YURIE NAGASHIMA


キッチンから社会に訴えかける。
ISSUE 6
PHOTOGRAPHY YURIE NAGASHIMA
INTERVIEW TEXT NAOKI KOTAKA
長島有里枝の仕事は大きく分けて二つある。写真家であること、そして母であることだ。常に身近な場所や人を作品の題材としてきた長島だが、出産を経験してからは特に、立派なスタジオでも壮大なロケーションでもなく、息子と二人で生活する家こそを、写真家としての彼女の制作現場としてきた。目の回るような忙しさの毎日に孤軍奮闘しながら、僅かな時間を見付けては作品制作に当てていた。寝不足でぼんやりしながらも、軽くてピントの合い易いカメラで息子を撮り、息子と時間を過ごしていると自然と蘇ってくる自分の幼い頃の記憶を、文章に書き留めた。制作を続けたのは、一人の女性として自分が抱えている問題が、社会における女性の在り方という、より大きな問題と地続きになっているという確信があったからだ。長島はこうして、男性中心主義的な価値基準によって社会の隅に追いやられてきた、家という女性の居場所から、社会に訴えかけようとしてきたのである。

今回のインタビューの趣旨について、誤解が無いように先に書くのだが、このインタビューを通して、世の育児をしている女性がいかに大変だとか、男性が育児や家事にもっと関わるべきだとか、そのようなことを訴える気はない。実際、結婚もしていない、子供もいない自分には、あまりにもリアリティが無い話だし、そんな立場から話をしても説得力があるように思えないからだ。ただ、今回のインタビューを通して分かったのは、自分がいかに女性の実状について無知であったかということ。多くのトピックにおいて、女性はこう考えているだろうと、決めつけていることに気付かされた。しかし、長島の話を聞くことで、そうした思い込みの多くが解消され、新たな視点を得ることが出来た。私達は皆、社会において振り分けられた役割の中で生活しながら、それぞれの立場毎に異なる不満や問題を抱えている。同じ問題を抱えている人達同士であれば、話し合う機会を持ち、問題意識を共有することも容易だろうが、異なる立場にいると、どうしても他人事として処理してしまう。今回、長島の作品を通して、社会における女性の在り方について話し合いの場が生まれたように、アートの真の価値とは異なる立場間の対話を生み出すことにあるのではないか?

9月30日から東京都写真美術館でスタートする大規模個展では、社会における女性の在り方について一貫して考えてきた長島の、デビューから現在に至るまでの思考の軌跡に触れることが出来る。展覧会のタイトル『そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。』は、彼女が料理を作る時に参考にする海外レシピサイトの、調味料の加減を説明する英語の言い回しに倣っているのだという。今日もきっと、彼女は自宅のキッチンに立ち、家族のために料理の腕を振るうのだろう。女性として生きること、その窮屈さへの皮肉と、また一方で、それを愛おしく思うこと。そんなおおらかな眼差しで、彼女は今日も社会を見つめている。


社会の中における女性の在り方について、これまで一貫して考えてこられた訳ですが、初期の作品と最近の作品とではアプローチに違いはありますか? 
それは年齢の変化とも関係があるのでしょうか?

処女作のセルフ・ポートレイト作品は、若い女性が視覚的メディアの中で、男性にとっての性的対象という役割を、いかに常に演じさせられているかを考察したものでした。今、40代になってみて、年を重ねた自分がその枠組みから外されたということを、男性からの視線の変化という形で、路上でも実感します。妊娠している時も、しばしばそこから外れた感がありました。老いていくからだけでなく、人生のあらゆるステージで、女性には異なる眼差しが向けられます。「女性」の身体は、「男性」のそれよりも比較的大きな変化を遂げますから。第二次性徴を迎えると上半身裸では歩けなくなるし、プールにもパンツ一丁で入れない。大人の女性の身体にはむやみに触れないという規範があるかと思えば、妊娠した途端にお腹を触られることが当たり前になったり。誰だっていきなりお腹を触られたら困りますよね(笑)? 女性自身は自らの身体の変化をただ受け入れているのに、社会が勝手に意味付けをしているのだと思います。私は社会から押し付けられた女性のイメージに抵抗するため、写真を通して自分の身体の意味を撹乱する試みをしていたのだと思います。セルフ・ポートレイトの作品は、「わたし」という一人の人間が一貫して写っているのに、装い方や演じ方によって様々な意味合いが生まれており、そこにはひとつのステレオタイプ以上の複雑性が存在し得るのだということも表現しています。坊主頭にしてヌードのセルフ・ポートレイトを撮ろうとはもう思わないけれど、今の自分にしか出来ない方法で言えることがあると思います。


社会から押し付けられた女性のイメージとは、主に男性からの眼差しによるものでしょうか?

