NEW MIND NEW LOOK / AKIRA TAKAYAMA

「新しさ」を巡って。/高山明 3/4
ISSUE 3
ドイツに渡ってから二月が過ぎた頃、シュトゥットガルトの劇場でピーター・ブルック演出『妻を帽子と間違えた男』を見た。1993年のことだから今からもう20年も前だ。舞台の説明は省くが、一つ一つのシーンが堪らなく面白かった。それは私の身体感覚を変えるほどのもので、目の前で繰り広げられる断片以上に、自分の身体に生じた感覚の変化を、また、身体感覚に変容をもたらした空間を楽しんでいたように思う。俳優がそこにいる、自分がそれを見ている、舞台に集中していながら、それを見ている自分がここにいる。空気までもそこにあった。あんな体験は初めてで、その新鮮さに「これが演劇か」と目覚めてしまった私は、そのまま夜行列車に乗り込み、彼らが活動の拠点とするパリへと向かった。

同じ夜行列車にブルックのカンパニーの俳優さん達も乗っていて、翌朝パリの駅で遭遇することになった。まだ20代前半だった私は、日本人俳優の笈田ヨシさんに声を掛け、図々しくも戯曲を読んでもらう約束を取り付けた。日本で学生生活を送っていた時にたまたま書いた戯曲を大急ぎで改作し、笈田さんに送った。その時言われた言葉を今も忘れない。「そこらの舞台でやられている戯曲なんて自分にも書ける、そんな気持ちが伝わってくる。ちょっとした才能をひけらかしたいだけなら、演劇なんてやめた方がいい。世阿弥も言っているように“珍しきが花”で、演劇は新しくなければならない」。かなりショックを受けたのを覚えている。それ以来、新しさというものが至上命令のようになり、何が何でも新しいものを作らねば、という姿勢で創作に臨むようになった。

ちなみに日本で書いた戯曲というのは、タデウシュ・カントル『死の教室』の真似事だった。授業でビデオを見せてもらい、これは何なのだと驚いて、それらしく書いてみたのだった。カントルが作る舞台は圧倒的に新しく、これまで見たことも想像したこともない世界が広がっていた。ドイツで演劇を作るようになってから、私はカントルのビデオや彼の残した言葉を集め、自己流の研究を始めた。するとあるインタビューにこんな言葉を見付けた。「“日のもとに新しきことなし”という言葉が好きだ。この世に新しいものなどない。私はボルヘスであり、私の方法も完全にボルヘスだ」という内容だった。私にとって新しさの体現者だったカントルが新しさを否定している。その言葉の響きは挑発的で、重要な啓示が隠されているように感じた。そして私はボルヘスを読み始めた。

『伝奇集』(岩波文庫)は、すでに書かれたとされる小説についての架空の批評だったり、これから書かれるはずの小説のプランだったり、小説らしからぬ小説で編まれた短編集である。極めつけは『「ドン・キホーテ」の著者、ピエール・メナール』だった。タイトルの通り『ドン・キホーテ』を書こうとするピエール・メナールという作家の話だ。しかし周知のように『ドン・キホーテ』はセルバンテスによって書かれた小説である。それを現代に書くとはどういうことなのか。出来上がるものは『ドン・キホーテ』と全く同じ小説になるわけだから、それは書き直しに他ならない。しかし現代に生きるピエール・メナールによって書き直されたということは、新たに読まれ、新たに発見され、新たに書かれたことになるわけで、その意味でやはりピエール・メナールの『ドン・キホーテ』なのである。つまりこの『ドン・キホーテ』は不可能な『ドン・キホーテ』であり、ボルヘスは、読み直され、再発見され、作り直された「新しさ」により大きな可能性を見た。ピエール・メナールの『ドン・キホーテ』はセルバンテスの『ドン・キホーテ』よりも偉大なのである。なぜなら「メナールは新しい技術を通して、未熟のまま停滞していた読書法を豊かにした」から。カントルが自らをボルヘスであると言い、自分の方法は完全にボルヘスだと言ったのはその意味においてであった。カントルはボルヘスの方法を受容し、演劇においてやり直した。だからその新しさは通常の新しさではない。やり直された「新しさ」であり、だからこそ私の新しさには価値がある、とカントルは挑発しているのだ。新しさを求める過程で、ボルヘス、カントルのやり直された「新しさ」に出会い、そのダイナミズムを学んだわけだが、そこから『妻を帽子と間違えた男』を振り返ったら何が見えてくるだろうか。

