JIL SANDER LUCIE & LUKE MEIER

ISSUE 7
INTERVIEW TEXT 
NAOKI KOTAKA
ファッションに魂が宿るとき。

かつて、ブランドとデザイナーとは不可分であった。デザイナーの理念や美意識は服だけによらず、ブランドを取り巻くあらゆる側面に貫かれており、ひいてはその経営方針にも反映されていた。近年、ブランド運営の意思決定はデザイナーから企業の手へと渡り、その結果ブランドとしての在り方はデザイナー以外の人達、つまりは経営者や株主の存在により大きく左右されることになってしまったのである。雇われのデザイナーやクリエイティヴディレクターに求められるのは、収益を生むためだけの“理念”や“美意識”であって、ファッションをより豊かにするそれではない。

ブランドの運営は植物を育てることに似ているのかもしれない。かつてのデザイナーは自ら土を耕し、種を蒔き、水をやり、そして花が咲くのを辛抱強く待った。しかし現在においては、デザイナーは他人の広大な庭園を花で満たし続けることに必死だ。経済至上主義によって持ち込まれた企業間の熾烈な競争により、ファッションの生態系は根本から変わってしまったようだ。消費者とて同じだ。土壌を豊かにする地中の微生物、送粉を手助けする鳥や虫、成長を促す太陽の光、そんな自然界の創造の神秘に思いを馳せる代わりに、咲いた花を刈り取ることにしか関心を払わなくなった。

JIL SANDERという広大な庭園も、かつては一人の女性が蒔いた一粒の種だった。近年では、新しいガーデナーがかわりばんこにやってきては植え替えをしてみるも、開花を見届けることなく次のガーデナーに取って代わる、忙しない状況が続いていた。前任者達が持ち込んだ個性的な植物達が乱生するこの庭園を目の前にして、同ブランドの新しいクリエイティヴディレクターに就任したルーシー・メイヤーとルーク・メイヤーの夫妻は、開花を急がせたり、敷地を拡張したりする前に、まず自分達の心に響く何かを探しに庭園をくまなく歩いて回ることにした。そこで二人が見付けたのは、これまで庭園の主役とされてきた均整が取れて、無駄が一切ない完璧な枝ぶりの花ではなく、植物の見栄えなど構わずに育ったような、ぐねぐねと地面を這う蔓だった。美しい花々のために害虫を遠ざけ、土壌を豊かに保つ、この泥にまみれた蔓の逞しさが、二人の心を奪ったのである。「ブランドを特別なものにしているのは、彼女の人間らしさなのよ」とルーシー。

メイヤー夫妻が初めて手掛けた、2018年春夏コレクションのランウェイショーは、ジル・サンダー本人についてこれまで語られてこなかった側面を、魅力的に伝えるものだった。「余分を一切排除したジルのデザインは、近寄り難ささえ感じる」とルークが語るように、多くの人々は彼女をミニマリズムのデザイナーとして限定的に捉えている。しかし、ジルと話をしたり彼女の作品を深く追求していくと、別の側面が現れるのだという。「ミニマルなデザインとは対照的に、彼女自身はとても情熱的」とルーシー。ロドルフォ・パリアルンガやラフ・シモンズといった前任者達がミラノの本社ショールーム内で行っていたランウェイショーとは対照的に、二人によるランウェイショーは開放的で生命力に溢れていた。会場となったのは、未来的な建築の旗手であった女性建築家、故ザハ・ハディドがデザインを手掛けた建設中のショッピングモールの広大な野外空間だった。背の高い白壁に取り囲まれた薄灰のコンクリートタイルのランウェイには、夕暮れ時の太陽の陽が差し込こんでいる。空がだんだんとオレンジに染まっていくのと同時に、ランウェイの向こうからモデルが次々と歩いてきた。

二人のコレクションは、おおらかに植物が茂るメドウ(野原)のようだった。フロア丈のシャツドレス、ミドル丈のパフスリーヴのブラウス、オーバーサイズのスモックなど、ホワイトシャツのバリエーションは、それぞれが成長の早さを競い合う白い野草のようだ。テーラードのジャケットやコートには、まるで大地が乾燥して生まれた地割れのようなシームが施されている。半透明のコットンオーガンジーのドレスは、水面に浮かぶ花弁のように軽やかで、マクラメ織りのベストやジレは木を伝う蔓のように荒々しい。モヘアのざっくりとしたニットとニットドレスは、まるでメドウの季節毎の色彩のパレットが編み込まれたかのように、生き生きとした色を発していた。二人のコレクションは、一粒の種から美しい花を咲かせた、一人の女性の情熱を讃える心に響くものだった。

