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INTERVIEW WITH HANAYO
迷い込むフラワールド。1/2
INTERVIEW TEXT RISA YAMAGUCHI
彼女は一体何者なのか? この質問に対して花代さんと関わったことがある人達の答えはきっと「彼女はアーティストだ」「写真家だよ」「芸妓さんでしょ?」などと様々な答えが返ってくるだろう。私自身、初めて花代さんとお会いしたのはとある雑誌のファッション撮影だった。彼女がフォトグラファーとして、娘の点子さんがモデルとして参加していたので「写真家でありながら、点子ちゃんのお母さんなんだ~、格好良いな」という印象を抱いたのを覚えている。彼女がシャッターを切れば花代ワールド全開な世界観に変貌し、花代さんが醸し出す不思議な空気感と彼女自身が体験し、生きてきた過程が写真そのものに反映されている。正に彼女にしか撮れない写真がそこには存在するのだ。所謂、普通にカメラが好きで何となく写真を撮り続けている人には絶対に撮れない世界観が広がっていることに凄く興奮し、惹かれたのを覚えている。花代さんが手土産に持ってきて下さった美味しいチーズケーキを食べたり、他愛もない世間話をしたり……。そんなインタビューの最中に感じたことは、彼女自身が凄く自然体だということ。自分自身には勿論、誰に対しても正直に向き合い、生きている姿勢が花代という人物を形成しているのだろう。
インタビューを始めてすぐに、彼女の口から2018年に向けて今までにないような本を製作中という事実を聞くことが出来た。「私の活動が多岐に渡っていることで分かりにくいというご指摘をよく受けるんです。ギャラリーオーナーや学芸員、編集者の方達から『本にして纏める時期にある』というご指摘があり製作に至りました。今はそれに向けて頑張っています」。彼女の醸し出す柔らかな雰囲気や小柄な体型からは想像出来ない程、美しくダイナミックな写真を撮り続ける傍ら、パフォーマーやアーティストとしての活動、そして一人娘の点子さんとの関係など、彼女が生きてきた半生を「私自身がその立場だったら……」と置き換え想像してみても、きっと周りの目や将来のことなどを心配し、彼女みたいに強くは生きていけないだろうと心底思う。彼女が一体何者なのか、その本でその全貌が明らかになるまでの予習として、今回のインタビューに耳を傾けて欲しい。
どんな幼少期を過ごされましたか?
実は来年に向けて、写真以外のアクティヴィティに関する本を纏めているのですが、(その本の中でも)やはり同じような質問をされたので、実家に帰り幼少期の卒業文集や作品を見ていました。自分では当時、普通の女の子だと思っていたのですが、文章とか見ていると凄い変だなと(笑)。例えば、友達は「好きな芸能人はSMAP!」とか書いているのですが、私は「内山田洋とクール・ファイブと新沼謙治が好き!」と書いていて、皆から「誰それ?」と言われたり(苦笑)。『巻き寿司の妖精』という謎の創作本を書いていたり、そういう風変りな所は子供の頃からあったんだなと思いました。
芸術志向な環境で育ったのかと想像してしまうのですが、どんなご家庭で育ちましたか?
父親は化学の研究者なのですが、少し面白かったかも知れないですね。お父さんの眉毛が実験している最中に無くなっちゃったり。母親は書道家ですが、普通に良く育ててもらいました。兄も凄く仲が良くて、今は法律関係の仕事をしています。私以外は皆ちゃんとしていますね(笑)。
私から見た花代さんは写真家という印象が強いのですが、様々な肩書きをお持ちな花代さん自身、一番しっくりくる職業は何だと思われますか?
時代も関係しますが、半玉さんをやっていた頃は、職業は「半玉です」と言うのが好きでした。花柳界が未だ存在していたことすら私は知らなかったですし、日常と異なる世界というか、皆が接点の無い世界ですし、異世界のことを勉強することに魅力を感じていました。半玉さんを辞めて結婚してすぐに妊娠していることが分かったので、それから母親という職業が始まり、娘を育てながら、自分の周りからお誘いを受けるままに色々な表現をやってきたという感じです。ベルリンでも写真を撮り続けていたのですが、発表する機会は日本ほど割合的には多くはなく、クリストフ・シュリンゲンズィーフというアクティヴィストにお呼ばれして彼の演劇に参加していました。ドイツの人にとっては私はパフォーマーというイメージが強いようですし、日本で私を1995年以前から知っている人達は半玉さんのイメージがあると思いますし、とにかく私は芸歴が長いんですよね。普通だと学校を卒業して、就職して、30歳くらいで固まって、世に出て40歳くらいで認められてという流れだと思うのですが、私がパブリックに露出し始めたのが10代だったので人間的にも何も固まっていないですし、今も固まっているのか謎ですが(笑)。そこは少し特殊だったかもしれないですね。今はタカ・イシイギャラリーに所属していますが、その前はギャラリー小柳という所にいて、私が日本にいない15年間は、常にそこで写真を発表していたので、写真家というイメージが付いてしまったのかなと思うんです。ただそれは、そういう側面があっただけで、音楽をやることも好きですし、どれが一番しっくりくるかといわれたら難しいんですよね。どれもちゃんとしていないという言い方も出来ますし……。でも、一つの世界に生きていたら難しいと思うんですよね。音楽や踊りや子育てを通じて面白い写真作品が撮れたのかもしれません。
