INTERVIEW WITH HANAYO

迷い込むフラワールド。2/2
INTERVIEW TEXT RISA YAMAGUCHI
点子と名付けた由来をお聞かせ下さい。

寺山修司さんの戯曲に『星の王子さま』という作品があって、舞台は新宿五丁目のレズビアンバーで、内容はサン・テグジュペリのお話とは関係なく、もうめちゃくちゃで、殺人が起きたりするんです。美輪明宏さんの『毛皮のマリー』という作品があり、ゲイの人達が女装をし演じているのですが、それのアンサーソング的に寺山さんが1960年代に制作したらしくて。初めて再演をしたのが流山児祥さんという方で、私が20歳くらいの時にその舞台に出たんです。サン・テグジュペリの原作と同じ役名の配役がある中、点子という名の主人公だけが創作されていました。私の役はそのまた創作で、点子のお化け的な感じでした。なので私もテンコと呼ばれていました。点子のお父さんがいつもお稽古を見に来ていたので「テンコって可愛い名前だよね」って話をしていたら、他の劇団員の人が「そういえば(エーリッヒ)・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』ってドイツのお話だよね」という話になったんです。ドイツ語で「PÜNKTCHEN」って「チビちゃん」とか「~ちゃん」みたいな意味なのですが、アントンは言い易いけれど「PUNKT」って言いにくいので、多分当時のドイツ翻訳の人が点子と付けたと思うんですよね。彼が「アントンっていう名前は今はほとんど聞かないし、農夫の人みたいで凄く良いね。いつか僕達に子供が出来たら男の子はアントンで女の子は点子にしよう」という話をしていたら、その後に妊娠が分かって、何故だか私は男の子が生まれると思っていたんです。当時の日本は、地震や地下鉄サリン事件の後だったので、安らかな東と書いて安東(アントン)にしようと思っていたんです。なので点子ちゃんになるとは思っていなくて、生まれた時に確認したら「あれ!? オチンチンが無い! じゃあ点子なんだー」という感じでしたね。


点子ちゃんとは親子でもあり、友達でもあり、同志でもあるように見えるのですが、実際はどんな関係性なのでしょうか?

実際そうです。口論もしますが、喧嘩にならないんです。点子は小賢しいというか、怒っている人に対して同等に返しても意味ないと知っているみたいで! 私はそういうことが全然出来ないから、一人で騒いでいると「はいはい」みたいな感じで完全に上手です。全然私の言うことを聞いていないと思います!


今は離れて暮らしていますが、やはり寂しいでしょうか?

触れられませんが、FACETIMEなどで毎日のように話しているので寂しくないです。動くお互いをいつも確認し合えることって凄く大きいと思います。勿論イギリスでテロなどがあると本当に嫌な気持ちになりますが……。お互い離れることが凄く心配で、ずっと二人でやってきたので「この共同体はこの先どうなるんだろう?」と不安に思っていたのですが、ちょうど私達が離れるタイミングで点子にボーイフレンドが出来て、私も今の彼に出会って凄くゲンキンですが、お互い彼氏が出来たから「バ~イ」みたいな感じでしたね(笑)。


花代さんが思う子育てとは?

点子にはいつも「子育て本を出した方がいい」と言われるんです。勿論彼女の生まれ持った性格もあると思いますが、私、本当に難しい体験をして来なかったんですよね。やっぱりそれはいつも正直に向き合ってきたというか、例えば普通だったらシングルマザーだとデートをする時にはベビーシッターに預けたりすると思いますが、私は彼氏を家に招いて皆で一緒に遊んだり旅も一緒に行くとか。正直ドイツではあまり歓迎されないのですが、夜出かける時も連れて行くとか。私自身もう少し大人で、自分が完成されていたら自分の世界観を大事にしていたかもしれませんが、当時は半玉さんを上がってすぐの出来事だったので、何事も一生懸命でした。母親や家族が近くにいれば預かってもらうことも可能でしたが、外国にいたので。点子とは常に一緒にいたので、お互いのことを観察して、とても理解し合っているのだと思います。私なんか自分の母親のことはよく分からなかったですもん。あの距離感が良かったのかは分かりませんが、私が学生の頃は凄く規則があってサブカルのデビューも早かったこともありますが、母が凄く危惧していたんです。夜にロンドン・ナイトに行くとか朝帰りをすることに対して母は物凄く嫌がっていて、大人達との交流出来ないように電話も繋げてもらえませんでした。『女子高生通信』という雑誌を作っていたのですが、宛先が私の住所になっていたので、手紙とかが届いていても隠されてしまったり。母親なりに心配だったと思うのですが、私は反対に点子が「これは明らかにまずいな~」みたいなことをやっていても「駄目だ!」と言ったって子供ってするじゃないですか。そこは信頼するということで敢えて言わないようにしてきました。私達はアートコミュニティの中で生活していたので、町や社会の在り方が日本とはやっぱり少し違うんですかね。なので沢山のお父さんとお母さんが点子を育ててくれて、私には補えない部分を周りが補ってくれたり(笑)。でも子供ってそうやって育つものだと思いますし、むしろ反対の方が怖くて、もし点子が生まれてなかったら私どうなっていたんだろう、と思います。本当にタイミングが良くて、25歳の時はまだ超フワフワしていたので、神様がこの人は赤ちゃんがいた方が良い、と思ったんだと思います(笑)。本当に私自身が育ててもらったという感じですね(笑)。


花代さん的な存在の人は出てきていませんが、何故ご自身がここまでの地位に辿り着けたと思われますか?

やっぱり恵まれていたことが大きいと思います。例えば私の家がサブカルチャー文化圏から離れていて、家業を継がなければいけない状況だったらここまで自由なことは勿論出来ませんし。運が良かったと言ってしまうと分かりにくい説明ですが、やっぱり自分のことを一度でも偉くなったと思ったことが無いんですよね。実際偉くないのですが! 威張っている人で尊敬出来るような人はいません。私が今まで好き勝手やっていた時、皆の恩恵を受けてやれていたことは絶対的に確かで。ベルリンやニューヨークに行った時など、何処に行ってもお世話をしてくれる人がいたんです。今の東京のお家だと女の子一人だったら泊まれますが、とても小さいのでプライバシーも無いですし……。でも次に引っ越す所はゲストルームのお部屋があったり、お庭のある半世紀前の古い一軒家で『サザエさん』のおフネさんみたいな感じで、玄関をガラガラと開けて「いらっしゃい」みたいな女性になるのが今の目標です(笑)! 小さな姪や甥っ子達や家族や友人達が、いつでも訪ねてくれるような家にしたいなと思っています。五人くらいは余裕で泊まれます! あとは私達の両親がもう歳なので、近くにいてあげたいなという理由もありました。私はこういう風になりたいとか何かをしたいというより、美しい毎日や美しい生活を過ごすということが、何よりも大切です。






© HANAYO / COURTESY OF TAKA ISHII GALLERY PHOTOGRAPHY / FILM




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