ランウェイショーの始まりと終わりのために選んだ曲は、ジャズシンガーの故ニーナ・シモンによる『BE MY HUSBAND』だった。ショーを観た人の多くは、1960年代後半にアメリカで黒人公民権運動に参加していたニーナと、ドイツで女性起業家として社会進出しようとしていたジル、その二人の情熱的な女性活動家の姿を重ね合わせただろう。ジャーナリストのスージー・メンケスは、彼女を「ファッション界最初のフェミニスト」と称賛した。本人はフェミニストと呼ばれることに消極的だが、女性が社会という大地で花を咲かせるのを、彼女は生涯を通して支援してきたのである。

ジルは若い頃から、女性らしさの限定的な解釈に不満を持っていた。可愛くて、華やかな花だけではなく、強くて、凛とした花があっても良いのでは、と。大学でテキスタイルエンジニアリングを学び、カリフォルニアで交換留学生として過ごし、その後、故郷のハンブルクに戻って女性ファッション誌の編集者として働いていた彼女にとって、1960年代後半にマーケットに出回っていたもので、着たいと思える服など何一つ無かった。そこで、まずは自分の編集ページに掲載する服においては、製造会社に自ら電話をしてデザインの修正を求めた。やり取りを続けている内に製造会社と親しくなった彼女は、やがて雑誌社を辞めて、フリーランスのデザイナーとして自分で服をデザインし始める。こうして彼女が30歳の時に立ち上げたのがJIL SANDERだった。

白黒で統一され、美しく仕立てられたシャツやジャケット、スラックスで構成されたJIL SANDERのファーストコレクションは、いけばなの作法で活けた一輪の花のように、豪華絢爛な花束がとたんに古くさく見えてしまうような、新しい美の基準を示すものだった。「当時の彼女の影響力は絶大だった」とルークは回想する。豪華な装飾の代わりに、簡潔な布のカットとテクスチャーだけで、ジルは女性らしさを表現してみせたのだ。簡潔さを裏付けしていたのは、圧倒的なパターンカッティングとテキスタイルの技術である。彼女はフィッティングを繰り返し行うことで、身体とその動きに沿った立体的な布のカットを、そしてイタリアの職人技と日本のハイテク技術を融合させることで、革新的なテキスタイルを開発したのだ。

ジルは自分のデザインへのアプローチを説明するのに、ドイツ語で「時代精神」を意味する「ツァイトガイスト(ZEITGEIST)」という言葉を好んで使う。つまりは今、世界で起こっていることが彼女をインスパイアし、デザインを決定付けているのだと。働く女性として、自分自身の必要性から生まれた彼女のデザインは、同時代に生きる他の多くの女性達の「時代精神」と共鳴した。ビジネスの場に進出する女性達に、JIL SANDERのコレクションは自信と品格を与えたのである。時代の後押しを受けて、ブランドは大きな成功を収めた。その成功は1980年代後半に頂点に達し、JIL SANDERは女性が経営するドイツ初の上場企業となったのである。ドイツのビジネス界に一輪の美しい花が咲いた瞬間だった。

メイヤー夫妻がファッションに惹き付けられたのも、あるブランドのデザインと二人が感じていた「時代精神」とが共鳴したからだ。それは、広い花畑の中から、色も形も香りも完璧な、たった一輪の花を見付けたように鮮烈な体験だった。ルーシーをファッションに惹き付けたのは、他でもないJIL SANDERの存在だった。彼女の母親がブランドの大ファンだったのである。「母の着こなしは今でも覚えているわ」とルーシーは回想する。母親の「時代精神」は、ワードローブを通して娘へと受け継がれたのだ。それから、彼女はフィレンツェでファッションマーケティングを、そしてパリでファッションデザインを学んだ後、マーク・ジェイコブスが指揮をとっていたLOUIS VUITTONで働き始めた。ニコラ・ジェスキエールのBALENCIAGAで働いた後、ラフ・シモンズのDIORでは、オートクチュールとプレタポルテ部門のヘッドデザイナーを任されていた。

