YUIMA NAKAZATO

対話が開く服と社会。
INTERVIEW TEXT SHINGO ISOYAMA
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2016年秋冬オートクチュール、YUIMA  NAKAZATOはトップバッターとしてショーを開催した。日本人によるオフィシャルゲストデザイナーとしての参加は、森英恵以来12年振りのことであった。この空白の12年間は、 「オートクチュール」という言葉の持つ神秘性を象徴すると共に、その場に参入するハードルの高さを物語っている。その壁はまるで、デザイナー自身の存在する根拠を問うものではないのだろうか。今ここで、何の為に、何を成すべきなのか。その根拠が結実した時、現れて来る信念がこの高い壁を乗り越えることの出来る唯一の武器となるだろう。

「お待ちしておりました」とスタジオの玄関が開き、応接間へ導かれた。部屋に入ると同時に、別のドアより現れたスタッフからお水を頂き、その奥からWILKINSONを持ったデザイナー、中里唯馬が流れるように現れる。この一連の動きから心地良い緊張感とチームワークの成熟度を感じ取ることが出来た。応接間の奥には最新のショーピースが丁寧に並べられ、外からの光がそれぞれの固有の存在感を際立たせている。スクリーン越しに観たカメラのみが捕えることの出来る光の揺らめきとは異なり、僕自身が動く度に光彩が変化する体験は、YUIMA NAKAZATOの服自体が持つ強度の秘密とその光に織り込まれた背景への興味を誘った。

インタビューを読み進めていく内に、中里の「人の為に真摯に『対話』を重ねてモノを作り続ける」という姿勢が随所に伺えることだろう。その姿勢は、ワンクリックで服を買える若い世代から見ると、まるで古典的なデザイナーのように映るかもしれない。しかし、その見方は、ある意味正しい反応でもある。何故なら中里の目指す未来こそ、オートクチュールの原点に遡って考えることができるからだ。多くの物事があまりにもやり尽くされているという絶望感からは、その原点はとても平坦な大地に見えてしまうことだろう。しかしながら、自分の身体を限界まで用い、新しい技術を「対話」によって蓄積させながら、その大地に根をおろす時、未だ訪れたことのない事物の兆しが見えてくるに違いない。その兆しこそ服そのものが持つ瑞々しい生命線なのではないだろうか。


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YUIMA NAKAZATO HAUTE COUTURE A/W 2016-17

PHOTOGRAPHY SHOJI FUJII


日本人として12年振りのオートクチュールへの正式参加でした。ショーを終えた今の率直なお気持ちをお聞かせ下さい。

初めてのことだらけだったので、無事に終わって良かったというのが素直な気持ちです。コレクション製作をしていた半年間、最初から最後までやりたい事をブレずに純度高く作るというのが一つの目標でした。予算など、色々な制約がある中、目標に向かって高い純度が出せたのではないかと思っています。


何故このタイミングでの参加だったのでしょうか?

ブランドとしてのタイミング、というのが一番大きかったです。アントワープで勉強し、東京で試行錯誤を続けて来た中で、自分の目指す方向、チームワーク、培って来た経験、技術を発表するタイミングはここなのではないかと、何となく見えてきた時期でした。また、去年まで年間で500体近い衣装を製作する内に、オーダーメイドで作る機会もどんどん増えてきましたので、持っている技術、活動を海外の方々を含めより多くの人々に知って欲しいと思いました。


パリ、そして日本。それぞれの反応はいかがでしたか?

ショーが終わってからの拍手や、バックステージに来て下さる方々から顕著にリアクションが分かるので心配していたのですが、当日は大きな拍手と共に沢山の方々が来て下さいました。オートクチュール協会の方々も本当に喜んで下さっていてホッとしましたね。「このショーを10年前に観ていたら、『何遊んでいるんだ!』と言っていたかもしれない」と仰る方もいましたが、このタイミングで手間隙を掛けて作るということや、新しいファッションの可能性に挑む姿勢といった部分が評価に繋がったと思います。日本では「ビジネス的に大丈夫か?」という意見が多かった気がします。特に今回のショーだけを切り取って観た人からそう言った声が上がりました。そう言ったことを含め、定着していくまでに乗り越えなくてはいけない壁も沢山見えて来ましたね。


今回、コレクションのインスピレーションとなった場所としてアイスランドを掲げていました。何故、その場所を選ばれたのでしょうか?

