JAMES MERRY

辺境から未来を縫う。
ISSUE 3
INTERVIEW TEXT NAOKI KOTAKA
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PHOTOGRAPHY BY THOMAS WHITESIDE


ビュークの長年のコラボレーターとして知られるジェームス・メリーが、自身のインスタグラムアカウントに初投稿したのは、今から僅か49週間前のことだった。「古着のスポーツウェアを蘇生する(FERTILIZATION OF OLD SPORTSWEAR)」というコメントと共に投稿されたのは、アイスランドの野生植物を刺繍した、古着のスウェットの写真だった。見慣れたNIKEのスウォッシュは苔に覆われ、苔の上にはパンジーが花を咲かせる。コメント欄には「刺繍を始めるしかない (I THINK I’M ABOUT TO GET HEAVILY INTO EMBROIDERY)」「絶対買い (WOULD TOTALLY PURCHASE)」「ただただ素晴らしい (AWESOMENESS!!)」といった賛辞の言葉が並び、寄せられた「いいね!」の数は優に1,000を超えていた。スマートフォンを針と糸に持ち替えて、インターネットユーザーが刺繍を始めるための動機付けとしては、メリーのユニークな刺繍作品は十二分なインパクトを秘めていたようだ 。

例年であれば、メリーはビョークと共にニューヨークのスタジオで新しいアルバムの構想を練っている時期だが、どうやら今年はレイキャヴィークの山の上のキャビンで刺繍に励むことにしたらしい。「ビョークは先週ニューヨークに旅立ちましたが、僕は仕事のペースを変えて、今年からはアイスランドに留まることにしたんです。『パーソナルワークに時間を割きたい』というのは口実で、猫を飼い始めたからなんですけどね。2009年にビョークと働き始めてすぐに、ロンドンからレイキャヴィークに移住しました。グロスタシャーというイギリス南西部の田舎町で育った僕には、静かな環境の方が肌に合うんです。この街は小さいけれど、美味しいレストランやバー、美しいシアターやミュージアムがあり、レジャーとカルチャーの面でとても充実しています。ビョークと僕たちチームは、一年の半分をレイキャヴィークで、もう半分をニューヨークで過ごします。と言いつつも、スケジュール通りに一年を過ごした覚えはありませんが......。『バイオフィリア』(2011年/ユニバーサルミュージック)の制作のために、プエルトリコで丸一年過ごした年もあれば、それこそツアーが始まれば世界中を旅して回りました」。

こうして、ビョークと過ごしたジェットセッティングな7年間の終わりに、メリーはある大きな買い物をした。「レイキャヴィークから車で15分程の山の上にある夏用の別荘として使われていたキャビンを、ボーイフレンドとお金を出し合って購入したのです。風呂も付いていませんし、周りに誰も住んでいません。アイスランド人の友人たちはこぞって、僕たちの破天荒を止めようとしましたが、今では毎週末泊まりにやって来ます。とても静かで居心地が良いので、特別な予定でもない限りは家の周辺で時間を過ごしています。もう2週間も山を降りていなかったので、さすがに人のいる環境に身を置かないとマズいと思い、今日は街のカフェに座って刺繍をしました」。

スカイプの画面越しに見える靄と雪で覆われた白い大地を眺めていると、これから訪れるであろう季節について興味が湧いた。「引っ越してから1年が経ち、季節の移り変わりを一通り経験することができました。引っ越した時は、今のように家の周りは深い雪で覆われてました。アイスランドの四季は春と秋が短く、夏と冬が長いんです。春が終わる頃、キャビンから外の風景を眺めていると、大地の表情が瞬く間に変わっていきました。雪が溶けて、葉を落とした木々と乾いた土が表れたと思ったら、ものの1週間で大地が花のカーペットで覆われ、木々に葉が青々と茂ったんです。まるで夢の中にいるようでした」。

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レイキャヴィークの山々に囲まれたメリーのキャビン。


現在は何を制作しているのか尋ねると、ケイト・モスが愛用していたというBELLA FREUDのセーターを取り出して、作業途中の刺繍を見せてくれた。著名人が寄付した洋服にメリーが刺繍を施した作品は、SHOWSTUDIOと共同で行っているチャリティオークションに出品され、集まった収益は全て「PROTECTTHEPARK」というアイスランドの自然保護チャリティに寄付されるのだという。「アイスランドの中央部には、美しい自然が手付かずで残っているのですが、その土地にダムや発電所を建設するという再開発計画が現在、政府によって進められています。アイスランドは必要なエネルギー供給量を、ほぼ100%自然エネルギーで賄っています。他国へのエネルギー供給から得られる収益と引き換えに、自然環境の破壊を許すという行為に、国内は元より、世界中から非難の声が上がっているんです。政府への反対運動の動向を追っているうちに、再開発計画によって失われる絶滅危惧種の植物については議論されていないことに気付きました。リサーチをしてみると、ダムや発電所の建設が計画されているエリアにも、そうした植物の多くが群生していることが判り、ちょうど自然保護の活動に何らかの方法で協力したい と考えていたので、それらの植物を刺繍のモチーフとすることが僕なりのプロテストの方法になると思ったのです」。