一方、ルークをファッションに目覚めさせたのは、90年代前半のSUPREMEの存在だった。ストリートで起こっているスケートボーディング、音楽、アート、ファッションとリンクしたデザインは、保守的な社会からの逸脱や自由を求めていた若者達の「時代精神」と共鳴した。「元々、ファッションの社会学的側面に興味があったんだ」とルークは当時を振り返る。まだジョージタウンとオックスフォードでビジネスを学んでいた頃だ。それから彼はニューヨークに移り住み、ニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)在学中にSUPREME創始者のジェームス・ジェビアと出会う。ヘッドデザイナーとしてブランドに在籍した8年間、SUPREMEの何が自分を惹き付けるのか、彼はブランドの内部からも考察を続けてきた。そこでは広告キャンペーンに起用するセレブリティから、ジャケットのステッチ幅まで、ブランドのあらゆる細部が今の世界で起こっていることと密接にリンクしていたのだ。「『今』というリアリティからデザインが生まれていたんだ」とルークは言う。ジェームスは彼に、あらゆる服のデザインとそのディテールにおいて、それが「時代精神」と共鳴したものなのかどうかを問いたという。そこでは、花、葉、木、小径など、庭園のあらゆる構成要素が寸分の狂いもなく、完璧なバランスで成り立っていたのだ。

2014年にルークが立ち上げたメンズウェアブランド、OAMCでは、今しか出来ない服作りが行われている。それは、新品種の種を蒔き、その成長過程を見守る、実験的な庭作りのようだった。四つのアルファベットからなるブランド名には、恒久的な意味は無く、代わりに、目まぐるしく変化する現代の「時代精神」を表すような流動的な意味が与えられている。過去のコレクションは「OSCAR ALPHA MIKE CHARLIE」(2016年秋冬コレクション)、「ON A MIDNIGHT CLOUDED」(2017年秋冬コレクション)、「ONE ALWAYS MORE CONSICOUS」(2018年春夏コレクション)とそれぞれ名付けられていた。 OAMCを始める以前、マーケットにはルークが着たいと思える服が無かった。そこで90年代のストリートウェアブランドの、オルタナティヴな価値観から発信される「文化的な今」と、ラグジュアリーブランドの服作りに込められた「技術的な今」、その双方を融合させたのがOAMCなのである。「今、自分の身の回りで起きていることに対して、常に意識的であることから発想が生まれるんだ」とルーク。2018年春夏コレクションは、抗議手段としてのファッションという「社会的な今」を反映していた。アレン・ギンズバーグの反体制のメッセージを掲げたワッペンやステンシル、防護服のような機能的なディテール、スチールトゥのブーツなど、世界各地で起こっている社会的腐敗への抗議活動と共鳴するものだった。また、コレクションの制作においては「技術的な今」も積極的に取り入れられた。立体的な織りや編み、異素材の組み合わせ、マシーンクラフトとハンドクラフトの融合など、現代においてアクセス可能なあらゆる素材や技術が結集されていた。文化的な今、社会的な今、技術的な今、個人的な今…….。OAMCの服には沢山の「今」が散りばめられている。ルークはこう問いかけ続けているのだ。ファッションが促進する技術や価値観の革新は、どんなポジティヴな進歩を社会にもたらすことが出来るのか、と。

ジルが同世代の女性達にもたらした進歩とは、ファッションの領域だけにとどまらない、写真、建築、プロダクト、ガーデニングにまで及ぶ、ライフスタイル全体に関わるものだったからこそ、より力強いものになったとルークは考察している。それは、美しい花を咲かせるために、庭園の生態系全体をデザインすることに似ていた。ジルにとって、広告写真、ブティック、家具、パフュームなどは、コレクションの購買を単に促すためではなく、人々の感性をより創造的な方法で刺激するためにあったのだ。