そうとも限りません。妊娠中、ある学校に講師に行ったら、女子学生が「わぁ~赤ちゃんだ」と言ってお腹を触ってきました。彼女達は自分の身体に将来起こることにまだ無自覚なんだろうと思いますが、私は、男女問わず見ず知らずの人に身体を触れられると、自分がただの容れ物になったような気がして嫌でした。きっと人それぞれなんだと思います。私は妊婦という、一種の社会から押し付けられた女性のイメージに違和感を感じたけど、そうでない女性も多いと思います。私の場合はそもそも「女性」として成長していくことに抵抗がありましたから。小学六年生の時、駅のホームで、酔った男性に「ねえちゃん飲みに行こう」と腕を捕まれ、連れて行かれそうになったことがありました。そこまで極端な例ではなくても、幼い頃から女性が男性に働きかけられる存在、性の対象であったり、鑑賞したり愛でたりする対象、つまり受身の存在であることを期待されていることには何となく気付いていました。いつか「女性」になった途端、大好きなサッカーも木登りも出来なくなる。そんなのは何だかつまらなさそうだなと思っていました。そのせいなのかはわかりませんが、何があろうと仕事を持ち続け、自立した人間でいようと思っていました。恋愛や結婚に関して言えば、自分に敬意を払わないパートナーを愛し、共に生きることは出来ません。それは相手が男でも、女でも同じです。パートナーとの関係が終わった時、最終的には別の道を行くのが良いと思うのですが、経済力や自由を男性が独占しがちなヘテロセクシュアルのカップルの場合、生活や子供のために、自尊心を失うような経験にも耐えて暮らしている女性がまだまだ沢山いると思います。私も一時はその一人でした。私の興味の対象の一つは、そのような力の不均等を出来るだけ無くすにはどうすればいいのか、というところにずっとあります。だから、表現を通じてその問いと向き合うことは、私にとってごく当たり前のことです。


写真の話に関していえば、有里枝さんの写真は、デビュー当時「女の子写真/ガーリーフォト」というジャンルに括られて語られていたと思うのですが、そうした取り上げられ方については、当時どのように感じられていたのですか?

2011年より四年間、大学院でフェミニズムについて研究していたのですが、その修士論文のテーマがちょうど「女の子写真/ガーリーフォト」でした。「ガーリーフォト」というジャンルが、いかに当事者の意図を無視したものだったか、当時の資料を分析しました。あの頃、私を含む若手女性写真家達が実際に何を表現しようとしていたのか、話を聞こうとする人はほとんどいませんでした。周りが勝手に意味付けをし、グラビアや袋とじでも見るみたいに私達のセルフ・ポートレイトを眺めて盛り上がっているだけ。それを私達は冷静に観察し、それぞれに行動しました。仕事を貰うため、そこに乗っかる人もいれば、私みたいに心底嫌になって海外に出て行く人もいました。自分がどうしたいかということに辿り着く前に、大人が先回りして、私達のことを訳知り顔に語るから、「そういうもんなのかな」と、益々主体的な選択が出来ない状態だったと、当時を振り返ると思います。


作品の本質よりも、作家の性別だけが評論家達自身の目的のために利用されてしまった。

「ガーリーフォト」の話に限らず、これだけ多様化が進んだ社会に生きていながら、よくも「男」と「女」の二項対立で纏めるなぁ、と驚くことは多々あります。ジェンダー論は、フェミニズムまたはクィア・スタディーズのどちらかの観点から語られるのが一般的だと思いますが、学問の世界では、そもそも「性」は二つではないという観点から考察することが、自明とされていると思います。ただし、社会の枠組みにおいては、自分を「男」か「女」のどちらかに押し込めなければならない。だから、私はあくまで「女」の立場で作品を作り、同時に性の二項対立にアンチを唱えるようにしていますが、実際には、自分が「女」であるかどうかは自分でもよく分からない。身体の性別と性自認、性的指向は錯綜し得るものだし、人それぞれだということが、まだまだ認知されていないのだと思います。


結婚や妊娠は、有里枝さんにとってどのような出来事でしたか?