去年11月にパリでテロがありました。丁度パリで発表しようと思っていたタイミングでもあったので個人的にとてもショックでした。その時期に本屋さんで「アイスランドは世界で一番平和な国」という記事を見付けました。調べていく内に「アイスランドは世界で唯一、警察が銃を携行していない国」ということが分かりました。日本ですら銃を持ち歩いているのに……。それって一体どんな場所なんだろう、と思ったのが入り口になりましたね。「これは、もう行くしかない!」と思い、去年の末に実際に訪れました。現地は岩と氷しかない世界で、オーロラが輝いていたり、氷に光が当たると水色から濃いブルーに変化したり、地球外の惑星のようなんです。そこに住んでいる人達も本当にピースフルで温かかったので、この経験を元にコレクションを作りたいと感じました。


インターネットで検索することで、その場所に行かずとも大量のイメージが得られると思います。何故、わざわざ現地へ足を運ばれたのでしょうか?

そうですね……。アイスランドで訪れた場所の中でも特に氷の洞窟が印象的でした。そこは、氷の中にたまたま常温で流れていた川の水が抜けきった後に出来た空洞だったんです。入ってみると、上の雪が溶けている部分から太陽の光が入って来て、中の氷が徐々にブルーに光出したんです。その光は時間の経過と共に黒っぽい紺から鮮やかなブルーに変化して来て、服にも映りました。この体験は写真では感じることのできないものだったと思います。今回のコレクションの、青い光を纏うといったインスピレーションは、現地で見た氷や太陽の光からなる自然現象の体験から来ているんです。


中里さんは新しいテクノロジーに積極的なアプローチを掛けている印象があります。体験することと検索することのバランスに関してどのように考えますか?

地図を持たないで旅に出るような感覚と、GOOGLE MAPを連動させるようなバランス感覚が大切かもしれません。行き先未定で進む感覚がないと、過去に自分が行った検索、購入履歴からAIがはじき出した結果に縛られ、自分の趣味だけの凝り固まった世界で生きることになってしまいます。しかしながら、現地で逃したくない情報や、ネットでしか知り得ない情報も沢山あるので、やはり両立が必要だと思いますね。


自然現象の体験がインスピレーションになるということでしたが、ご自身の自然に対する原体験があっ
たらお聞かせ下さい。


自分の両親は共に作家活動をしています。例えば、父は家や家具を作っていたり、知り合いの陶芸作家と器を物々交換していたり、母は自身が着る服をリメイクしていたりと、完全な自給自足という訳ではありませんが、衣食住の中で自分達の手で作れるものは作ろう、といったライフスタイルでした。自然が日常的な環境で、その場にいる鳥や虫、木の葉や花など、周りにある自然をインスピレーションにして作品として出すという、シンプルな作り方を幼い頃から近くで見ていたことが今に繋がっていると思います。


そのシンプルな作り方こそが、現在のコンテクストに沿った作り方とは一番異なっている部分のように思います。

そうかもしれませんね。勿論、コンテクストを強く意識した時期もありました。ですが、最近はその流れとは違うベクトルで思考回路を発展させていきたいと思っています。最初のインスピレーション集めに掛ける時間をカットして、リサーチベースで資料やアーカイヴからイメージを持って来るという作り方は、アウトプットが強くて早い効率的な方法です。反対に、自分達のようにインスピレーションから始まって素材を作り、加工する技術を編み出すという方法は大変な手間と時間が掛かります。今回のコレクションは、そうして出来上がった素材を100人態勢、24時間で千羽鶴を折るような手作業によって作り上げていきました。オートクチュールという場所は、そのような手間隙が評価される場所なので、期間内に可能な限り手間隙を詰め込むという作業に徹しています。


素材の加工の仕方も、通常のミシンを使っての制作方法とは異なるように思います。どのような作り方をしているのでしょうか?

今回の制作方法は、パソコンの上のヴァーチャルなデータをリアルに出力するという、シンプルな方法で行っています。プリンターで出力しているので、ほとんどミシンを使っていません。パターンも所謂パターンワークとは異なる概念で作り上げました。そもそもメインで使っているホログラムは、液晶画面の中に使われている光を増幅させる素材、ある意味ヴァーチャルに関わる素材です。


パターンワークと異なる概念とは、具体的にどのようなことでしょうか?