キム・ジョーンズが寄付したLOUIS VUITTONのスウェットにメリーが刺繍したのは、アイスランドの高地に群生している植物の中で最も絶滅の危険が高いとされている「SAXIFRAGA OPPOSITIFOLIA」と「SAXIFRAGA HIRCULIS」というユキノシタ科の植物である。「ベルン条約という、ヨーロッパの国々による野生動植物を守るための協定があり、もちろんアイスランドも署名国の一つなのですが、再開発計画が持ち上がった時に、政府は協定により保護されている植物のリストから、幾つかの絶滅危惧種を秘密裏に消そうとしたのです。その植物がリストに入っていたのでは再開発計画を進めることは出来ませんからね。雄大な自然を目の前にして、その美しさへ敬意を払うのではなく、自然が生み出すエネルギーをどう資本に変えるか、そんなことしか考えていないのです。自然との共生の歴史をアイスランドは誇りとするべきですし、地球上に存在するあらゆるものを資本主義に捧げる必要はないと思うのです」。

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SHOWSTUDIOのチャリティオークションに出品された、キム・ジョーンズのスウェットにメリーが刺繍を施したスペシャルアイテム。


メリーが刺繍を始めたのは大学生の時だった。友達の誕生日プレゼントとして、当時好きだったデヴィッド・ボウイやアリーヤのモチーフを白いシャツに刺繍したという。それから長い間、刺繍をする機会には巡り会わなかったが、偶然にもビョークが『ヴァルニキュラ』(2015年/ソニーミュージック)の制作時に思い描いていた世界観に、アイスランドの植物と刺繍のエレメントが含まれていたのだ。「音を視覚化したり、逆に視覚的なエレメントを音にしてみたり、五感全てに訴え掛ける総合的な世界観を構築することが彼女の表現方法の真骨頂ですが、最新作では『愛する人との別れ』というテーマと呼応するかのような、歌うことをはじめとする、彼女にとって『癒し』を意味するあらゆるエレメントを探していたのです。絶滅の危機に瀕するアイスランドの植物の多くは、保護という『癒し』を必要とする存在ですし、縫うという行為は、例えば傷口を縫合するという医療的な『癒し』を意味します。こうして彼女と新しいアルバムについて意見を交わしているうちに、改めて刺繍に取り組みたいと自然に考えるようになりました」。

ニューヨーク近代美術館で開催されるビョークの回顧展の準備のため、通常よりも長くニューヨークに滞在するハメになったメリーは、大都会の喧噪から気を紛らわすための「癒し」として刺繍に励んだようだ。「ちょうど、古いNIKEのスウェットを旅行用のワードローブとして持ってきていたので、その上に刺繍してみたんです。こうしてスポーツブランドのスウェットシリーズを、まずは自分用に制作し始めました。ビョークのアルバムやツアー、展覧会のために奔走し、一日のほとんどをコンピュータやスマートフォンを使って過ごす、極度に『デジタル』な生活の反動からか、僕にとっては刺繍という『アナログ』な行為、つまりは自らの手を動かして形あるモノを生み出すいう経験はとても新鮮でした。刺繍はデジタルなプロセスを一切必要としないから素晴らしいのです。コンピュータを使うのは、モチーフとなる花をリサーチしたり、完成した作品をインスタグラムに投稿する時くらいです。今となってはパソコンを使うのは一日に2回程ですね。それ以外の時間は、それこそ一日に10時間以上は刺繍に没頭しています」。

刺繍の再開と時を同じくして、メリーはインスタグラムを使い始めた。以前はナルシスト的なアプリに時間を浪費することに懐疑的だったが、作品を発表するには一番手っ取り早い方法だと悟ったようだ。NIKEのスウェットの写真を早速投稿してみると、すぐに大きな反響があった。「刺繍という『アナログ』と、インスタグラムという『デジタル』の両極端が、僕の制作活動に不可欠であることはとても現代的で新しい現象だと思うのです。一昔前はアイスランドの山奥で生活しながら、刺繍をしながら生計を立てることが出来るなんて誰が思い付いたでしょうか? 都会に住まなくても、高速なインターネット回線さえあれば、作品をアップして、世界中の人々に向けて発信することが出来るのです」。

インスタグラムにアップされた作品を見て、世界中から注文が殺到したのは言うまでもないが、周囲の加熱ぶりにも当人は至って冷静に対処しているようだ。「そのオーダーを受けるべきだと考える自分もいれば、全く新しい作品を作るべきだと考える自分もいます。どこか賃金の安い国で生産すればきっと大儲けできると言われても、自分にとって辻褄が合うプロセスを通して作品制作が行えないなら、刺繍という方法に至った経緯やそこに込められたメタフォリカルな意味、そうしたパーソナルなエレメントが作品から失われ、ただの“洋服”になってしまうと思うのです。正直なところ、僕は未だに自分の天職を探している最中なんです。刺繍の土台になったのが、偶然にもスウェットというファッションアイテムだっただけで、ファッションデザイナーになりたいという野望なんてこれっぽっちも無いんです」。

