EVERYONE IS IN NEED OF A DARK SPACE AGAIN.

まだ暗い裏通りを探して。
ISSUE 6
TEXT YUSUKE KOISHI
およそ5年程前だと思う。新宿駅から歌舞伎町に向かう途中、ゴールドの三本ラインが袖に入った黒いADIDASのジャージトップに、色の落ちたブルージーンズを穿いた年老いたホームレスを見たことがある。靴は地方の古い旅館のトイレにあるような、通称「便所サンダル」といわれる茶色いビニールのサンダルで、そのサンダルの茶色が、人工的な加工では再現できないような雰囲気で、色褪せたジーンズのブルーと奇妙に合っていた。髪は白髪と黒髪が混ざったボサボサの長髪で、肌は薄黒く、細い目には緊張感が浮かんでいた。ストリートで生きる路上生活者という生き方は、まるでストリートを実際に支配するために必要な職業なのかもしれない、と思ったものである。彼の立ち姿が今も記憶に焼き付いていて、時々、同じ道を通る度、その光景を写真に収めなかったことを後悔している。ストリートファッション、ストリートスタイルという言葉が巷では当たり前に使われているが、この言葉を目にしたり、耳にする度、いつもこの路上生活者の男性と新宿の街の様子が呪いのように脳裏に浮かんでくる。

ヴィム・ヴェンダースが1989年に公開した山本耀司のドキュメンタリー映画『都市とモードのビデオノート』の中で、山本耀司が、とある一冊の写真集を開くワンシーンがある。その写真集はアウグスト・ザンダーという写真家の『PEOPLE OF THE 20TH CENTURY』という作品集で、20世紀前半のドイツ(当時はワイマール共和国)の市井の人々のポートレイトを収めたものだ。作品は「農民」「熟練工」「女性」「階級と職業」「芸術家」「町」「路上生活者と退役軍人」と七つのセクションに分けられていて、それぞれのポートレイトの下には人物の職業が書かれている。まだ写真が珍しかった時代だったせいもあり、どの被写体も少しだけシリアスな顔つきをしているが、不思議なことにどの人物も職業と服、そして顔、人物の雰囲気が奇妙なまでに一致している。山本耀司はビデオの中でこう話している。「現代の都市の人々を見ていると、どんな職業なのか分からない人が大勢います。ただこの写真の中の人はそれぞれがその人らしい顔をしている気がするのです」。ヴェンダースはビデオの中で写真集の中の「ジプシーの青年」を映し、こうナレーションを入れている。「彼のお気に入りはこのジプシーだと思う。単に服装だけでなく、その目つきや、ポケットに入れた手の様子」。

ストリートの話に戻ろう。現在の「ストリートファッション」といわれるものの原型が実体化し、認識されるようになったのは、1967年頃のイギリスでジョン・ドーヴとモーリー・ホワイト(脚注1)が、ポップアートを衣服の上にシルクスクリーンでプリントをしたことから始まる。キャンバスやポスターに閉じ込められていた様々なメッセージが、元々は単なる肌着であったTシャツの上にプリントされることで、ファッションではワンアイテムでメッセージ発信することが可能になった。宗教や民族的な衣装を除けば、かつて「スタイル」はザンダーが写真を撮っていた時代のように、様々な衣服の組み合わせと、人物の雰囲気、顔の表情、振る舞い、あるいは職業の組み合わせのバランスから構成されていた。しかし、プリントされた言葉、絵、写真といった“記号を着る”という行為により「スタイル」は「メッセージ」として圧縮され、誰もが簡単に衣服を通して表現をすることが可能になったのだ。エルヴィス・プレスリーをはじめとする初期のロックンロールシンガー、その後のイギー・ポップ、ビートルズやローリング・ストーンズ、パティ・スミス、そして彼らに続く様々なシンガー、アーティスト、時代の寵児は、新しく生まれたファッションのインフルエンサーとして機能し、ストリートのファッションが大衆文化の中で次第に強い意味を持ち始める。若者は「REBEL」と書かれた服を着ることで、反抗心を示すことが出来るようになり、アーティストのポートレイトがプリントされた服や、彼らのスタイルを真似ることで、そのメッセージを発信することが出来るようになった。歌を歌うことや、物を作ることで表現をするという手段を持たない若者達が、衣服を着ることでシンプルに自らを表現出来るようになったのだ。大人達にとって見慣れない、聞き慣れないメッセージが発信される中心が「ストリート」として認識されたのはおそらくこの頃である。こうした背景もあり、「ストリートファッション」は若者のファッションという言葉とほとんど同じ意味として使われているが、しかし、それは根源的な部分にあるストリートの原点を矮小化してしまう。