観劇体験が一つの経験になり得たのは、舞台の内容ではなく、観客=受容者である私の身体感覚が変わってしまうような空間が出現したからであった。しかしここでいう空間とは、装置やオブジェを置いたり、演出家の解釈やイメージを書き込んだりする為の空間ではなく、更には、俳優の身体によって作られる空間でもない。それらは舞台作りに欠かせないものだが、舞台の空間造形という域に留まるならば、舞台上の鑑賞物にすぎない。私が注目したいのは、舞台と観客の間にある空間、観客によって知覚される空間であり、むしろ空気と呼ばれるべきものなのだろう。しかし空気なら常に身の回りにあるわけで、あまりに当たり前すぎて普段はその存在が忘れられているだけだ。空気が気付かれ、改めて知覚される時、どれほど新鮮に感じられるか。それは一人の若者の人生を狂わすほどの「新しさ」だった。その時の体感を毎回新たに呼び起こしたくて、私は演劇を作り続けているのではないかとさえ思う。

これは演劇に限った話ではないだろう。ファッションのことは分からないが、空気を新たに気付かせてくれる衣服があったら素敵だと思う。ファッションは演劇以上に新しさが求められる世界という印象があるが、ひょっとすると空気や空間を読み直させてくれる仕掛けが、ファッションにおける「新しさ」なのではないだろうか。そのために何をすればいいか。答えはおそらくシンプルで、着る人や見る人が持っている空間との関係を変化させればよい。その方法を検討する前に、まずは私達が日常的に生きている空間に目を向けてみよう。

日常生活において、人は自分のいる空間を意識することはない。家も学校も職場も町も、慣れた場所ならば自分の身体の一部のようになっている。どんな時に意識するかといえば、人の家を訪ねたり、職場が変わったり、旅に出たりした時である。あるいは、停電になって何も見えなくなると、身近だった場所がよそよそしくなる。迷子になった時に見せる町の顔は新鮮だ。新しい服を着た時も同じことが起きる。しかしそれは束の間のことで、よほどのことがない限り、しばらくすれば何とも思わなくなる。空間との然るべき関係が見出され、身体の中に取り込まれてゆくからだ。逆に言えば、空間は身体に飼い馴らされることで鮮度を失う。現代社会を生きてゆくには、とりわけその種の能力が必要に違いない。都市は刺激に溢れているから、脇を通り過ぎる車を怖れたり、ホームに入線した電車に驚いたり、ネオンライトのチカチカに瞬いたり、いちいち空間に反応していたら生きていけない。想像される空間についても同じことがいえそうだ。テレビやPCのモニターからは様々なニュースが流れてくるが、映像は一瞬で消化されねばならず、その一つ一つの空間を想像し、関係を作っていったら他人事では済まなくなる。空間との関係は見出されたり作られたりするものでなく、ただ“これしかない”という形で与えられ、突き付けられ、距離を奪われたところで身体に同化されるべき制度になってしまった。想像される空間も含め、空間が身体に同化されればされるほど、世界はその肌理を失い、身体から遠ざかり、隠蔽されることになる。だからといって、身体が豊かになるわけではない。違和感や異物感が無くなると空間は消え、すると身体もまた引っ掛かりを失うからである。ここでいう同化とは、経験として沈殿するような運動ではなく、与えられた関係を受容する制度にすぎない。そもそも外界との関係の中でしか“身体”等というものは存在しないのかもしれず、この時人は、世界からも身体からも疎外された状態になるのではないか。そして私自身を含めた現代人の多くもまた、そうした状態から遠く離れたところにいるわけではない。身体による空間の同化は、私達が生きるために身に付けてこざるを得なかった技術である。と同時に、それは身に付けるよう強いられてきた制度でもある。では、私達一人一人が生活の中で飼い馴らしている空間との関係を変えるにはどうすればよいか。その方法を模索している時に出会った話を紹介したい。

