時代の空気感が変わったというか、そうした表現の在り方が可能に思えたのです。突如、自分と同世代の友人達が持っている価値観を表現すべきだと強く感じました。私と友人のアレックスが裸で木に登っている『LUTZ AND ALEX SITTING IN THE TREES』(1992年)という、ヴォルフガングの作品が良い例です。あの作品には、作為的な意味も、綿密な計画性もありませんでした。当時のありのままの私達の姿を、ヴォルフガングが写真に収めたのです。「ありのまま」というのは、私達が野外で裸で生活していたという意味ではありません(笑)。何というか、あの写真が捉えた時代の空気感に偽りは無いという意味です。森の中で裸になって、メゾンブランドの高価な服を着せられて、そのうち雨も降ってきて、もう笑うしかないっていうような状況でした。けれど状況が馬鹿けていればいるほど、どんどん自由になれるような気がしました。興味深いのは、当時の空気感を最近また感じるようになったことです。自由な時代がまたやって来ているのかもしれませんね。
今、世界はとても不安定な状況にあると思います。けれども不安定であるということは、それこそが自由であることの表れなのです。私達は、今正に新しい秩序が構成されていくのを目撃しているのですから。英語で「IS THE GLASS HALF EMPTY OR HALF FULL?」という表現があります。グラスに水が半分注がれている状況を指して「半分も残ってる」と捉えるか、それとも「半分しか残っていない」と捉えるか。この表現が示す通り、自由であることは捉え方次第で、ポジティヴにも、ネガティヴにもなり得ます。ですから、私は、現代という時代もまた、素晴らしい時代になり得ると思うのです。この自由をどう捉えるかは、私達次第なのですから。