JIL SANDERの広告写真の中で微笑むのは、完璧な仕立ての服をゆったりと着崩している美しい若い女性だ。肌は透き通るように整っているが、よく見ると、マスカラは擦れ、ヘアは結いが甘くなっている。洗練はされているが、不完全さもあるので、親しみを抱ける。ブティックはゆったりとした空間のヴォリュームが連続しながら構成され、大きな窓から差し込んだ自然光がじんわりと空間を満たしている。洋服掛けや棚板は、重力から解放されているかのように宙に浮かんで見える。庭園では、見事に刈り込まれた生垣と、空に向かって意気揚々と伸びる木々が、配置に幾何学のリズムを作り、その間から季節毎の花々が美しい色彩を添えている。香水は彫刻のようなガラス瓶に収められ、開栓すると春のイングリッシュガーデンのように、華やかで生命力に満ちた香りが放たれる。これらは、写真家のクレイグ・マクディーン、建築家のマイケル・ガベリー二、デザイナーのペーター・シュミットが、ジルと共同でデザインした、視覚、触覚、嗅覚のためのブランド体験である。ジルは感性を総動員させる「小宇宙」を創造することによって、JIL SANDERのブランド体験を真に豊かなものにしたのだ。

メイヤー夫妻もまた、シーズン毎のコレクションのデザインだけではなく、ブランドを取り巻く「小宇宙」を創造することが自分達の仕事だと捉えている。「ほとんど誰かに惹かれるかのように、ブランドに奥深く踏み込もうとしているよ」とルーク。二人が映画監督のヴィム・ヴェンダースと作り上げた「PAUSED」の広告キャンペーンは、ジルの「小宇宙」と、自分達をどのように結び付けるかを示唆的に表したものだった。このキャンペーンでは、JIL SANDERという一本の長編映画が流れるのだが、いざ展開が起こりそうになったところで「一時停止」が押されてしまう。それでも、最も興味深いワンシーンを見ているかもしれないという高揚があり、「これまで」と「これから」の展開に期待を持たされる。このキャンペーンを通して、二人は過去と結び付きながらも、未来に向けて新たな展開を起こすことを映像の構造を利用して表明しているのだ。それは二つの異なる種を共存させるための、新しい芽の接ぎ木のようだった。

写真家のマリオ・ソレンティと作り上げたもう一つの広告キャンペーンは、「ファッションを通して人間らしい感性を育む」という、ジルの情熱と共鳴したものだ。写真の向こうには、手付かずの自然と、古代文明の遺跡とが隣同士に存在する、マヨルカ島の美しい景色が広がっている。この島では、手付かずの自然と、古代文明の遺跡とが隣同士になっている。海の色は透き通って蒼く、陽の色は一日を通して虹色に輝きを放つ。草原ではヤギが草を喰み、枯木には野鳥が止まっている。ほとんど裸に布をほんの一枚羽織っただけのような若者達は、岩壁に腰を下ろして水平線を眺めたり、海に潜り、水面の下から陽の光の屈折と戯れている。これらの写真は、陽の光の温かみや牧草の手触りを、私達にありありと感じさせてくれるようだ。メイヤー夫妻は、人間らしさに立ち返ることが出来るオアシスのような場所を、JIL SANDERに再び蘇らせようとしているのだ。

「ファッションは人の感情を揺り動かすわ……!」とルーシーは力強く語る。

現在、フランクフルト工芸美術館で開かれているジルの活動を包括的に纏めた初の展覧会『PRESENT TENSE』には、ハンブルク郊外にある彼女の自宅庭園を空撮した美しいビデオ作品が展示されている。驚くべきことに、ビデオに映る広大な庭園内の全ての植物は、彼女がパートナーの故ディッキー・モムセンと土で手を汚しながら、30年の歳月をかけて植えたものだという。無数の花々の逞しい咲き姿は、思わずため息が漏れてしまうほどに美しい。時折、目まぐるしいスピードで動くファッションサイクルの中で、私達は目の前の素晴らしいものが、あたかも一夜にして生まれたのだと勘違いしてしまうことがある。実際のところは、種が一夜にして花を咲かすことなど無いと、誰もが分かっているはずなのに。ジルは花の美しさを競うよりも、その造形や芳香、または触感などを豊かに感じられる人間らしい感性を育てることこそが、ファッションの素晴らしさであると教えてくれた。ファッションに魂が宿るとき。それはメイヤー夫妻とジルの出会いのように、人と人とが共鳴するという、素晴らしい出来事をもたらすのかもしれない。ー






2018年春夏コレクションより。






















2018年リゾートコレクションより。










「PAUSED」広告キャンペーンより。