シュヴァルツヴァルト(黒い森)の奥地へ遠足に行った時のこと、人気のない川岸に古めかしい建物が見えた。自給自足をしている修道院だそうで、修行僧の幾人かは無言行を行っているらしい。人に会うことは禁じられ、独房に籠もったまま生涯言葉を発してはならないという。対話するのは神のみというわけだ。ただし、彼らに唯一許された他者との出会いがあって、それは定期的に催されるゲームだそうだ。無言行を行っている修行僧が集められ、二チームに分かれる。言葉を発することの出来る僧が片方のチームに問題を出す。例えば、Bを頭文字に持つ都市の名前。ベルリン、ベイルート、ベオグラード、バルセロナ、バグダード……。修行僧たちは制限時間内に書けるだけのものを書き出す。審判役の僧の手元には答えが一定数書かれたリストがあって、リストの中の答えと幾つ重なったかで得点が出る。それを各チーム交互に行い得点を競う。この話を語ってくれた教師によれば、神との関係のみで人は生きられないということになり、ゲームは独房での生活に対する潤滑油と捉えられる。だが果たしてそうなのだろうか。私には、このゲームが彼らの信仰にとって欠くことの出来ないものであるように思われた。

独房の中で神を想い、神と対話するディアローグ、モノローグの中で、彼らは神を中心とした述語群を無限に増殖させていったはずである。それがゲームの場になると、与えられた問題に対する答えを要求されることになる。答えは名詞なのだから、紙の上には具体的な名前が並べられることになるだろう。人間を見る、見られるという非日常的な空間の中で、独房における日常生活で築かれた言葉の塊が、現実世界にあるモノの名前という断片に向かって拡散し、名付け直されることで世界は再発見され、再創造される。この転回の最中に、修道僧達は何を感じたのだろう。見ている方も見られている方も、その場の空気に「神」を感じたのではないだろうか。

この話には、身体に同化した空間を異化し、空間との関係を変える方法が、これ以上ないほどシンプルかつ強烈な形で出ている。修道僧達の儀式は言葉遊びというゲームであり、私から見ればプレイ、すなわち演劇なのだ。彼らの場合は、独房から集会室へ空間と状況を変えることで日常生活に中断を入れ、言葉の向かう先を転回させることで空間を再び見い出したのではなかったか。私にとって一番のヒントは、空間との関係にせよ、身体への同化にせよ、それを担っているのは言葉に他ならないという視点であった。神との対話も、言葉遊びにおける名前も、空間を分節化する行為も、舞台で話される台詞も、客席で行われる思考も、すべて言葉、言葉なのである。制度を作るのも言葉なら、制度を解体するのも言葉かもしれないのだ。だから、私達の日常生活が築いた言葉の群れを、そして今ここで生産され続けている言葉同士の関係を、あらゆる手段を用いてずらし、ゆがめ、切断し、向きを変え、ひっくり返し、宙吊りにし、中断を入れ、あるいは言葉を失わせることができるならば、それだけで空間との関係は変化し、身体への同化に亀裂が入るのではないか。その時空間は再び肌で感じられ、読まれ得るものになるはずだ。そして身体もまた新たに気付かれ、再び存在することになるだろう。

演劇やファッションにおいて新しさが求められ、大きな価値が置かれるのは、遊戯的な差異の創出や資本主義的な競争という理由を遥かに超えて、もっと根本的なところに通じているように思う。やはり「演劇は新しくなければならない」らしい。


高山明
1969年生まれ。演出家。演劇ユニットPort B主宰。既存の演劇の枠組みを超え、実際の都市を使ったインスタレーションやツアー・パフォーマンス等、現実の社会に介入する活動を世界の様々な都市で展開している。

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