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未来を創る才能たち。/瀬尾英樹 2/9
ISSUE 1
INTERVIEW TEXT SHINGO ISOYAMA
瀬尾英樹
FASHION DESIGNER / ARTIST


ファッションの先にある自由

AZZEDINE ALAïAの右腕として、コレクションのドローイングを制作する唯一の日本人、瀬尾英樹。内に秘める圧倒的な創造力が、一体どのような生活から生まれ出るのかを探った。「アライアさんからまず最初に言われたことは『とにかく働くこと』でした。彼は現在も、午前4~5時まで平気で働いています。私自身もこのペースに大変影響を受けています。このような生活を支えているのは、ごく稀に感じる『クリエイションの感動』です。色々な苦労を重ね、やっと自分の納得いくものができたとき、すべての苦労が報われる気がします」。AZZEDINE ALAïAでの職務をこなす一方で、瀬尾は個人のアートワークも制作している。アメリカのアートギャラリーとの契約が成立し、今年4月にアメリカ・セントルイスで個展、6月にチェコ・プラハ、2016年2月にNYで作品を発表する予定だという。どのような経緯で個人のアートワーク制作活動にも本腰を入れるようになったのだろうか。「通常、パリのトップメゾンでは一介のアシスタントが自分の名を冠したクリエイションを発表することはタブーです。しかし2012年にギリシャのキュレーター、ヴァシリスからベナキ美術館での企画展参加の要請があった際、断られることは承知でアライアさんに相談したところ、大きな心で個人での参加を認めてもらうことができました」。二足の草鞋を履きわけるべく、彼は苦悩したという。「この企画展に参加するため、自分のクリエイションを再スタートしたのですが、4年間のブランクは想像を遥かに超えてハードなものでした。最初のドローイングをキュレーターに見せた際、『エレガントすぎる』と言われたときは、自分自身のクリエイションはもうできないかもしれないと危惧し、かなり落ち込みました。ただそれが大きなパワーとなり、何百枚ものドローイングを描き、やっと自分のクリエイションを再発見することができたのです。この瞬間、自分の脳を『アライア用』『自分用』に二分割することができたと思っています」。

動物的な造形と本質的な生命感を味わうことができる瀬尾のアートワーク。特にアントワープ王立芸術アカデミーの卒業コレクションでは、その造形を構成する様々な文化の解釈が見え隠れした。時代の空気を読み解くことが生業とされるファッションデザイナーにとって、多様な情報をキャッチするアンテナは必要不可欠である。では、彼が持つそのアンテナはどのように形成されていったのだろうか。「自分の将来に対するはっきりとした夢を持っていなかった20代前半、信仰のため懸命に生きるチベット人の写真と出会いました。どうしてこんなに必死に生きることができるのだろうか?実際に彼らに会えばこの疑問に対する答えがわかるのではないか?そんな想いから、大阪港から上海に渡り、陸路で行ったチベットが旅の始まりでした。初めての旅で、さらに当時はチベットへの道も整理されていなかったので大変でしたが、そこでチベット人を見て感じたのは『どうして彼らが必死に生きられるのかは理解できない』ということでした。つまり私はチベット人ではなく、日本人であり、自分の夢は自分自身の中にしかないことに気付いたのです。この文化の違いを体験することに魅せられ、旅を続けてきました。そして私にとってこの文化の違いを最も顕著に感じられるのが、各国の服だったのです」。文化の違いを体験することに魅せられた瀬尾。最近では人との出会いがモチベーションを運んでくれるという。「アンテナを24時間張り続けることで、日常生活の中にたくさんあるアイディアの元を見つけることができますね」。

「自分の欲求を尊重し、それを成し遂げることは容易ではありません」。こう前置きした上で瀬尾は自由についてこう語ってくれた。「私にとって自由とは、自分自身で作り出すことだと思っています。例えば、私は近年、ファッションという領域を超えた作品作りに達することができました。その第一歩は絵画作品の制作から始まりました。そして第二歩は着ることができない作品、つまり彫刻作品を制作したのです。その作品に着手したとき『いったい自分は何をしているんだろう?』というジレンマに悩まされたこともありました。ただ、それが完成したとき、初めて自分の作品を見て泣き、一つの枠から自由に飛び出せたことを実感できたのです」。文化の違いに対する安易な肯定や否定が横行する現代において、お互いの文化の美しさを感じることこそ、
真のコミュニケーションとなりうるのではないだろうか。そして、瀬尾はそのような異文化コミュニケーションの体現者であるようにも思える。瀬尾は言う。「自分の作品を後世に残すことができれば、作品が来世の人と出会い、対話できると考えています」

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HEART PARIS, 2014
PHOTO: PIERRE MAHIEU