まず、UNITと呼んでいる細胞のような形を一個作ります。そして、UNITの数とサイズを調整して、身体に沿った形で連結させていきます。例えば、首回りだったら何個で一周できるとか、腕周りだったら5個で覆えるといったことを計算しながら作っています。UNIT自体はシートで作っていて繊維が0なので、切れ目を入れることによって伸縮性、通気性を確保しています。


一着を購入する感覚とはまた異なるように思います。

そうですね、細胞何個分を買うといった感覚が近いかもしれません(笑)。将来、購入された方の体型が変化してもこの発想だと調整可能です。


今回のコレクションの中で、3Dプリントを用いて “腕”も作られていたという記事を読みました。何故、身体にアプローチしようと思ったのでしょうか?

未来のオートクチュールにおいて、ファッションデザイナーは身体をデザインするようになるのではないかということを考えました。「身体の個体差が無くなることで人の羞恥心は薄れていくと、覆い隠すという衣服の機能は変化していくのか?」、「身体の内側にラインやドットなどのデザインがタトゥのように入っていたり、身体を自由にデザイン出来るようになった時に衣服は果たしてどのような仕方で存在するのか?」。そうしたことを問いたかったんです。


ショーピースの中で日本的な要素を意識している所があれば教えて下さい。

オートクチュール協会にゲストで迎え入れてもらえた理由として、クラフトマンシップやテクノロジーを用いた日本ならではの作り方をパリに持ち込むといった部分を期待されていました。そういった期待と自分のやりたいことの間から色々な技法について考えた末に、江戸切子による繊細なカットを生かしたジュエリーを作ってみたり、漆の樹脂に粉末状にしたホログラムを混ぜて塗装したり、人の技術で出来た伝統的な物作りと、デジタルテクノロジーを融合させた日本的な要素に落とし込んでいくこととなりました。


YUIMA NAKAZATOといえば、ホログラムがシグネチャーになっていると思います。使い続ける理由はどのようなところにあるのでしょうか?

例えば、自分が自然の風景を描きたいと思った場合、水彩絵の具とか色々な画材を使って見えている景色をそのまま写し、汲み取ってもらえるように描きます。その時、見ているものと使っている絵の具に誤差があって表現しきれないなと感じたら、色々な絵の具を探し出そうとします。アクリル絵の具を試してみたらどうかとか、ラメを混ぜてみたらどうかとか、色々な絵の具を試して近付けていくようなイメージです。ホログラムに出会った時は、自分が美しいと思う自然の現象を汲み取れる素材かもしれないと思いました。他の生地や現存している素材では描ききれないインスピレーションが、ホログラムだったら描けるのではないかと思ったんです。今季のショーは、2010年から6年間、ホログラムを使い続けていく中で積み重なった工場の生産背景や加工のテクニックなど、集大成的なコレクションにしたかったんです。


色々な技術を持った方々と交流されている印象です。交流される上で意識されているポイントはありますか?

特に技術、素材など、異分野の方々との対話が多いです。お互いが持っているルールやコンテクストが違う中、「今、コレをどのようにして形にするか?」という問いに向かってフラットに対話をすることを意識しています。その中では、過去にどのデザイナーが使っていたとか、真似になるとかならないとか、そういった話は一切出て来ませんでした。過去にあった素材や手法であったとしても、今この時代に作り直すことで全く違うモノに見える可能性がありますので、同じコンテクストの中での対話だとその芽が潰れてしまうかもしれないと感じています。やはり異分野同士の対話こそが、新しいモノを生みやすい環境なのではないかと思っています。


両親がそれぞれ作家活動をしているということでした。色々な選択肢が考えられる環境だと思うのですが、何故ファッションの道を選ばれたのですか?

実家は実家で、両親の価値観で世界が出来上がっていたのですが、家を出てみるとそこには別の社会があり、別の対話が必要でした。常に家と社会の両立がテーマで、ファッションはこの二つの世界を繋げるものだったんです。衣食住の中で考えた時に家や食べ物は自己完結的ですが、衣は外と繋がるポイントがあるので特別だと思っていました。そもそもファッションは一人では成り立ちません。作る人、着る人という最小単位で始まって、色々な人が関わっていくところが魅力的だったんです。


アントワープに行くきっかけとなった出来事は何ですか?

