今のFACEBOOKとかNETFLIXは素晴らしいけれど、結局はメインストリームのカルチャーの延長でしか無いからね。

制約条件が無かったら作ってみたいものはありますか?
物を消す装置を作ってみたいな。領域を指定したらそこに在る物の存在が消してしまえるようなものを。本当に出来たら一番の作品になると思うな。

昔のアーティストと比べて自分はどこが違っていると思いますか?
自分は見栄を張らないように気を付けているんだ。アーティストというと何だか昔から見栄っ張りな所がありがちだったように思うから。

現代アートにとっての「新しさ」とは何だと思いますか?
うーん。わからない。新しいことが今起きているかどうかもね。


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MUCH BETTER THAN THIS .COM
TIMES SQUARE, MIDNIGHT MOMENT, NYC, 2015
PHOTOGRAPHY BY MICHAEL WELLS


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EXTERNAL MEMORY
AT UPSTREAM GALLERY, AMSTERDAM, PHOTOGRAPHY BY GERT JAN VAN ROOIJ, 2014


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HAIKU
POSTMASTERS, NEW YORK, 2015


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2001年から制作されているウェブサイトの作品達。多くがコレクターに購入されている。


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ABSTRACT BROWSING
AT STEVE TURNER, LOS ANGELES, PHOTOGRAPHY BY DON LEWIS, 2016


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PHOTOGRAPHY BY CHRISTINA LATINA, 2013, TOKYO JAPAN


SPECIAL THANKS TO TAKURO SOMEYA AT TAKURO SOMEYA CONTEMPORARY ART.


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