RYOHEI KAWANISHI

今ほど面白い時代はない。 2/2
ISSUE 6
INTERVIEW TEXT SHINGO ISOYAMA
鳥取県、八頭郡八頭町。GOOGLE STREET VIEWで何度か渡ったことのある橋を初めて渡り、川西の実家が見えてきた。玄関正面に目をやると、ゴールデン・レトリバーのボイス君(ヨーゼフ・ボイスに由来)の唸り声が聞こえる。長い廊下を抜けた先のリビングでは、最大のサポーターである父親と母親、弟が晩酌を交わしている。その奥のソファでは地元着を身に纏い、寝入っている彼の姿が。時刻は午前一時過ぎ。

次の日の朝方、川西と散歩に出た。未だに汽車が通過する無人駅を抜け、古い家並みに沿って家に帰る途中、にいちゃん家という、かつて腐った野菜を販売していた場所を教えてもらう。既に人の姿は無い。「ツケが溜まり過ぎていつの間にか潰れていた」と彼は話す。少し時間も過ぎ、ラーメンでも食べに行こうかと話し、家族全員で中華料理「湖山」に移動した。「世界一美味いラーメン屋」だと以前から聞いていた場所だ。川西家が代々くぐって来た暖簾をくぐり、彼らに続き醤油ラーメンを頼む。出て来たラーメンは化学調味料のみで構成されていた。彼は追加の天津飯を完食しながら、「スープ、スープ」とサインを出す娘に麺を分け与え、前回の帰省時、風邪で食べられなかった娘への伝承を果たす。後に調べた食べログでの評価は「3.0」だった。

その晩、日本に帰省中だったアズディン・アライアの右腕、瀬尾英樹さんとしゃんしゃん祭りで賑わう駅前にて合流。初めての鳥取を背景に、世間話からファッション話へと会話は移る。話に実が入ってきた最中、川西の地元メンバーが合流した。「本来なら絶対会うはずのない人達が集まった」と大笑いの川西。僕達の共通点は、彼の友人ということだけである。深く飲んだ帰りの車中、ほぼ半目状態の瀬尾さんから「また来年も集まりましょう」との提案が。「勿論です」と誰かが答える。鳥取で過ごす最後の夜。こうして、また新しい状況が構築された。


そもそもファッションにハマっていったきっかけは何でしょうか?

鳥取時代は本当にやることが無く、偶然手に取った本がファッション雑誌だったという……。その後、大量に買い集めることに……。


部屋には色々なジャンルの服がありましたね。

一通りのジャンルは通っているのかもしれない(笑)。時々「男なら自分のスタイル一筋でいくべきだ」と突っ込まれたりもしたけど、その時に見て良いと思ったモノはやっぱり良い。ロンドンでVIVIENNE WESTWOODの展示を観たら格好良いと思って買うし、東京に行った時は藤原ヒロシのGOODENOUGHが良いなと思ったし、アメリカではAIR JORDANにAIR MAX、フランスでは1920年代の服を集めましたね。


高級時計や高級車への興味はありましたか?

全く無かったし、今も無いですね。


LANDLORDではショーの最後、ランウェイに出ていませんよね。そこに出るためにデザイナーを目指す方も多いと思います。

僕が出て売り上げ上がるんだったら出るけど、あれだけイカついモデル達をガンガン出しておいて、最後に俺が出たらオチにしかならないと思って(笑)。一応、LANDLORDに関しては合理性で動いています。


ファッションに対する褒め言葉は国によって異なると思います。パリが「エレガンス」だとしたら、ニューヨークでの褒め言葉は何だと思いますか?

「クール」がそれに当たるのかもしれませんね。ニューヨークでは文化的な価値というより、売れているモノがクール、消費されているモノがクール、といった印象があります。大量生産、大量消費社会を描いたアンディ・ウォーホルの「芸術に対してロマンチックな幻想が全くない、ただの職業だ」という言葉にも通じる世界観ですね。


「ロンドンでは“文化”として扱われていたファッションが、ニューヨークでは“商品”として扱われている」と以前仰っていました。遼平さんから見て、東京はどのように映りますか?

ニューヨークよりも断然エクストリームに“消費物”として扱っているように感じます。立地もあると思うのですが、日本は自ら何かを作り発信するというよりも、何を“消費”しているのかが“文化”になっていますよね。


前回、東京でのインタビューの際に仰っていた「“文化”のプライオリティが低くなり、“消費物”としてのプライオリティが上がってきた」という話にも繋がります。

この話はファッション教育にも繋がります。簡単には否定出来ないとは思いますが、海外のファッション教育は、どこまでリサーチを深く出来るか、そのリサーチをどれだけ服に反映出来るのかを丁寧かつ徹底的に突き詰める。そして、そのプロセスを善しとしてきました。でも1シーズンに何十、何百型も作り、それらを売り捌かなくてはブランドが維持出来ないという現状にぶち当たった時に、突き詰める理由は一体どこにあるのか。真剣な振る舞いで、モノ作りの愛情や能書きを語ることはいくらでも出来るわけです。けれど真面目に考えてみると、以前よりすぐに飽きられ、新しいモノを要求される状況の中、どれだけ気持ちが込められるのか、という問題が頭をよぎります。


LANDLORDのモノ作りのメソッドを掻い摘んでいうと、「軍物工場の背景を用いて、メンズウェアのスタイルを全て塗り潰す」ということでした。もしウィメンズウェアを作るとしたら、どのようなメソッドで考えますか?