夫と二人だけで生活していた頃、家事を全部自分がしたとしても仕事との両立は成り立ちましたが、子供が生まれてからは、家族に協力しない人がいると、物凄い負担が私にのしかかってくると知りました。仕事、家事、育児をこなして、睡眠は3時間あるかないかだった時、女性は全く解放されていないのだと初めて実感しました。結婚や出産をして、初めて気付く誤算だってあります。問題は、結婚は解消出来るけれど、生まれてきた子供の親を辞めることは出来ません。産んでから、子供は苦手かもしれないと思ったり、出産前の方が楽しかったと思ってしまうことだってあると思います。そういう時に話を聞いてくれる人、一緒に頑張ろうと言ってくれる人がいれば、心が落ち着きます。そうやって支えてもらって乗り越えた経験は、全て今の作品に反映されています。


出産後はどのように制作を続けられたのですか?

子育てに忙しい時期も、周囲からは新しい作品への期待が変わらずあって、男性にとっては「子供も生まれたんだし、仕事ももっと頑張れよ」という言葉は励みなのかもしれないけど、自分がそれを言われた時「こんなに頑張ってるのに、これ以上何を、どう頑張ればいいの?」とパニックになってしまった。私にそう言った人達は男性で、仕事振りから考えても、家のことはほとんど妻に任せっ放しで働いてきたと思われます。やってもやっても終わらない家事や子供の世話…。その上、写真を続けていくことを考えた時、自分は彼らみたいになれないし、なりたくもないと思いました。だから今は秘境に出向いたり、大掛かりなセットを組んだり、アシスタントが2人いないと回らない働き方をする必要は無く、自分のペースで、私らしい表現を続ければいいという結論に達しました。これはただ単に価値観の相違です。彼らの流儀がまかり通る場できっと私は「敗者」だし、戦う気もないのに負けにさせられるなんて、面白くないじゃないですか。だったら、自分が価値あると思うことを、自分の居心地がいい場所で、地道にやっていこうと思ったのです。無理して外に出掛けて、彼らに褒められるような仕事をするより、自分が過ごす愛おしくてちょっと切ない時間と向き合って、形にしたいなと。きっと世の中の半分くらいの人には伝わるんじゃないかと思ったから。そうやって自然と24時間しかない一日の中で、やらなければならないことを優先する生活の枷を背負っていても可能な方法に、制作のスタイルは変わっていきました。


女性をテーマに写真を撮り続ける理由は?

勿論、アートに自分を捧げて「美しさ」だけを探求していくことも出来るけれど、私のバックグラウンドにはパンク精神があるので、「女性」という役割について考え、表現することが、いずれ社会的に不利な立場に置かれている他の人々の問題などとも緩やかに繋がって、今の社会の仕組みを見直す際の指針になり得ると思うのです。私の表現に関していえば、その時その時の自分の社会における役割と作品とが深くリンクしています。今回の個展では、初期からごく最近までのセルフ・ポートレイトを一つのスライドショーにした作品を出展しています。この作品では鑑賞者に、25年分の女性の人生を眺めた、という気持ちになってもらえるはずです。普段は一つ一つが切り離されている作品も、それぞれが別のものというより、一人の女性が生きる上で感じたことと、その変遷のスペクトラムとして鑑賞してもらえると思います。息子もあと数年で我が家を卒業すると思うので、その時はまた別の役割を生きていくんだと思います。その時やりたいことのイメージはあるんですが、言うと叶わないかもしれないから、今はまだ内緒にしておきます(笑)。ー









写真展『長島有里枝 そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。』

会期:9月30日(土)~ 11月26日(日)
休館日:毎週月曜日(ただし10月9日は開館、10月10日休館)

会場:東京都写真美術館

東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
WWW.TOPMUSEUM.JP