自分が通っていたのは私服登校が可能な高校でした。当時は裏原ストリート全盛期で、周りはストリート系のファッションが多かったのですが、売っているものをパッと着るという行為に素直に馴染めなかったので、ウィメンズの古着などを買ってきてリメイクしていました。メンズよりもウィメンズの、所謂おばちゃんが着るような婦人服のデザインに惹かれていましたね(笑)。当時、表現というよりは、友達との差別化というレベルで考えていたと思います。しばらく経った後、「アントワープで初めての日本人卒業生、三木勘也」という新聞の記事を読みました。「何故こんな人が出てくるんだろう?」と思い、アントワープの背景を知りたくなりました。高校三年生の時にアントワープの卒業コレクションを観に行った後、アントワープ・シックスやその歴史にどんどんのめり込んでしまい、卒業後にアントワープ王立芸術アカデミーに入学しました。


アントワープはどのような社会でしたか?

本当に独特な社会でした。世界中から学生が集まっているので、異文化のぶつかり合いもそこにはありました。同性愛の方も非常に多く、自分が育ってきた環境には無かったので驚きました。そして何より、先生の物事の伝え方が半端じゃないと感じました。そこには絶対的な自信と判断力が存在していて、「良くない」「才能が無い」とはっきり断定してくるのです。クラスの半分が落第するというルールがあるので、何が起こるか分からない緊張感が常にあり、先生の発言一言一言にインパクトを感じました。でも、結局は自分を信じることが出来る人しか残りませんでした。先生の顔色を見る人は最後の最後に落とされていましたね。


先生とのやり取りで記憶に残っていることを教えて下さい。

一度気絶したことがあります(笑)。当時、自分は色使いが苦手で、モノトーンが好きだったんです。モノトーンは、自分に自信が無く、殻にこもってしまう時に使いがちな色であることを先生であるウォルター・ヴァン・ベイレンドンクに見抜かれ、「これまでの歴史を考えた時、日本人がモノトーンを使うことはステレオタイプだから、ショッキングピンクを使ってみろ」と言われました。自分の作品の中にショッキングピンクが入り込むことを想像したとたんに気持ち悪くなってしまい、そのまま気絶してしまいましたね(笑)。そのショックで今みたいな感じになってしまったのかもしれません。


学生時代、様々な国籍の方がいる中、日本人であることをどのように意識されていましたか?

それぞれの人にそれぞれのアイデンティティがあるので、自分のアイデンティティを全開に出すことには違和感を感じていました。一つのアイデンティティだけを売りにしてコミュニケーションを取っていくことは、一方通行的なのではないかと思っていたんです。でも、卒業が近くなって来た頃から、日本らしさを直接的ではなく、変容させながら込めるということを始めてみました。卒業コレクションの時には折り紙のように、平面が立体に変化する服を作りました。その後もITSに出した円形の靴は折り紙をモチーフにしています。


今現在、「ジェンダレス」に関して考えていることを教えて下さい。

ずっと自分のテーマにもなっている、本当に難しい問題です。両親からは「男らしさとか女らしさとか、社会が作る性にあまり捕われない方が良い」と幼い頃から教えられてきました。両親は小学校のランドセルの色が「女の子は赤、男の子は黒」というのを好まなかったので、「赤いランドセルで行ったらいいじゃないか」と言っていました。でも自分は「やっぱり男の子だから黒がいい」と言っていましたね。家の中ではお飯事が好きだったのですが、親戚の家にそれを持って行くと「男の子の遊びじゃないよ」とか言われたり、家の中で認められてる物事が世の中では良しとされていないことに対して、一体どのように向き合ったらいいのだろうかと思っていました。YUIMA NAKAZATOブランドとして、最初に行ったジェンダーを取り入れたコレクションでも、ショー後に「デザイナー自身はスカートを穿かないんですか?」「ハイヒールは履かないんですか?」など色々と聞かれて悩んだりもしました。実は今回のショーでメンズモデルを起用する予定だったんです。服やハイヒールも作り、パリでキャスティングまでしたのですが、コレクションとしてしっくりこなかったのでショーには入れませんでした。女性モデルは性差が曖昧になるように選び、髪型で性差が出ないように意識しました。性としてではなく、人物像として表現するに至りました。


日常的に着る衣服とオートクチュールに接点はあると思われますか?