ウィメンズは、メンズの本物志向な考え方とは別次元。なので、拘った服を作りたかったらメンズウェアをやるべきだと最近気付きました。女性は服買う時、自分が着て可愛いかどうかが絶対で、シーズン毎のテーマやコンセプトはあまり重要では無さそうですよね。自分で見て、着て、可愛いか、可愛くないか、他の人から見て可愛いか、可愛くないか、以上。というさっぱりした世界観。そう考えた時に、東京ガールズコレクションのような構造は本当に凄いと感じています。


「メンズは本物志向」という話も出ましたが、それ故にメンズウェアのスタイル数には限りがあるかと思います。スタイルを全て塗り潰した後は、どのような展開を考えていますか?

確かに、塗り潰し作業自体は数シーズンで終わりますね(笑)。その後はメンズウェアのスタイルを1シーズンに全部出したいと思います。そして、それぞれのスタイルのプロダクションを拡大していき、「LANDLORDのパンク」「LANDLORDのスケーター」「LANDLORDのレゲエ」など、それぞれの型にファンがいて、初めて買う人用にもシンプルな服が揃っている状態、これが理想。VETEMENTSの2017-18年秋冬コレクションでは、様々な人の様々なスタイルを出していて、かなり本質的だと思いました。


LANDLORDとは別に「RYOHEI KAWANISHI」名義でも活動をされていますが、最近ではニューヨーク近代美術館にて開催される『ITEM: IS FASHION MODERN?』に参加されますよね。

この企画は20~21世紀にかけて世界に影響を与えた衣類やアクセサリーなどのプロダクトを、若手クリエイターが新しい解釈でアウトプットする、というプロジェクト。僕は「キューバシャツ」に関するアートピース制作の依頼を受けました。シャツの歴史を調べてみたのですが、様々な国のスタイルが混在しているために起源は謎。キューバでは正装となっていて、フィデル・カストロなど政治指導者達にも幅広く着用されているのにもかかわらず(笑)。そんなシャツをセントラル・セント・マーチンズの卒業コレクションのようにニットで作り上げたいと思い、“BIGGER IS BETTER”をモットーに、一着は日本のニット工場、もう一着はアシスタント達とハンドクラフトでの制作を始めました。シャツの正面と背面にキューバ危機に関する登場人物達を施すことで、キューバシャツは勿論、キューバ危機という歴史的事象も後世に残るのではないか、という意味合いを込めました。ハードな作業が連日続いたので、巨大ニット・キューバシャツが完成した時、アシスタント達は大号泣(笑)。


ニューヨークのミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザインで催された『FASHION AFTER FASHION』へも参加されていましたが、こちらは、真逆のアプローチ作られていると思います。

正反対ですね。そもそもエゴとか努力とかイタいと思うので(笑)。前回話した通り、今現在のファッションは、リアリティの中にちょっとしたエッセンスを入れることでフレッシュさを感じさせる時代。そんな今の情勢を皮肉るには「作ったら負け」だと思ったんです。「作らずにファッションを語ろう」、そう考えてヤフオクで買った超高級ブランドの服に自分の名前のタグを付けて、あたかも自分のコレクションのように展示しました。ちゃんと作ったのは自分のイニシャル「R.K」のタグだけ(笑)。反対側の壁には、そんな服達をモデルに着せて撮ったフェイク・ルックブックを飾ったり、バイイングの流れを説明するシーンや、『都市とモードのビデオノート』で山本耀司さんが真剣に語っている姿を僕がパロディした映像を放映。これら全体を通してフェイク・ショールームを体験出来るようになっています。会場は美術館だし、他の作家さん達が作る真剣なスカルプチャーやビデオの中に、「作らないを作った」この作品が紛れ込んでいるのでお客さんも価値があると思ってしまう。そもそも、人は価値があるとされているからこそ、価値があると思うわけです。本当のところ、モノ自体の価値は一体何なのか、誰もよく分かっていないという(笑)。


遼平さんが使う「スタイル」という言葉からは、「物や事の型」といった意味合いを強く感じますが、一般的には「スタイル」という言葉が、「俺のスタイル」というような風に日頃から使われるなど、「生き様」や「生き方」に近いニュアンスで捉えられていると思います。

それは、まずい(笑)。僕は、何か一つの型にとらわれて生きている人が苦手かもしれません。自分が出来ない生き方ということもあるけれど、一つのことをずっと続けると物凄く疲れそうな気が(笑)。


そんなご自身のスタイルを一言で表すとしたら何ですか?
ポケモンでいう所のメタモンですかね。


スタイルを取り込むという点もそうですが、人とのコミュニケーションの中で様々な情報を吸収している印象です。

人との繋がりはやっぱり面白いです。そもそも僕一人じゃ何も出来ないし(笑)。誰に着せたいとか、何を作って売りたいというよりも、「この人と一緒に働いてみたい」という思いの方が断然強い。お金を稼ぐのも大切ですが、ファッションの醍醐味はそこなんじゃないですかね。


結局のところ、遼平さんは、稼ぐためにファッションをやっているというよりも、ファッションしかやってこなかった人間なんですよね(笑)。
言ってしまうと、そこに尽きますね(笑)。 ー




2018年春夏コレクションより。