かつてファッションにとっての「裏通り」は、アフリカやアジアといった、欧米から見て「エキゾチックなもの」を指していた。イヴ・サンローランはアフリカや中国に「見慣れないもの」の原石を求め、高田賢三は「見慣れない」日本のテキスタイルを異邦人の立場でヨーロッパに持ち込んだ。それらは人とは違うものを身に着けたい、人と違う人間でありたい(ただし極端に違ってはならない)と思う人々の心を一時掴むのだが、一度それらが消費され、見慣れたものになってしまうとエキゾチックさは失われていく。こうして人はいつも見慣れない危うさを探している。完全に見たことのないものというよりは、少しリスクを冒さないと見ることが出来ないものを。見慣れた風景の中では見付からないような、先鋭化された緊張感をどこかで日常の中に探しているのだ。自分とは普段無縁の世界であるはずの世界から生まれたものを表の世界で身に着けることで、人々は他者とは違う自分でありたいというメッセージを発してきた。しかし、奇妙なもので、人間はこうして新しい物を作っておきながら、それが流行すると距離を置き始める。マイノリティの先鋭的なメッセージは、大勢によって発せられることで消費の波に飲まれ、次第に本来の先鋭さを失い、最終的にはメインストリームによる「外しのアクセント」として消化されてしまう。皮肉なことにメインストリームを拒む態度は、「隷属への拒否をするコミュニティ」への隷属に繋がってしまう。そして人々は、新大陸を目指す狩猟者のように新しい場所を探し始める。

今、ストリートはどこに在るのだろうか? ロンドンのショーディッチ、ニューヨークのアルファベット・シティやクイーンズ、ロサンゼルスのサウス・セントラル、ベルリンのクロイツベルク……。主要大都市のストリートには少しずつ表通りの雰囲気が流れ始め、次第に「裏通り」ではなくなりつつある。そこで見付かったスタイルの原石は採掘され、消費され、大衆化されていく。そして裏と表の混ざり物の空気では満足出来ない人々は、新しい裏の空気を探し続けている。2年程前から、ファッションの中でキリル文字が踊り、旧ソ連や東欧のユースカルチャーをベースにしたスタイルがランウェイを飾るのを見ていると、ストリートはもしかすると西側ではもう食い尽くされてしまったのかもしれないと思う。やがて東側のストリートも表通りに完全に露出し、そして消費し尽くされるのも時間の問題かもしれない。

文学の世界で、スタイルは文体を意味している。ファッションでいうスタイルとは、人が所属するコミュニティにある装いのパターンと、個人の体の奥から滲み出てくる癖の間に生まれる「有り様」のようなものだ(脚注2)。もし人間の一生が小説のようなものだとすれば、人と違った自分でありたいという欲求や、非日常の「ストリート」の空気を纏いたいという欲求も、それぞれの人生の過去の出来事から生まれた文脈に縛られたものだろう。今身に着けている衣服は小説に書かれた一文のように、私達の未来とその有り様に影響を与える。そしてスタイルは過去と未来の間を漂う。あらゆるものが見慣れてしまったものになりつつある今、スタイルを作るとはどういうことなのだろうか。それを考えるタイミングなのかもしれない。最後に『都市とモードのビデオノート』のビデオの冒頭で流れるヴィム・ヴェンダースのナレーションを引用して、
筆を置きたいと思う。ー

YOU LIVE WHEREVER YOU LIVE,

YOU DO WHATEVER WORK YOU DO,

YOU TALK HOWEVER YOU TALK,

YOU EAT WHATEVER YOU EAT,

YOU WEAR WHATEVER CLOTHES YOU WEAR,

YOU LOOK AT WHATEVER IMAGES YOU SEE,

YOU’RE LIVING HOWEVER YOU CAN,

YOU ARE WHOEVER YOU ARE.






BIG BREAST T-SHIRT BY JOHN DOVE AND MOLLY WHITE AT “SENSIBILITY AND WONDER” EXHIBITION AT DIESEL ART GALLERY, TOKYO JAPAN (2017) PHOTOGRAPHY YUSUKE KOISHI




BACK STREET (2017)
 PHOTOGRAPHY YUSUKE KOISHI


脚注1:ジョン・ドーヴとモーリー・ホワイトは1966年から1967年にかけて、テキスタイル用の特性のインクを自作し、入れ墨をシルクスクリーンでプリントした「PAINLESS TATTOO」というインナーウェアのコレクションを制作する。彼らがその後制作した作品はパンクファッションの源流となる。

脚注2:筆者が過去に『ÉKRITS』に寄稿した「ファッション、離散化される人間の様装」に、ロラン・バルトの研究と関連した少し詳しい話が書かれてある。


小石祐介
青森県三沢市出身。国内外のブランドの企画、デザインやコンサルティングを行うKLEINSTEIN CO., LTD.の代表。また組織の枠組みや分野領域を問わず様々な企画を立ち上げ展開するNOAVENUEを主宰する。文筆家としても活動し、文芸誌をはじめ様々なメディアに寄稿をしている。


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