今では花代さんみたいに様々な肩書きを持ちながら働いている方が多く、世間からも理解があると思いますが、一昔前だと「何をやっている人なんだ?」と偏見の目で見られたりしたと思います。
そうですね。「何がメインですか?」とよく聞かれていましたし、日本以外の国だと、例えばクリストフ・シュリンゲンズィーフはアクティヴィストでもあり、政治家でもあり、映画監督でもあり、色々な活動を沢山すると付加価値というか、それが美徳というか、良いことなのですが、日本だと「八代亜紀さんは演歌歌手だけど絵も描くらしいよ」というような少し偏った考えの方が多いのかなと思います。私が大好きで尊敬している写真家がいるのですが、哲学者的なくらい沢山の知識をお持ちで文章もとても素晴らしいんです。彼の本が何かの文芸賞にノミネートされたことがあったらしいのですが、最終選考で文学の世界の人達が「だってこの人写真家でしょ?」という理由でその枠から外れたらしく……。写真も文章も素晴らしくて、ただの写真家よりも文章だけを書く人よりも二倍凄いことなのに。そういうことに関してはこの国は住み分けみたいな、何か一つに絞らなければ駄目という風潮は帰国してから感じましたね。
写真との出会いをお聞かせ下さい。
子どもの頃からオートマチックで撮れるBIG MINIなどは持ってはいましたが、一番のきっかけは中学生の頃に大好きな先生がいて、その先生が自分の暗室が欲しい為に、写真部を立ち上げたんです。「人数が必要だからお前も入れ」って言われて、「写ルンです的な使い捨てフィルムカメラで撮るのは写真部じゃないから、ちゃんとしたカメラを持って来い」と言われて。それでお父さんに祖父から譲り受けた古いカメラを貰いました。当時はその先生と暗室でイチャイチャしたいっていうのが目的でしたけどね(笑)。
写真を撮る際に気を付けていることはありますか?
あまり荷物を増やしたくないので、沢山写真を撮ることはしたくないと思っています。私はフィルムで撮影しているので撮る度にプリントやネガが増えていくんですよ。そんなことを30年もやっているので膨大なアーカイヴがあります(笑)。あとは、作為が入った作品は好きではなくて、正直な姿勢を崩したくないと思っています。稀にお仕事で既に決まっていることがあったりしても頑張って自分の意見を言う時もあります。写真家の人で、お仕事と自分の作家性を分けている方も多いと思いますが、やっぱり私はそういうことが出来ないんですよね。お仕事の依頼を受けてもその中から自分の作品に成り得ることもあります。私は人でも動物でも虫でも被写体の一番美しい瞬間を撮りたいなと常に思っていますね。
現代の写真家についてどう思われますか?
毎回展覧会に来て下さる女子高生達がいるのですが、彼女達は政治のことを話そうみたいな集会を定期的に開いていて、いつもお知らせを貰っていたんです。前回「絶対に来て下さい!」と言われたので先日行ってみたのですが、ほとんどが大学生で、中学生や高校生もいたり、ライヴもあったりするんです。誘ってくれた女の子二人がアトリエに遊びに行きたいと言っていたのでウチに来たことがあったんです。その内の一人が写真家志望で、ポートフォリオを見せて貰ったのですが、高校生の作品とは思えない程ちゃんとしていて、完全なる“ブック”で感動しました。色々な技術が発達したことによって撮影、デザイン、印刷や製本が誰にでも出来る時代になったことは、良いことと思いますが、その便利さが表現の本質を遠ざけていないと良いと願います。大学の講義やコンペの審査員をする際に学生の作品を観る機会があるのですが、子供達には何になるにしても今は色々な経験をして欲しいと願い伝えています。
ベルリンにいた時はどんなお仕事をしていたのですか?
15年間住んでいたので色々ありますが、多様な思想やバックグラウンドを持った面白い仲間とアートコレクティヴを作っていて、数ヵ月に一度雑誌を出したり、美術館でパフォーマンスを披露したり。皆で運営するスペースもあり、毎晩のように集まって何かをやっていました。点子はそこで沢山の面白い大人に囲まれて育ちました。
ベルリンでの生活はいかがでしたか?
とても楽しかったです。実は今の東京の家をもうすぐ引っ越すのですが、家自体も環境も気に入っているので躊躇しています。でもよく考えてみたら同じような気持ちでベルリンから出てきたんですよ。ベルリンから東京に戻る時も同じ感じでした。「この最高な友達がいる街を出るなんて……。私本当に東京に行くの!?」みたいな気持ちだったんです。ベルリンで出会った人達には、凄く恩恵を感じていて点子の祖国でもありますし、私の第二の祖国的な部分もありますし、青年期をドイツで過ごせたことはとても良かったなと思っています。
ベルリンでの生活に終止符を打ち、日本に帰国した経緯は何だったのでしょうか?
仲間が沢山住んでいますし、私達のベルリンのフラットはまだ維持しているので終止符という風には思っていません。点子はよく行っていますし、私も年に1~2回は戻っています。東京に戻ってきたのは点子が中学三年生の時だったのですが、日本の学校に行ってみたいという彼女の希望でした。日本人としてアイデンティティを形成する最後のチャンスかもしれないと思ったみたいです。
© HANAYO/SCHLINGENSIEF / COURTESY OF TAKA ISHII GALLERY PHOTOGRAPHY / FILM
© HANAYO / COURTESY OF TAKA ISHII GALLERY PHOTOGRAPHY / FILM
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