JRというアーティストを例にとってみよう。「アートは世界を変えられるか?」。この明快な命題を自らに課して、彼は日夜世界を飛び回りながらアートを作り続ける。空調の整った美しい漆喰のスタジオも、監視カメラと赤外線によって守られた美術館の展示室も彼には必要ない。気心の知れた仲間たちと旅を続けながら、カメラと紙とブラシという限られた資材を道具に、路上というスタジオで制作を行う。路上のギャラリーに飾られた作品は、風雨とともに色褪せ、時に人為的に破かれたり、おしっこをかけられたりもする。それでも「expo de rue(路上のギャラリー)」の展覧会は、そしてそこに飾られる傷のついた作品たちは、彼にとって心から美しいと思える存在なのだ。JRにとっての作品の価値とは、その物質的価値でも市場的価値でもなく、作品がどのように世界を変えることができるか、その目的の純粋さこそが指標となる。
「アートは世界を変えられるか?」。この問いを今、JRは私たちに投げ掛けている。自分が守りたいもの、自分が情熱を持って世の中に知らせたいことを、声を大にして世界に向けて発信すること。JRは「Inside Out Project」を通して、私たち誰もが世界を変えられるアーティストだと教えてくれる。スプレー缶を片手にパリの街に自分の名前を落書きしていた15歳の若者の「私はここにいる」という“個人”の表現は、彼が大切に思う友人たちへ向けた「君はここにいる」という“友人”のための表現になった。そして今、「私たちはここにいる」という“民衆”のための表現となって、世界中の20万人を超える人々の輝かしい「自己表現」を一手に請け負っている。果たして、JRは世界を変えるヒーローなのか? 「世界をひっくり返そう」というJRの呼び掛けは、世界が自分のために変わることを望むのではなく、自分らしくあるために、世界を変える。そんな、私たち誰もが内に持っている変化を生み出す力を、“インサイドアウト”する勇気を与えてくれる。JRがどのように世界を変えたのか。彼のアーティスト活動の軌跡を辿りながら、その作品に込められたメッセージを一人でも多くの人と共有したい。
私のアーティストとしての挑戦には、“失敗”という結果が存在しません。「Inside Out Project」を始めた頃に訪れた、チュニジアのプロジェクトを例にとってみましょう。チュニジアでは、現地の人々と作品を制作し、いつものように路上に飾ったのですが、その後、彼ら自身の手により作品は取っ払われてしまいました。しかし、「路上に作品を貼る」という行為自体が、ベン・アリーの独裁政権下における、チュニジアの人々による初めての民主主義を求めるデモンストレーション的意味を持っていました。自分たちが生活する環境に何が飾られるべきか、自ら決めて行動に移したのですから。結果的に作品は残りませんでしたが、私はそのプロジェクトが“成功”したと考えています。私にとってのアートとは、人々を結び付け、各自の抱えている問題を持ち寄る機会を設けることで、彼らが生きる社会への新たな視点を生むことができると思っています。
「Inside Out Project」を例にとってみましょう。これまでは、私が守りたいもの、情熱を持って世の中に知らせたいことを、多くの人の助けを借りながら世界に向けて発信してきました。「Inside Out Project」は、同じような動機を持った世界中の人々に、“彼らの”守りたいもの、情熱を持って世の中に知らせたいことを発信しようと呼び掛けています。世界中の人々から寄せられたたくさんの素晴らしい呼び掛けから、私自身も大きな勇気を分けてもらっていますし、プロジェクトの動向を見守る世界中の人々も同じように、自ら行動を起こす原動力をもらったでしょう。これまでは、私が人々に行動を起こすことを動機付けていましたが、いまや世界中の人々が自発的に互いを鼓舞し合っているのですから。2008年に「Women Are Heroes」のプロジェクトをブラジルで行いましたが、それから4年後には、当時プロジェクトに参加してくれた人々が「Inside Out Project」を自発的に行っていたのです。政府の反対を押し切って、彼らは壁一面に自分たちの写真を貼りました。結果、メディアの注目を味方にして、取り壊されるはずだった家屋を守り抜いたのです。一つのプロジェクトを発端に人々が自ら行動を起こすようになり、人々の目まぐるしい意識の変化を見るのはとても刺激的です。