普段に着る服からは、新しい機能とか着心地とか、今、ブランドとして考えていることとはまた異なるベクトルのアイディアが得られます。自分自身でも着ながら、「この生地は良いかも」「この裏地だと良い動きが出来る」といった生活レベルの蓄積を衣装デザインをする際にも使っています。衣装では主に映るのは表側なので、表を重視して考えますが、実際に着てみると目に見えないちょっとした違和感が浮上します。なので、裏側の部分も拘っていて、「どういった踊り方をするのか?」「何回使用するか?」「何時間使用するのか?」という部分から考え始めて、速乾性、匂い、着心地、耐久性、ストレッチ具合といった細かい部分へと落し込んでいきます。身体との接地面なので、内側の機能性の進化はこれからも進んでいくと思います。表側と比べて、内側の変化はあまり無いので、もしかしたら裏地の部分だけ取ったら、凄いシンプルなTシャツが出てくるかもしれませんね。


衣装をデザインされる際に意識されることはありますか?

特に「対話」を重視しています。対話することによって得た、人それぞれが持つコンプレックスや動きの癖を考えてから製作しています。例えば、マイクを右手で持つ癖がある人は絶対に右腕のジャケットだけ短く見えるので、右袖だけ長く作っています。対話を重ねる内に、その人の体のデータが蓄積されていくので、そのパーソナルデータを元に製作、提案していきたいです。そのように対話を重ねて作っていき、出来上がった衣装を喜んで貰えることが何より嬉しいですね。


リアルクローズをスタートさせる予定はありますか?

自分の着る服はやはり自分で作りたいと思っています。今はブランド内で出来る範囲で、色々と削ぎ削ぎ落としたモノ作りをしていますが、いずれは“ONE-OFF”のプロダクトを作っていきたいですね。


現在、小さいところからではありますが、消費者自らがTシャツなどの服を作り始めています。そういった流れがある中で、中里さんは「ONE-OFFな服作り」をどのように考えていますか?

一部の人にしか受けられないサービスが民主化していくのは、自然の流れなのではないかと思います。しかし、TシャツなどはSMLという規格で様々な体に合わせて作られているので、個々の身体には合っていないサイズを着ていることになります。ONE-OFFでその人のためだけの物作りをしたら、その服を自分自身の皮膚のように大切にすると思いますし、その人にしか合わないので転売とかも無いような気がしています(笑)。


「対話」を伴った、今後のオーダーのイメージはありますか?

出来る限り一人一人と話せるのが理想ですが、より多くの人に衣服を提供したいと思った時、全員と話し続けることには限界があるので、別の方法で補っていく必要があると思っています。例えば、AIや、自分の代わりにコミュニケーションを取ってくれる人を育てること、同じメソッドでも何処にいても受けられるようなシステムを作ることは今後必要になってくる気がします。ただ、そのコミュニケーションの取り方、対話の仕方、そのデザインの提案は、日々一点物の衣装を作りながらデータベースに蓄積して拡散していきたいと考えています。また、技術のノウハウもデータ化して、お客様の要望に応えていきたいです。


機械による作業ではなく、あくまでデザイナーとしてONE-OFFなものを作ることについてはどのように考えますか?

人の手によるONE-OFFでの物作りは、その昔あったオートクチュールで行われていたことなので、原点に近付いていく行為だと感じています。特に機械ではコンプレックスを言い辛い人や、逆にその生かし方を提案して欲しいという方など、人のコミュニケーションの取り方は千差万別なのでマニュアル化はしにくいと思います。なので、ONE-OFFなものを作るデザイナーは、身体の内側のあるものを引き出す精神科医のようなイメージが近いのかもしれません。温度や目に見えない機能の選択、その人の顔の形や肌の色味から提案を行いたいですね。特に情報が多過ぎて選びきれない今だからこそ、提案が重要だと思います。


中里さんが考える物作りの行き着く先は、どのようなものですか?

最終的には糸の繊維までONE-OFFで作れるようになると思います。繊維レベルで個々に合った物作りですね。今はコストの問題で不可能ですが、こうして想像できているということは、いずれ可能になると思うんです。


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YUIMA NAKAZATO HAUTE COUTURE A/W 2016-17
PHOTOGRAPHY CLAIRE ROBERTSON


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