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スポーツブランドのヴィンテージスウェットに刺繍を施したシリーズ。NYのオープニングセレモニーで初めて一般販売された。


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刺繍を再開してから1年が経過し、メリーは手刺繍の方法に何か新しいエレメントを取り入れたいと考えていた。「モチーフにしても刺繍の方法にしても、これまで使っていなかった方法を取り入れて、刺繍というミディムの新しい可能性を継続的に探っていきたいと考えています。『ブラックワーク』というチューダー時代に起源を持つ、白い糸と黒い糸だけを使った古くから伝わる技術や、機械刺繍など、手刺繍と組み合わせてそれぞれの特性を生かせる方法であれば、そのプロセスを学んでみたいと思っています」。

最近、メリーは刺繍の文化的価値について真剣に考え始めるようになった。「アイスランドの伝統衣装の制作を行う、現存する唯一の刺繍工房を訪ねる機会があったのですが、そこで過去50年間に渡り伝統的な刺繍の技術を継承してきた、10人程の女性職人のグループに出会いました。僕の作品を見せると『若い男性が刺繍をしているなんて!』と皆が大喜びしてくれました。彼女たちとの出会いを機に、刺繍という行為がいかに女性的な仕事として 認知されてきたかについても考えるようになりました。アイスランドには技術的にも芸術的にも優れた刺繍作品が多く存在するのですが、それらのほとんどがアーティストの作品としてではなく、工芸品としか評価されていないのです。女性によって制作され、作家名が記載されることもありません。ただし、僕にとってはそんな“慎ましやかさ”こそ刺繍に携わる者にとっての美徳だと思うのです」。

先日、レイキャヴィークのカフェでメリーが刺繍に励んでいると、ある男性から訝しげな眼差しを向けられたいう。「見た目や言動が女性的であるとか、ゲイであることを罵られたことはこれまで無かったのですが、どうやら男性が刺繍をしているというシチュエーションに何か違和感を覚えたのでしょう。例えば、ニューオーリンズにはマルディグラ・インディアンと呼ばれる、刺繍の絢爛さ以てして男性らしさを競う男性の一団がいます。土地によって刺繍の文化的解釈が180度異なるのです。だから僕は思うんです。カフェで僕を蔑視した男性も、家では隠れた刺繍の愛好家で、本心では一緒に刺繍をしたいんじゃないかって(笑)」。

メリーが全ての作品を通じて試みているのは、両極端なエレメントが共存することができる、新たな秩序のバランスを見付け出すことである。「耳に向かって伝播するネオンイエローの音波、鼻から伸びる蛾の白い触手、頬に散りばめられた翅の模様のような真珠の粒など、去年8月にビョークが出演した『WILDERNESS FESTIVAL』のために制作したマスクでは、動植物、色、素材、テクノロジー、風景など、音を通して彼女の意識中に浮かび上がる様々な視覚的エレメントを混在させています。昆虫のエレメントが多過ぎるとか、逆にテクノロジーのエレメントが足りていないとか、フィッティングを繰り返しながら、マスク全体のバランスを調整していくのです。スポーツブランドのスウェットシリーズでは、例えば、FILAにはマッシュルーム、NIKEには苔とパンジー、UMBROにはトケイソウ等、ロゴと植物のコンビネーションが制作を始める前から直感的に決まっていました。他にも『ANATOMIES』(2012年/ABRASAX BOOKS)という作品集では、ドローイングの方法を使って、蘭の花には睾丸、ラズベリーには子宮を組み合わせて、人間の臓器と植物の融合を試みています。単なる偶然かもしれませんが、蘭の英名『ORCHID』の語源は、蘭の根っこの形状が睾丸に似ていることから、ギリシア語で睾丸を意味する『ORCHIS』に由来していたり、ラズベリーの葉には生理痛を和らげる効能があったり、形状に隠された意味を探っていくと、一見関連性が無いと思えるような対象同士が、ある種、神話的な変身を遂げて一つの存在へと結び付いていくのです。僕にとっては、地球上に存在するあらゆる生態系がどのように共存しているのか、その神秘を探ることこそが、そして異なる対象同士を文字通り“結び付けられる”ことが刺繍の醍醐味だと思うのです」。

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PHOTOGRAPHY BY CARSTEN WINDHORST


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『ANATOMIES』(2012年/ABRASAX BOOKS)より。


アイスランドの春の陽気が乾いた大地に一面の花を咲かせたように、メリーのユニークな刺繍作品は、デジタルユーザーたちのアナログへの好奇心を鮮やかに開花させてみせた。「デジタル」と「アナログ」という両極端を制作活動に取り入れ、双方の可能性を拡張し続けるメリーの活動から目が離せない。


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